*Love Game





あれから、玲が口を開くことはなかった。

入院の準備をするために一旦玲の家に戻るときも、病室に戻ってからもずっと。

何かをグッと堪えてるように口元を硬く閉じ、表情をなくしたまま、眠っているおばあちゃんを
見続けていた。

そんな玲にかける言葉も見つからず、あたしも同じように口を開けずにいた。


あまりにも惨すぎる。

玲の唯一の支えだったおばあちゃんを奪ってしまうなんて。

玲にはおばあちゃんだけが頼りだったのに…

ほんの僅かな間にも、あたしにとってもおばあちゃんの存在は絶大なものになっていた。

まるで自分の祖母のように思いはじめていて。

支えになりつつあったの…あたしの中でも。


ねえ…

運命は、どこまであたし達を孤独にすれば気がすむのよ…



あたしは、毎日のように病院に見舞いに行った。

会社が終わってからだったり、休日の日はほぼ丸一日いた日もある。

玲とはすれ違いで会うことはなかったけれど、彼も毎日来ているようで、病室に飾られている花が行くたびに変わっていた。

今日もあたしは新しい花束を抱え、病室の前に立っている。

そしていつものように、一呼吸置いてから病室に入る。

そうやって気持ちを落ち着かせてからじゃないと、涙が溢れ出してきそうだから…


「おばあちゃん、気分はどう?」


なるべく自然に見えるように笑みを浮かべて、努めて明るい声を出すあたし。

家族の方はなるべく明るく振舞ってくださいね。と、医師から言われていたのもあって。

おばあちゃんには、病名も余命もまだ告げられていない。

しばらく患者の様子を見てから判断するという形をこの病院はとっているらしい。

あたしも玲も、それに賛成だった。

できることなら何も知らせずにいて欲しいとも思っている。


6人部屋の、一番奥の窓辺のベッドがおばあちゃんの場所。

あたしの姿を見ると、クシャクシャっと顔にシワを寄せながら、ベッドに横たわっていたおばあちゃんが、体を起こしながら笑みを浮かべてあたしを迎えてくれる。

起こしたその体が、また一回り小さくなった気がした。


「あんれ、唯さん。今日も来てくれたんか?ばーちゃんの心配なんてせんかてええのに」

「だってほら。一日でも早く良くなって退院して欲しいじゃない?」

「クスクス。そうかね、それはありがとうねぇ」

「おばあちゃんの作った肉じゃがね、また食べたいの。作ってくれるでしょ?」

ベッド脇に置かれているパイプ椅子に腰掛けて、そう言ってにっこり笑うと、気に入ってくれたんか。と、嬉しそうにおばあちゃんが微笑んでくれる。

実際には、もう二度と口にすることが出来ないかもしれないあの味を思い出すと、自然と目頭が熱くなってくる。

それを隠すように持ってきた花束を、綺麗でしょう?と、おばあちゃんの前に差し出す。

「まぁ〜。また綺麗なものを持ってきてくれたんやねぇ。ばーちゃんが貰うのは勿体無いね。玲もな、
昨日来てくれて同じように花束を持ってきてくれたんじゃよ?」

「そう。玲も昨日来たのね」

チラッと視線をベッド脇の小さな棚に移すと、2つ並んだ花瓶の一つに新しい花が生けられている。

ピンクが基調の、可愛らしい感じの花束。

そして偶然にもあたしが持ってきた花束も同じようにピンクが基調。

何故か少しだけ笑えた。

「ほんに、あんたたちは仲がええねぇ」

おばあちゃんも同じところに目が止まったのか、そう言いながら、クスクスと可愛らしく笑みを漏らす。

「もう、やめてよ。仲がいいなんて」

あたしは苦笑を洩らしながら、手を小さく左右に振る。

それを微笑みながら見ていたおばあちゃんが、暫くの間を置いてポツリと零した。


「ばーちゃんも…これで心残りなく、じーちゃんのところへ逝けるのぉ」


そのおばあちゃんの突然の言葉に、一瞬にして自分の体が凍りつく。

「おばあ…ちゃん?」

「自分の体のことは、自分が一番ようわかっとるよ」

「な…に、言って…っ!?」

戸惑うあたしの手を、ギュッと小さな手が握り締める。

シワだらけの小さな手…だけど、何故か大きくて温かい…。

「ばーちゃんに気を遣って笑顔を絶やさんでいてくれる唯さんの優しさ、ばーちゃんはとっても嬉しいよ、ありがとうね」

「おばあちゃん…」

あたしを、まっすぐ見つめるおばあちゃんの眼差し。

その奥には、完全なる悟りが見受けられる。

このひとは本当に気付いている…自分の死期が近づいていることを。

そしてそれをもう既に、受け入れているんだ。

そう感じた瞬間に、あたしの胸の奥からいいようのない熱いものが込み上げてくる。

