*Love Game青空に向かって立ち上る煙を、あたしは玲と一緒になって仰ぎ見ていた。 葬儀も行わず、たった2人だけでおばあちゃんを見送る。 親戚は、両親の事が原因で縁を切られているらしく、誰にも知らせていないらしい。 両親から見捨てられ、親戚からは疎外され、天涯孤独の身となった玲。 これから、この子はどうするつもりだろうか。と、無言で空を見上げる玲の横顔に視線を向ける。 おばあちゃんが息を引き取ってから、ほどなくして病室に駆け込んできた玲。 額に汗を浮かべ、息を切らせながら入ってきた玲の表情は、硬く険しいものだった。 ここに来るまでにある程度の覚悟をしていたのかもしれない。 ただ無言で、泣き叫ぶこともなく、安らかな眠りについたおばあちゃんの姿を、じっと何かを耐えているような眼差しで暫くの間見続けていた。 前にも見た表情だと思った。 そう、それはおばあちゃんがこの病院に担ぎ込まれ、病名を告知されたあの日。 何かをグッと堪えてるように口元を硬く閉じ、表情をなくしたまま、眠っているおばあちゃんを 見続けていた、あの表情と同じもの。 そして今…空を仰ぎ見ている玲の表情も同じだった。 玲…あなた、もしかして… 小さな身体だったけど、更に小さくなったおばあちゃんの遺骨を持って、玲の家に戻ってから、暫くバタバタと動くことになった。 葬儀などは行わないと知りながらも、おばあちゃんの死を悼み、弔問に訪れてくれる近所の方たちの対応に追われたためだ。 それだけでも、少し救われた気分になった。 あたし達2人だけに見送られるのは、あまりにも寂しすぎる。 涙ながらにおばあちゃんの死を悼んでくれる人、何か困ったことがあったら頼ってね、塩谷のおばあちゃんには本当にお世話になったの。と、声をかけてくれる人。 愛されていたんだな。と、自分のことのように嬉しくなった。 弔問客が落ち着いたのは、夜の8時をまわる頃だった。 玄関先まで、最後の客を見送り家の中に戻る。 シーンと、静けさと香りだけが残ったおばあちゃんの部屋に玲の姿があった。 玲は、おばあちゃんの遺骨が入った白い箱が置いてある、飾り壇の前に座り、じっとそれを見ている。 ただ無言で、無表情に、何かを堪えているかのように。 以前、おばあちゃんが病院に担ぎ込まれたとき、力なく手術室の前に座っている玲に、あたしはかける言葉もしてあげる事も、見つけることはできなかった。 あの時は、それがもどかしくて仕方なかった。 だけど、今ならほんの少しだけ…どうすればいいのか分かる気がする。 おばあちゃんに教わったこと、おばあちゃんがあたしにしてくれた事だから。 あたしは、ゆっくりと玲に近づき彼の背後に立つ。 そして、深く息を吐き出してからそこに跪き両手を広げた。 そこから玲を包み込むように、そっと後ろから腕をまわすと、一瞬玲の体がビクッと震える。 服を通してでも伝わってくる玲の温もり。 鼻を擽る玲の香り。 愛しい…と、素直に感じた。 支えたい…と、強く思った。 「玲?我慢…しなくていいよ」 彼の耳元に頬を寄せて、そっと小さな声で囁きかける。 病院で、火葬場で、浮かべていた玲の表情。 ずっと…我慢してたんでしょ? 泣き虫になりたくないから…弱虫になりたくなかったから。 ずっと、今まで耐えていたんだよね。 「玲…今泣くことは、弱虫なんかじゃない。泣き虫なんかでもないよ。我慢…しなくていいから。そんな辛そうな表情…しなくていいから…」 「………っ……」 「泣いてもいいよ…悲しいときは、思い切り泣けばいいよ」 そう言って、まわした腕に力を込めると、次第に玲の体が小刻みに震え出す。 ポタポタっと、腕に雫が落ちてきて、時折玲の口から詰まった声が漏れてきた。 玲は、暫くの間あたしの腕をギュッと掴んで静かに泣いた。 声をあげて泣きじゃくらなかったのは、あたしに対する虚勢だったのか、玲が少し大人になっていたのか、あたしにはわからない。 ただ、一つわかったこと。 あたしにも、人を愛することができるんだってこと。 『愛し方がわからんのなら、抱きしめてやればいい。誰かを包み込めるということは、その人を愛せるということ。ひとの温もりを感じることができるなら、愛することがきっとできる…』 あたしは、玲の体を後ろから強く抱きしめ、彼の首元に顔を埋めた。 もう、隠したり誤魔化したりはしない。 どんな結末を迎えようとも、怖くはない。 覚悟はできたから。 断言できる…あたしは、玲のことを…―――― 見事に散ってもいい。心を粉々に砕かれてもいい。 それが玲によるものだったら。 