*Love Game Side-Rei





俺はあてどもなく夕暮れの街を彷徨っていた。

何も聞こえない、何も見えない。

行き交う人間と度々肩がぶつかり、よろめきながらもまた前に進む。

どこに向かうでもなく、ただ呆然と地面に視線を落としたまま。


ばーちゃんの余命がハッキリ宣告されたのは、病院に担ぎ込まれた次の日だった。

『長く持って3ヶ月…おばあさまはお年を召していらっしゃるので、免疫力が低下し肺炎などを併発する恐れがあります。そうなった場合、非常に危険で…助かる可能性は…――――』

耳を塞いでしまいたかった。

できることなら聞きたくなかった。

こんなこと…受け入れたくなんてなかった。

いや、俺は今もまだ受け入れられずにいる。ぐるぐると頭の中を旋回したままだ。


俺のせいだ…

ばーちゃんがあんな深刻な状態になるまで追い込んでしまったのは。

もっと早く気付いていれば…

もっと早く病院に連れていっていれば…

ずっと具合が悪いのを知っていたはずなのに。

年のせいじゃよ。という言葉に軽く流してしまっていた。


最低じゃねえか…


ずっと俺を支えてくれていたのに。

ずっと俺を護ってくれていたのに。

俺は何一つ返せていない。

心配ばっかかけて、苦労ばっかさせてよ…


なんで母親(おまえ)は、俺なんかを産みやがったんだよ。

俺なんて存在しないほうが良かったじゃねえか。

母親(おまえ)にとっても、父親(あいつ)にとっても、ばーちゃんにとってもよ…


ドンッ!!


と、一際激しく肩がぶつかる。

それでも前に進もうとした俺の肩を、誰かがグイッと掴んで引き戻した。

「おいっ。ぶつかってきといて、侘びのひとつもねえのかよ」

どうやらぶつかった相手らしかったが、どうでもいい。

俺は何も言葉をかけずに手を払いのけてまた歩きだす。

するとまた肩を掴まれ、先ほどより強く引き戻された。

「てめぇっ!聞いてんのかよっ!!」

「…っせぇな。俺に触れんじゃねえよ」

今の俺に構うんじゃねえよ。

なに言われたって理解なんかできねえっつうの…

「あぁんっ!?ぶつかっといて、その態度はなんだよ!!」

「うるせえっつってんだろ。失せろ…」

俺はもう一度肩を掴んでいる手を払いのけると、力を宿していない眼(まなこ)で相手を見据える。

その姿が少し異様に映ったのか、相手の男が怯んだ表情を見せた。

だけどそれは一瞬で。

次の瞬間には、

「…んだと、てめぇ。生意気な口利いてんじゃねぇっ…よっ!!」

そんな言葉と共に胸倉を掴まれ、ガツッ。という衝撃のあと、俺の体が地面に飛ばされていた。

頬を殴られたのだと理解したのは数秒後。


ムシャクシャする。

何もかもがどうでもいい。

どうなったって構いやしない。


荒れていた頃の俺に逆戻りだった。

見境なく相手に突っ込み、自分を痛めつけながら同等の痛みを相手に与える。

やられるのは、俺なんてどうなったっていい。という自暴から。

やり返すのは、やり場のない感情をぶちまける場所がない憤りから。


俺は無意識に立ち上がり、こちらに背を向けて歩き出した相手の男に掴みかかる。

ボディに一発、体がくの字に折れたところで顔面に一発。瞬殺の如く拳を埋めた。

意識を飛ばして地面に崩れ落ちていく男の姿と、その友人らしき男達がギョッとした表情を浮かべたのが視界に映る。

それからはもう、滅茶苦茶だった。

俺の中で色んな感情が渦巻き、もう自身ではコントロールできなかった。

逆上した4.5人の男達が、仕返しと言わんばかりに俺に掴みかかってくるのを受けてたつ。

殴られたら倍にして殴り返し、蹴られたら3倍にして蹴り返して。

今の俺の体はどんなに殴られようが蹴られようが、痛みなんて感じなかった。


ばーちゃんが俺の為に耐えてきた痛みはこんなもんじゃねぇ。


不意に、俺に心配かけさせまいと、笑みを絶やさなかったばーちゃんの姿が脳裏を過る。

ばーちゃん…俺を置いていくなよ。

ばーちゃんがいなくなったら、俺はどうすりゃいいんだよ。

だけど、こうなったのも俺のせいなんだよな。

心配かけて、苦労させて…

ごめんな、ばーちゃん。



俺、生まれてこなきゃよかったよな…



***** ***** ***** ***** *****




道の脇に腰を落とした俺の姿は、酷い有様だった。

右目は瞼が腫れあがっているのか、視界が少し遮られているし、口の中はネバネバとした液体が
はびこり、鉄の味が広がっている。

相当口ん中、切ってんだろうな…

ボーっとそんな事を考えつつ、背中を壁に預ける。

どうなって事態が治まったのかハッキリ覚えていないけれど。

徐々に騒ぎが大きくなって。

俺らの周りには円のような空間がいつの間にか出来上がっていた。

避けて通るやつもいれば、遠巻きに見ているやつも出てきて。

その中の誰かが、警察だ、警察を呼べ!って叫びやがったんだっけ…

それを聞いた奴らが、チッ。もういいよ、行こうぜ。こんなヤツ相手にしてんのなんて時間の無駄じゃん。そう吐き捨て意識を飛ばした半数の男を、残りの男たちが肩を担ぎながら引きずって行く姿はなんとなく覚えている。