だけど、あたしの口からはそれを肯定する言葉は出てこなかった。

いや、出せなかった。


言葉だけでも、否定し続けたかったから。


「今まで、ばーちゃんに何かあったら玲が一人ぼっちになってしまうと心配だったんじゃけど、これからは、玲には唯さんがおってくれる…ばーちゃんは安心じゃよ?」

「やだ、もう…変なこと言わないで、おばあちゃん」

「唯さんにも玲がおる。そうじゃろ?」

「ね…ねえ、もうこの話やめよ?…おばあちゃんは大丈夫だから…心配ないから…」

自分に言い聞かせるように零した言葉。

込み上げてくる涙を抑えるのに必死だった。

それでも、おばあちゃんはやめようとはしてくれなかった。

「2人とも、ひとを愛することに臆病にならんでもええ。親の重荷を背負わんでもええ。おまえたちはおまえたちの道を歩めばええんよ。自分の気持ちを誤魔化したらいかんよ?」

「おばあちゃっ…!!」

おばあちゃんは握り締めた手をそっと離すと、腕を伸ばしてあたしの体を包み込む。

まるで柔らかいベールであたしを包み込むように優しく、それでいて力強く。

「愛し方がわからんのなら、抱きしめてやればいい。誰かを包み込めるということは、その人を愛せるということ。ひとの温もりを感じることができるなら、愛することがきっとできる…これは、ばーちゃんが
死ぬまでにおまえたちに伝えたかったこと。ばーちゃんは一番に2人の幸せを願っとるからね?」

あたしの体を包み込む、優しくて心地よいおばあちゃんの温もり。

鼻を擽るおばあちゃんの香り。

背中をさすってくれるおばあちゃんの手の感触。

それまで耐えてきた涙が、堰を切ったように溢れ出す。

「泣かんでもええよ、唯さん。ひとは誰でもいつかは死ぬ。この老いぼれの死を悲しんでくれる優しさがあるなら大丈夫じゃね。安心して玲を任せられる」

「死ぬ…なんて言わない、でよ。ダメよ…ダメなの。玲にはまだおばあちゃんが必要なの。あの子をまた一人になんてしないで…あたしみたいに孤独を味わわせないでよ…」

「クスクス。何を言っとるの。もう、玲は一人じゃないじゃろ?そして、唯さんも」

「あたしたちじゃダメ…なの。どうすることもできないのよ…」

「そんなことありゃせん。簡単なことじゃないかね」

「ぇ…」

「自分の気持ちに素直になればええんじゃよ」


――――自分の気持ちに素直に…


そう、言葉にするのは簡単だ。

普通に生きてきた人間ならなんの躊躇いもなしにそうできるだろう。

だけど、あたし達は違う。

色んな柵(しがらみ)を背負って今まで生きてきた。

そんな簡単になれるものじゃない…


いくらおばあちゃんがそれを望んでくれても…


「無理よ…。あたしにはきっと無理…」

「無理?どうして?」

「……いの…怖いのよ。裏切られることが。捨てられてしまうことが…」

「きっと、玲もそうじゃろうね。あの子も小さな頃に心に大きな傷を負ってしまった。ばーちゃんと一緒におっても、多分それを拭い去ることはできんかったじゃろう。そやけどね、そんな2人だからこそ支えあって生きていけるんじゃないかね?」

「でもっ…」

「もう、玲も唯さんも心のどこかで気付いとるはずじゃよ?互いに惹かれおうとることを」

おばあちゃんは少し体を離すと、ニッコリと優しく微笑んでくる。

その向けられた視線からは、どこかしら見透かしたように確信めいたものが感じられる。

あたしはそれに答えられずに口を噤んでいると、ばーちゃんは何でもお見通しなんじゃよ?と、可愛らしく笑った。


おばあちゃん…


なんて大きなひとなんだろうって思った。

自分の体を病が蝕んでいるにも関わらず、笑顔を絶やさず気丈に振る舞い、一番にあたし達の事を
考えてくれている。

優しい温もり。

優しい笑顔。

なによりも大きくて力強い大地のようなその存在。

それらに触れて、少しずつあたしの中が変わりはじめている。

少しずつ、幸せだった頃の自分に戻ろうとしている。


あたしはもう…誤魔化すことはできないのかもしれない――――



「唯さん?玲のこと頼みますね。あの子は本当に心の優しい子なんじゃよ。きっと、ばーちゃんがこうなったのも、自分のせいだと思うとるに違いない。そのせいでまたヤケを起こさないかとそれだけが心配での…」

そう言っておばあちゃんは、少しだけ悲しそうに笑った。

少し…その言葉が引っかかった。


また、って…



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