*Love Game





荒ぶる感情を抑えることができなかった。

こんなのあたしらしくないって思ったけど、溢れ出す言葉を止めることができなかった。

気付いたら、玲の頬を殴ってた…


なにやってんのよ。あんた、こんなとこでなにやってんのよっ!!


……って。


おばあちゃんが、病室で悲しそうな表情を浮かべて話してくれた玲の過去の話。

だから、余計にだったのかもしれない。



「――――きっと、ばーちゃんがこうなったのも、自分のせいだと思うとるに違いない。そのせいでまたヤケを起こさないかとそれだけが心配での…」

「え…また、って?」

おばあちゃんは、遠い記憶を辿るように顔をあげて天井を仰ぎ見る。

そして、一旦布団に視線を落としてからそれをあたしに向けてきた。

その表情はとても切なげで辛そうで。

「あれは玲が中学に上がった頃、それまであまり理解できとらんかったことが理解できるようになって、周りからも色々言われたんじゃろうね…小学校までは泣きじゃくることで治まってたもんが、両親を恨むようになり、自分の生い立ちを僻むようになって、それはもう手がつけられんくらいに荒れよってな。
毎日毎日、喧嘩喧嘩。警察のお世話になったことも何度かあっての…っ」

コホン、コホン。と、おばあちゃんの言葉が咳で中断される。

慌てて背中を擦ると、大丈夫じゃよ。と、優しく微笑み返された。

「その頃の玲の口癖がな、『俺なんてどうなったって構やしねぇ』って。『望まれて生まれてきたわけじゃねえから』って。そんなことありゃせんのに、ばーちゃんはこうして玲が生きてくれてるだけで幸せじゃて何度伝えても玲の耳には届かんかった。なにも玲が負い目を感じんでもええのに…全ての責任は両親にあるいうのになぁ…」

「おばあちゃん…」

よくわかる…玲の気持ち。あたしも同じだったから。

玲のように荒れることはなかったけれど、全てを悲観的に捉え、なにもかもがどうでもよくて。

自分の存在意義さえも否定していた。

あたしがもしも男だったら…玲と同じ行動をとっていたかもしれない。

やり場のない感情を、ぶつける場所を探し求めて。

「毎日自分の体を痛めつけるように傷だらけで帰ってきおってな。それを見るたびに、ばーちゃんは
胸が締め付けられる思いじゃったよ。この子にはなんの罪もありゃせんのにって…罰を科せられるのはむしろばーちゃんのほうじゃて」

「そんな…」

「ワシのせがれが不甲斐ないばかりに、玲を辛い目にあわせてしもて。本当に玲には申し訳のうてな…」

おばあちゃんはそう言って目頭をギュッと指先で押さえた。

小刻みに震えるその指先。

あたしはそれに答えることができなかった。

まるで自分に言われているようで、切なくて――――。

「そやから、あの子には人一倍幸せになって欲しいって、ばーちゃんは思っとるんよ。辛い思いはもう
させとうない…自分の体を痛めつけるようなことはせんといて欲しい…。ばーちゃんにとって、
あの子はかけがえのない大切な子じゃから……――――」



――――だから、会社帰りに偶然玲の姿を見かけたとき、声をかけずにはいられなかった。

遠めからでも、なにをしでかしたのかは大体の想像ができたから。

と、同時におばあちゃんから聞いた話が脳裏を過ぎっていた。

だからあの時、同情よりも、むしろ怒りのほうが上回った感情を露にしてしまったあたし。

殴った瞬間は、さすがに驚いた表情を見せたけど、すぐに玲もあたしの言葉が理解できたのか、反論も見せずに力なく肩を落とした。

そして、家まで送ってくから。と言って、社員専用の駐車場に向かって歩き始めるあたしのあとを、無言でついてきた。

18歳といえば、大人と子供の狭間にいる微妙な年頃。

いつも冷静沈着で、クソ生意気なヤツだけど。

大人ぶったフリをしているけれど。

この時は、高校生らしい玲を見たような気がした。



***** ***** ***** ***** *****




なんのBGMも流していない車内は静かだった。

あたしは前だけを見て運転をし、玲も助手席側の窓に肘をついた姿勢でその上に頬を乗せ、じっと外を眺めている。

玲が今、何を考え何を思っているのかあたしにはわからない。

聞こうともしなかったし、聞くつもりもなかった。

いや、あたし自身が何も考えられなかったのかもしれない。

ボーっと、前を走る車のテールランプの光を視界に映しているあたしの脳は、霧がかかったように何も浮かんでこなかった。

さきほど、今までになく感情を爆発させてしまったからだろうか。

頭の中がカラッポ…そんな感じで。


夜の闇に包まれはじめた道を、風を切って走る車の音だけが車内に響く。

暫し無言の空間。

その空間を破ったのは玲だった。


「俺さ…小学生の頃、イジメられててよ…」


こちらに向かって発するでもなく、独り言のように窓に顔を向けたままポツリと零した言葉。

何故、急にそんな事を話し出すのか…

それを聞き返すでもなく、あたしもただ前を見たままハンドルを握る。


「その頃、すげえ泣き虫で弱っちくてさ。元いた学校でもこっちに転校してからも、どこで聞きつけたのか親のことでからかわれてよ。お前のかーちゃんはショウフなんだろ、とか、本当はとーちゃんの子じゃ
ねえんじゃねえのか、とかよ。散々バカにされたのに言い返すことすらできなくて…縮こまって泣くことしかできなかった。近所のババアはババアで、後ろ指さしやがるしよ。今思い出しても反吐が出る」

