*Love Game





あたしは逸る気持ちを抑えながら、車を飛ばして病院へと向かっていた。

おばあちゃんの容態が急変したと病院から連絡が入ったのは、ちょうど出かける準備をしていた昼前。

昨日の玲との電話の件で、色々と思い悩ませていたあたし。

その連絡を受けたとき、あまりの衝撃に携帯を危うく落しそうになった。

思い悩んでいたことが吹き飛んだ。


昨日まで、いつも通りのおばあちゃんだったのに。

帰るときも、いつもみたいに微笑みながら見送ってくれてたのに。

どうして…どうして急に?


あたしは、何かあった時の為にと教えてもらっていた玲の学校へ連絡を入れてから、準備もそこそこにバッグを引っ掴むと家を飛び出した。

額に嫌な汗が浮かぶ。

心臓が、ドクドクと嫌な速度で脈打つ。

息を切らせつつ病室に駆け込むと、ちょうど担当医の姿がそこにあった。

あの、おばあちゃんがここに担ぎ込まれたときに説明をしてくれた医師だ。

彼はあたしの姿を視界に捉えると、険しい表情のまま足早に近づいてくる。


「塩谷さん。先ほどおばあさまを別室に移動させたところです。もう、あまり時間がありません…とりあえず急ぎましょう」

そう、早口に告げると先に医師が歩きだす。

あたしはただ、彼のあとについていくことしかできなかった。

何も言葉にすることができなかった。

もう、あまり時間がありません。その言葉がグルグルと頭の中をまわるだけで。

「おばあさまはここ最近、食事もロクに喉が通らない状態でした。点滴などでなんとか繋ぎとめていましたが…もう、おばあさまの体力的に限界なのかもしれません。覚悟を…していただかなくてはならないと思います…」


覚悟を…


それはつまり、おばあちゃんの『死』を意味する言葉。


医師の声が耳鳴りのように響く。

胃液が込み上げてきて、吐きそうになる。


口元を押さえ、胸元を握り締めながら、医師のあとを必死で追う。

その医師に連れてこられた場所は、手術室ではなくただの個室。

そこからももう、助かる見込みがないのだと突きつけられた気がした。

部屋の中では数人の看護婦が慌しく作業に追われている。

緊迫した空間。

ピピピピッ…ピピピピッ…。と、おばあちゃんの心拍数を告げる電子音が更に緊張感をもたらせる。

「先生!血圧が…低下…脈拍数も…」

看護婦が医師に向かって現在の状態を報告する。

それを受けた医師も一つ頷くと、看護婦と同様処置にあたりはじめる。

ベッドの上には、今までに見たこともないほど苦痛に満ちた表情で、身体を捩らせもがき苦しんでいるおばあちゃんの姿がある。

あたしはその姿を見た途端、弾かれたようにベッドに駆け寄りおばあちゃんの手を握り締めていた。


「おばあちゃん!おばあちゃん!!」


グッと、握り締めた手に力が入る。

それに反応するように、おばあちゃんの手がピクッと動き、ギュッと辛そうに閉じられていた瞳がゆっくりと開く。

そして、おぼろげにもあたしの姿が確認できたのか、おばあちゃんの顔に柔らかな笑みが浮かんだ。

今しがたまでの苦しみが、一瞬にして消えうせたかのように。


「ゆい…さん…」


今にも消え入りそうな声。

それでも確かに聞こえた、あたしの名前。


「うん、うん。あたしだよ、唯だよ!わかる?おばあちゃん、わかる??」

「わか…るよ。ばーちゃんの…たい…せつな…まご…のひとり…じゃから」

「おばあ…ちゃんっ…」


おばあちゃんのその言葉に、一気に涙が溢れ出す。

大切な孫って…あたしのことを…


「ゆい…さんは…ばーちゃんの…まご…じゃろ?ばーちゃんは…そう…おもっとるよ…」

「っぁ…うん…うんっ…」

ありがとう。その一言が言えなかった。

溢れ出す涙と、嗚咽に邪魔されて。

「なかんでも…ええよ…ゆい…さん。こんな…いたみ…ばーちゃんは…ちっとも…つらくない…」

「おばあっ…ちゃっ…」

「おまえ…たちの…いたみに…くらべたら…こんなもの…どうってこと…ありゃ…せん…」

「……………っっ」

あたしは言葉にすることができなかった。

ずっとおばあちゃんは、こんな事を思いながら痛みに耐えてきていたのかと思うと。

本当は、先ほど見せていたように、もがき苦しむほどの痛みのはずなのに。

あたし達の事を思い、あたし達以上の痛みに耐え、笑みを絶やさなかったその強さ。


――――…罰を科せられるのはむしろばーちゃんのほうじゃて


そう言っていたおばあちゃん。

……充分だよ。

おばあちゃんにだって、罪なんてないよ。

どうして…どうして、あなたはそこまで強くなれるの?