おばあちゃんの事が落ち着いたら、玲にこの言葉を告げよう。 そう、あたしは心に決めた。 暫く、あたしは玲の家に通う事にした。 おばあちゃんの遺品の整理だったり、玲の身の回りのことだったり。 一番の理由は、玲の傍についていたかったから。 顔から笑みが消え、言葉数も随分と減ってしまった玲を放っておけなくて。 だから、あたしがしっかりしなきゃ。と、思っていた。 おばあちゃんがいなくなってしまった今、あたしが玲を僅かな間でも支えなきゃ。って思って。 でも、そんなあたしもどこかで玲に支えてもらっていたのかもしれない。 玲の存在があるからこそ、気丈に振舞えているあたしがいるから。 「ねえ、玲。今、会社終わったんだけど、今晩、なに食べたい?」 『あぁ、晩飯?そうだな…なんでもいいよ。唯が作れるものなら…』 2週間も経った頃には、随分と気持ちの整理ができたのか、柔らかい表情が浮かび言葉数も少しずつ増えてきた玲。 だけどやはりそれは、頼りなく儚いものに見えて仕方なかった。 今、携帯から聞こえてくる声からも伝わってくるそれ。 ギュッと心臓を鷲づかみにされたように、切なさが込み上げてくる。 「あ、失礼ねその言い方!この2週間でわかったでしょう?あたしがなんでも作れるんだって」 だから、あたしは少しでも玲の気が紛れればと、勤めて明るい表情で、以前と変わりない態度を見せていた。 そう玲には映ってるのかどうかはわからないけど、あたしはそのつもりで。 『クスクス…まあ、確かに。だてに長年一人で生きてきてないって味だよな』 「一言余計だっつうの。ホント、小憎(こにく)たらしいヤツね!で?何もリクエストないなら勝手に作っちゃうわよ?いいのね?」 『あ〜…じゃあ、和食…』 「和食?」 『肉じゃが…とかさ』 「肉じゃが…」 それはあたしにとって、おばあちゃんを思い起こさせる思い出の一品。 初めておばあちゃんと出会い、初めて玲と3人で食卓を囲んだときのもの。 思い出すだけで目頭が熱くなるあたり、あたしもまだ心の整理がしきれていないんだと気付かされる。 『あれ、初めて3人で食ったときのもんだろ?だからさ…食いたくなったっつうか…』 「れい…」 瞬間、いいようのない気持ちが込み上げてくる。 玲も覚えてたの? あたしと同じようにおばあちゃんとの思い出として… 『いや、まあ…いいや、なんでも。唯に任せる』 「わかった。肉じゃがね…作ってあげる。味は若干落ちちゃうかもだけど」 『そこはあまり期待してないから』 「あ〜の〜ねぇ〜」 『クスクス。嘘々…期待してるよ。唯流の肉じゃがの味』 「なんかそれすごい皮肉が入ってる気がする。まあ、いいや…肉じゃがね。とりあえず今から買い物に行くけどあんたも一緒にいく?迎えに行くけど」 『いや…俺は、いいよ』 「そう?あんたも試験が終わって休みに入ってるんだから、少しは外に出たほうがいいわよ?ずっと家に篭ってるじゃない」 『そう…だな。まあ、気が向いたら…』 「…そう」 それ以上、あたしは何も言えなかった。 その声がひどく儚げに聞こえたから。 じゃあ、買い物して行くから。と、携帯を切ろうとしたあたしを、玲の声が呼び止める。 『……唯?』 「ん?」 『ありがとな…』 「れ…い?」 『色々と…気ぃ遣わせてさ。すげえ…助かってるよ』 「な、によ。急に改まって。あ、あなたらしくない…気弱になってんじゃないの?」 『クスクス…かもしんねえな。俺にはもう、失くすものがないから…』 「玲…」 『待ってるよ。唯が帰ってくんの…肉じゃがも楽しみにしてる』 ――――待ってるよ。唯が帰ってくんの… その言葉がどれほどあたしの心に響いたか。 玲にとって、それは無意識に出てきた言葉かもしれない。 心身共に弱ってる今、子供が親を待つ感覚に似てるものなのかもしれない。 だけど、あたしは素直に嬉しかった。 『待ってる』、その言葉と、『帰ってくる』という言葉が。 「うん、わかった。買い物したらすぐに帰るから…待ってて」 あたしは携帯を切ると、歩きなれた駐車場までの道程を逸る気持ちを抑えながら、足早に歩いた。 買い物を終えて、早く玲の待つあの家に帰らなきゃ…。 玲を殴ってしまった場所を通り過ぎ、玲に助けてもらった場所を通り過ぎる。 あともう少しで車まで辿り着く―――― その手前で、突然背後から誰かにグッと腕を強く掴まれ引っ張られた。 「やあ、唯ちゃん。会社の帰り?」 どこかで聞いたような男の声。 あたしは、掴まれた腕の痛みに顔を顰めながら背後に立つ男を振り返り見上げる。 その顔を確認した途端、あたしの体に緊張が走った。 「あ…なた…」 |