そう、返事を求める様子もなく、玲は淡々と言葉を吐き出す。

子供の言動は時に残酷だ。

物事の良し悪しもわからずに発していることも多々ある。

その時その意味が理解できていなくても、あとで大きな傷となって返ってくることもある。

まだ、小学校低学年だった玲。

全てを受け止めるには、あまりにも幼すぎる。

それは受けた者にしかわからない心の傷。

もしかしたらその傷は、あたしよりも玲のほうがずっと深いのかもしれない。

少し先の信号が、黄色から赤に変わるのを眺めながら、そんな事がふと過る。

車をゆっくりと減速させ、信号の手前で完全に停めた時、だけど…。と、玲の声が続く。

「そんなとき、いつも傍にいてくれたのがばーちゃんだった。こんな俺を護ってくれたのもばーちゃん
だった。でも、その優しさも素直に受け入れられなくてよ…中学に入ってからは反発しだして、泣くことが無くなった分、無茶苦茶やってそれで迷惑かけて。中学2年にあがった頃、ばーちゃんに思いっきりぶん殴られたんだ…」


――――もっと自分を大切にせんか!!


「……ってさ。ばーちゃん、わかってたんだよな。俺が自分の体を痛めつけながらヤケになって暴れてるってよ。ばーちゃんに殴られたのはその一回きりだったけど、それがすげえ痛くてよ。それでも、
殴ったばーちゃんのほうが辛そうに見えた。目にいっぱい涙溜めて、唇を噛み締めてさ。だから……
だから、強くなろうって決めたんだ。泣き虫の俺も、弱い俺も、全部封じ込めて強くなろうって」


いつか感じた玲を覆う大きな一つの殻。

相手に隙を見せようとせず、頑ななまでに素の自分をも見せようとしなかった。

玲の芯に根付いているものがなんなのか、改めて今実感した気がした。


「さっきお前に殴られて、あの日のことを思い出したよ…」


その声につられるように、あたしは視線を玲に向ける。

そこには真っ直ぐにあたしを見ている傷だらけの顔があった。


「悪かったな…」

「え…」

「手間とらせてよ…」


正直びっくりした…玲が素直に謝ってくるなんて。

それだけじゃない。

今まで隠しとおしてきた素顔を、自ら曝け出すような言葉を零した玲にも。


なにかが変わりはじめてる――――


そう感じずにはいられなかった。

玲も、そしてこのあたしも。

なにかが急激に変わりはじめてる。

キッカケはそう…あのKissから。

そして、背中を押したのは…きっとおばあちゃんというあたし達の中のかけがえのない存在。


「別に。あたしは、あんたの為にやったわけじゃないし。それに、素直に謝られると気持ち悪い」

咄嗟にそんな言葉で切り返したけれど。

「うっせーよ、バーカ」

あたしの言葉を受けて、玲はそんな言葉で返してくる。

そして、また顔を窓の外に向けてしまった。

「バ、バカってなによ、バカって!このクソガキっ。そうよ、ひとに迷惑ばっかかけてんじゃないわよ。
やっぱり…もっと謝りなさいよ。そこに土下座してすいませんでしたって」

「この俺がそんなことするわけねえだろ。バカじゃねえの?」

「あんったねぇ!さっきまでのしおらしい姿はどこ行ったのよ!」

「うるせえな。知らねえよ。おら、早く行けよ。信号青だけど?」

そういって玲は、再びあたしに視線を向けてくる。

口の端を少しあげて。

せっかくひとが感慨に耽ってやったっていうのに、なんなのこの態度?!

ついさっきまでの態度とは一変して、いつもの小憎(こにく)たらしい玲の姿。

だけどほんの少しだけいつもと違う。

玲から醸し出される雰囲気が、おばあちゃんと同じように柔らかく感じる。

そう感じたのは、あたしの思い過ごしだろうか…


ブブーッ。と、後続車から鳴らされるクラクション。

あたしはそれに、

「うっさいわね、わかってるわよ!もう、ムカつくっ!!」

そんな言葉を吐き捨てて、アクセルを踏み込んだ。

隣りの席では、玲がおかしそうに声を立てて笑っていた。



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