あたしは立っていられずに、おばあちゃんの腕にすがり付いて泣き崩れた。

すると、手を繋いでいないほうの手が優しくあたしの頭に触れる。

「ゆい…さん。れいに…つたえてやって…くれるか?ひとを…あいするこころを…もちなさい。ひとを…
まもるちからを…もちなさい。つよくなって…しあわせを…じぶんのてで…つかみなさい…っっ!!」

突然荒々しくなるおばあちゃんの息遣い。

心拍数を告げる電子音が、更にけたたましく部屋に響く。

それによって、また周囲の医師たちが慌しく動き回る。

自然とおばあちゃんの手を握る、あたしの手に力が篭った。

「おっおばあちゃんっ!!」

「だいじょうぶ…おまえさんと…れいなら…かならずしあわせに…なれるから…」

「やだっ…やだっ!あたし達を置いていかないでよ…まだ傍にいて欲しいの…玲も、あたしも…おばあちゃんにいて欲しいの!だから、頑張ってよおばあちゃん!!」

「ばーちゃんのやくめは…これで…おしまい。じーちゃんが…むかえにきとるから…いかんと、ね…」

「おばあちゃん…」

「じーちゃんは…ばーちゃんの…さいあいの…ひと。やっとまた…いっしょに…くらせる…。きっと、おまえたちも…そう、おもえるから…」

そういって、おばあちゃんは最後にニコッと微笑みかけてくる。

もう、あたしの顔は涙でグチャグチャだった。視界も歪んで良く見えなかった。

それでも、この優しい微笑みを忘れまいと、必死で目に焼き付けた。

「ゆい…さん?…れいのこと…たのみます…ね。あのこを…ささえてやって…」

徐々に呼吸の間隔があくのと共に、おばあちゃんの声が掠れ、更に小さくなっていく。

「待って…待って!もうすぐっ、もうすぐ玲もここに来るから!だから、もう少しだけ待って!ねえ、おばあちゃん!おばあちゃんっ!!」

「れい…には…ゆい…さんが…おってくれる…ばーちゃんは…あんしん…じゃよ…」

意識が朦朧としてきたのか、おばあちゃんの目が虚ろに空を彷徨いはじめる。

あたしは慌てて涙を拭い取り、必死になって呼びかける。

「おばあちゃん!おばあちゃん!!玲が来るの!もうすぐ来るから!!最後…玲を見てから…」

その言葉の続きを、あたしは口にすることはできなかった。

おばあちゃんの呼吸がまた荒くなり、深く刻み込まれたシワが、苦痛によって複雑に歪む。

それでも微笑みを絶やさないようにと見えるのは、きっと気のせいじゃないと思う。

おばあちゃんはそういう人だから。

あたし達に心配させまいと、気丈に振舞う人だから。

痛みを優しさに変え、あたし達に与えてくれる人だから。

だから…余計に辛くなる。

「ばーちゃんは…ずっとふたりを…みまもっとるからね…」

「おばあちゃん…」

「…かならず…しあわせに…なるんじゃよ?…れいと…ゆいさんと…いっしょに…ささえあって…」

「なるっ…なるから…約束するから…だから、もう少しだけ待って…じゃないと、玲が…」

本当は約束なんてできない。

だけど、あたしは縋る気持ちでそう呟いていた。

「ひとのいうことは…きにせんでええ…おたがいを…おもいやることが…たいせつなんじゃ…にくしみからは…なにもうまれてこん…ひとをあいし…ひとからあいされ…つよい…にんげんに…なりなさい…
ばーちゃんは…ふたりとも…だいすき…じゃよ…こころから…あいしとるから…ね……っ!!」

突然、おばあちゃんの体が強張り、弓なりに仰け反ったかと思えば、次の瞬間には落ちていた。


ピーーーッ……


耳障りなほどに響く電子音。

あたしの時間が止まった。

無音の空間。ただ視界に映るおばあちゃんの姿。

「え……おばあ…ちゃん?」

あたしはすぐには事態が呑み込めずに、ただ呆然と、目を閉じてベッドに横たわるおばあちゃんの姿を見ていた。

全身から力が抜け、ペタン。と、力なく落ちるあたしの腰。

縋るように見上げた先の医師は、あたしに向かって、残念ですが。と、言葉少なめに首を横に振った。


ザンネンデスガ…?


どうして?

繋いだ手は、まだこんなにも温かいのに?

どういう意味?

あたしは医師の言葉を理解することができなかった。

……理解したくなかった。


まだ温もりが残るその手に、額をあてたとき、バタン!と勢いよくドアが開き、待ちわびていた存在が姿を見せた。


もう少し早ければ、何か言葉を交わせたかもしれない…


玲…あたし達の大切な人が…今さっき逝っちゃったよ……



←back top next→