*Love Game Rei-Side不思議と穏やかな気分だった。 自分の口から、今まで頑なに閉じ込めてきたものを曝け出すような言葉が零れても、後悔もなく戸惑いさえもなかった。 何かが吹っ切れたのかもしれない。俺の中で。 淡々と、俺の口から吐き出される言葉に、運転席に座る唯は前を見たまま何の反応も見せなかった。 聞いているのか、聞いていないのか…。 別にどっちでもよかった。 勝手に出てくる言葉を止められそうにもなかったから。 思い出したくもない、遠い遠い記憶。 毎日ランドセルを背負って、傷だらけで泣きながら帰ってたあの頃。 母親が家を出ていき、それを追うように父親が姿を晦まして。 それをどこで聞きつけたのか、クラスの連中から冷やかされて小突かれて、白い目で見られて… 『お前のかーちゃん、ショウフみたいなんだってなぁ?男をとっかえひっかえで』 『本当はお前も親父の子じゃねーかもよ?どっかの知らない男の子供だったりして』 『お前も将来はとーちゃんみたいに惨めな生活送るんじゃねぇの?』 『つーかさ、お前もその血が流れてんだろ?どっちに似てもロクな人生送れねえって、うちの かーちゃんが言ってたぜ?』 『うちのかーちゃんも言ってた。そんな家の子はロクな子供じゃないから、遊んじゃダメだってさ』 …どっちがロクな子供じゃねえんだよ。 自分の子供にそんなことを入れ知恵してよ。 テメーのガキのほうがよっぽどロクな家の子供じゃねえだろ。と、あとから思った。 不思議なもので、そういう噂はどこに行ってもついてまわるらしい。 ばーちゃん家に引き取られることになって、転校した先の小学校でも同じような洗礼を受けた。 古くからの付き合いの手前、近所の連中も表立っては言ってこなかったけど、後ろ指をさされてたのは感じてた。 その証拠が新しく入ったクラスの連中の態度だ。 惨めだった… 何故自分がこんな風に言われなきゃいけないのか、理解できなかった。 情けなかった… 何を言われても、何をされても、反論も出来ずにただ泣くことしかできなかった。 僕のお母さんはそんなんじゃない! 僕のお父さんは惨めなんかじゃない!! そう心の中で叫びながら。 遠い遠い記憶。 自分の奥底にしまい込んだ、決して薄れることのない過去。 俺はその頃から、他人(ひと)に心を開かなくなった。 噂が薄れ、友人と呼ばれる存在ができても、心を許そうとはしなかった。 固く閉ざした心。 誰も信用せず、誰にも踏み込ませなかった領域。 己を護るための術(すべ)。だったのに… 俺、なんでこんなこと喋ってんだろ。って思った。 あんなに頑なに曝け出すまいと封じ込めていたのによ。って。 もしかしたら、誰かに知ってもらいたかったのかもしれない。 素の俺を… 大きな支えを失おうとしている今、新たな支えが欲しかったのかもしれない。 俺を理解してくれる存在に… そう考えると、俺はあの頃のまま何も変わってないんだと思い知らされる。 泣き虫な俺、弱虫な俺…支えがないと、虚勢だって張っていられない。 窓に映る傷だらけの自分の顔に、フッと自嘲の笑いが漏れた。 その顔を視界に映しながら、ふと、昔言われたばーちゃんの言葉が鮮明に思い起こされる。 そう…思いっきりぶん殴られたあの時の―――― 「もっと自分を大切にせんか、玲!この世に生を受けて、どうでもいい存在なんてありゃせん。玲は、 ばーちゃんにとってかけがえのない大切な子だよ?お前の両親は間違った方向へ歩いてしまったかもしれんが、それによって玲がどうこう悩む事はない。他人の言う事なんて気にせんでええ。玲は玲の人生を真っ当すればええんだよ?玲のこの人生は、お前の為にあるんだから…」 そう言って、呆然と立ち尽くしている俺の体を、ばーちゃんは優しく包み込むように抱きしめてきた。 もう、俺よりも随分と低く小さくなっていたその体で。 「これ以上、自分の体を痛めつけるようなことはせんといてくれ。お前が親を憎むのもわかる、自分の 生い立ちを恨むのもわかる。そやけど、それに囚われとってもなんにもなりゃせんのだよ、玲。もっと、強くなりなさい。自分を痛めつけるのではなく、他人の痛みを知り、誰かを護れる強さを持ちなさい。人を愛する心を持って、自分の手で幸せを掴みなさい。幸せは待っていても来んのだよ?