どうでもいいや…別に。


「めんどくせぇ…」


意味もなく自分の口から、ポツリと漏れたその時だった…


「ちょっと、あんたこんな所で何やってんのよっ!!」


そんな言葉と共に、聞き覚えのある声が耳に届く。

それが誰だと確認しなくても、その声だけで誰だかわかる。

……唯。

また、絶妙なタイミングで現れやがるな。

あぁ…そういえば。以前にもこの先の場所で唯に偶然会ったことがあったっけ。

確か、男に絡まれてるところを助けてやったとき。

この近くの会社だっつってたっけな…唯が勤めてるの。

会社帰りか、コイツ。

ったく、笑える。

またこんな状況のときに、偶然会うなんてよ。


唯は俺に駆け寄り前でしゃがみこむと、小さなバッグからハンカチを取り出し、俺の口元の血を拭い
取りながら、なにやってるのよ。と、もう一度呟く。

何やってるって…?

「別になんもやってねえよ…お前に関係ねえだろ」

「何もやってないって…じゃあ何、この醜い姿は。喧嘩でもしたんじゃないの?」

「関係ねえって言ってんだろ、うっせーな」

俺の口元を拭っている唯の手を、パン。と払うと、徐に立ち上がって歩き出す。

「ちょっと待ちなさいよ。なによその言い方!ガキのクセに生意気な口利いてんじゃないわよっ!!」

唯もまた立ち上がり、そんな言葉と共に俺のあとを追ってくる。

「あーもう、うっせぇ!放っておけよっ!!」

「なっ!?ちょっと。おばあちゃんが大変なときに、なにやってんのよ。信じらんないっ!」

唯のその言葉で俺の足が止まる。


ばーちゃんが大変なときに…


「……………んだよ…」

「え?」


そんなことおまえに言われなくても…


「お前になにがわかるんだよ。大変なときにだって?そんなの俺が一番よく分かってるっつうんだよ。
それも全部俺のせいだってわかってるよ!迷惑かけて、苦労かけて…俺が存在しても何一ついい事
なんてありゃしねえ。こんな俺なんて生まれてこなきゃよかった…そうしたら、ばーちゃんは…。こんな
ことでもしてなきゃ、やってらんねんだよっ!!」


バンッ!!


大きな乾いた音と共に、頬に痛烈な痛みが走る。


え……?


一瞬なにが起こったのか理解できなかった。

目を見開き、瞬く間に頬に熱が帯びるのを感じながら唯を見る。

先ほどまで痛みなんて感じなかったのに…


「お前になにがわかるか、だって?わかんないわよ、そんなもの!あんたの事を心配してくれてる人がいるっていうのに、こうしてボコボコになってることも、あんたがこの世に生まれてきたことを喜んでくれて、ずっと今まで支えてきてくれた人がいるのに、生まれてこなきゃよかっただなんてバカなことを吐くことも!!」

唯は一旦そこで言葉を区切り、俺を叩いた手に力を込めて拳を作る。

そして、大きく息を吸い込むと、俺を真正面からキッと睨みつけてきた。

「あんたこそ何もわかってないじゃないっ!おばあちゃんが、どんな思いで痛みに耐えてきたと思って
んのっ!?あんたが可愛いから、あんたが大事だから、あんたの幸せを願ってずっと傍で支えてきて
くれてたんでしょっ!!おばあちゃんが一度でも、玲なんて生まれてこなきゃよかったなんて言った?言ってないでしょ?あんなに玲のことを大切にしてくれてるのに、あんたにはそれが伝わってないって
こと?ねえ、今のあんたは何?余計におばあちゃんを心配させるようなことをして…バカなことやってんじゃないわよっ!!」

一気に撒くし立ててくる唯の言葉に、返す言葉が見つからなかった。

呆然とその場に立ち尽くす俺。

そんな俺の前には、怒りからか、肩をワナワナと震わせ目に涙を溜めながら立っている唯の姿が。

この状況に、ふと、俺の脳裏に遠い記憶が呼び起こされる。


そういえば…

遠い昔にも一度だけ、こんな痛烈な痛みを受けたことがあったっけ。

ワザと自分の体を傷つけるように、毎日荒れ狂ったように喧嘩に明け暮れていた頃。

誰の言葉にも耳を貸さず、自暴自棄に陥っていた俺を、ただの一発で正気に戻させた。

ちっちゃな体から放たれた渾身の一撃…。


……なにやってんだよ、俺は。


見失うところだった…自分自身を。

忘れるところだった…大切なことを。

唯が言うように、一番わかってないのはこの俺なんだ。



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