自分で掴もうとせないかん…」 あの時言われた言葉。 何故、今になって鮮明に思い出されたのか…。 誰かを護れる強さ。 人を愛する心。 自分で掴み取る幸せ。 自分で掴む幸せ…。 俺にとっての幸せって――――…? 今の俺にはまだわからない。何故この言葉を思い出したのかも。 ただ、こうして話しながら、色んなことを思い出しながら、一つだけ確信したことがある。 俺は唯を求めてる。 唯の存在を必要としている。 それを確信しても、もう、俺の中に戸惑いはなかった。 その先の策略も必要ないと思った。 何故なのかはわからない。 理屈じゃ説明できない、心の変化。 俺の心の中で、ある種の覚悟が出来たのかもしれない。 それを認めたということは、すなわち…… 相変わらず唯は、前を見たまま何の反応も見せないままだった。 外は夕闇に包まれ始め、車内が段々暗くなる。 俺はゆっくりと運転席側に顔を向け、僅かな間だけ唯の横顔をそっと盗み見た。 メーター盤の明かりによって浮かび上がる、唯の綺麗なその横顔。 俺を翻弄させた唯一の女。 ――――お前の思い通りになるかもな…唯。 「さっきお前に殴られて、あの日のことを思い出したよ…」 そう、唯に向かってポツリと呟く。 俺のその言葉でようやく彼女が反応を見せた。 唯の顔がこちらを向き、視線が絡む…思わず吸い寄せられそうになった。 俺は一旦目を閉じてそれを遮断してから、再び目を開けて唯を見る。 「悪かったな…」 「え…」 「手間とらせてよ…」 俺の言葉に心底びっくりしたような唯の顔に、思わず噴出しそうになる。 そりゃそうだろうな。 何の前ぶれもなく、俺が素直に謝ったりしたんだから。 それに対して唯から返ってきた言葉が、 「別に。あたしは、あんたの為にやったわけじゃないし。それに、素直に謝られると気持ち悪い」 咄嗟に出た言葉だろうけど、唯らしい返事だと思った。 きっと逆の立場なら、俺も同じように返していただろうから。 俺と唯は似たもの同士。 考えることも、自分の持ってる信念も、歩んで来た道もよく似てる。 お互いに欠けたものが同じで。 それぞれに持ってる傷も元は同じもの。 互いに平行線のまま、近づくことはないと思っていた距離なのに。 ここにきて思いきり俺のほうが傾いてしまった。 絶対にあり得ないはずのことだったのに。 ただ、まだ折れるつもりはない。 あと、もう少しだけ…―――― 「うっせーよ、バーカ」 俺はまた仮面を被る。今までとは異なった理由から。 「バ、バカってなによ、バカって!このクソガキっ。そうよ、ひとに迷惑ばっかかけてんじゃないわよ。 やっぱり…もっと謝りなさいよ。そこに土下座してすいませんでしたって」 「この俺がそんなことするわけねえだろ。バカじゃねえの?」 「あんったねぇ!さっきまでのしおらしい姿はどこ行ったのよ!」 「うるせえな。知らねえよ。おら、早く行けよ。信号青だけど?」 ――――…もう少しだけ、この空間に身を置いていたいから。 唯とこうしてバカなことを言い合って。 俺が俺らしくいられるような気がする、この空間に。 思い起こせば、コイツといるときが一番人間らしい俺だったように思う。 時には笑い、時には怒り、色んな感情に翻弄されてさ。 唯といる時だけだったんだよな。 あんなに俺の感情の起伏が激しく変わったのは。 ずっとそれが納得できなかったけれど、今思えば全てに納得がいく。 いや、納得したくなかったんだよな…心のどこかで気付いていたけれど。 こうして、奥深くに眠っていた新たな感情が芽生えてしまうのが怖かったから。 なんで俺たち出会っちまったんだろう。 出会わなければ何事もなく、今まで通りに過ごせていたのに。 もしかして、唯とあの日あのコンパで出会ったのは、運命だったんだろうか。 俺の中に眠るものを、呼び起こさせるために…。 なんの為に…? それを知る日はそう遠くないように思えた。 だから俺は、その呼び起こされたものを内に秘めて、薄い仮面を被った。 これは俺が唯に見せる最後の仮面。 どうせ隠しきれるものじゃない。 いずれこの仮面も剥がされる。 これもきっとそう、近いうちに……。 この最後の仮面が剥がされるとき。 すなわちそれは、俺の心が粉々に砕かれるとき。 だから、もう少しだけ唯の傍にいたい―――― そんな気持ちに変わっていた。 |