*Love Game





自分の耳を疑った。

そして間違いであって欲しいと心から願った。



恐る恐る玲からの電話に出たあたし。

何を言ってくるんだろうかと、少し構えていたあたしは、ひどく弱々しい玲の声に戸惑いを覚える。

そして玲の言葉で一瞬にして、状況が一変した。


『……唯?……ばーちゃんが……倒れたんだ…』

「………えっ、なっ…うそでしょっ?!」

『いま、病院…』

「え…うそでしょ?ね、ねぇ…冗談はやめてよ」

『こんなこと、冗談で言えるかよ……』

「ホントなの?…おばあちゃんは?おばあちゃんは今どうしてるの?大丈夫なの?」

『わかんねぇ…』

「わからないって…ねえ、どこの病院?あたしも今すぐ行く!」


先ほどまで悩んでいたことなんて、一気に頭の中から消え去っていた。

ドクドクドク。と、嫌な速度で打ち始める鼓動を抑えることができなかった。


どうして…どうして急に?

なにがあったの?おばあちゃんに何があったの?


あたしはホテルの前でタクシーを拾い、玲から聞いた病院へと向かった。

息を切らせながら手術室の前へと辿り着くと、そこにはうな垂れた様子で身じろぎ一つせずに長椅子に座っている玲の姿があった。

薄暗い廊下。

誰一人としていない静かなその場所に、玲が一人ポツンと座っている。

処置はもう終わったのだろうか。

先に見える非常口の緑のランプと、廊下を照らしている小さな明かりだけが、ポツリポツリと灯っている。


「……れ、い?」


ヒールの音が響いていたのに気付いていなかったのか、戸惑い気味にかけたあたしの声で、玲がふと顔をあげる。

刹那、少しだけ自分の唇が疼いた気がした。

少しだけ、戸惑いが横切った。

だけどそれも一瞬で、すぐに自分の中からかき消した。

自分の視界に映る玲の姿に、そんな事、今はどうだっていい…そう思ったから。

顔面蒼白に見える彼の顔。

そこにはいつもの小憎(こにく)たらしい様子など見る影も無い。

玲はあたしの姿を確認すると、ほんの少しだけ安心したような表情を見せ、あぁ。と、呟いてからまた視線を廊下に落とした。

玲らしからぬ姿。すごく嫌な予感がするのは気のせいだろうか。

あたしはごくりと喉を鳴らし、息を整えつつゆっくりと玲に近づく。


「さっき…病室に移されたよ…」


問いかける前に、ポツリと零れた消え入りそうな玲の声。

あたしはそれに、そう…。と応え、玲の隣りに腰を下ろす。


「大丈夫…かな。おばあちゃん…」

「……………」

「なにが原因…だったの?」

「…わかんね…あとで説明することがあるから暫くここで待ってろって医者が…」


玲はそういって、深く息を吐き出す。

心なしかそれが震えているように思えた。

ある種の覚悟をしているのかもしれない。

あとで説明することがあるから…なんて。遠まわしな言い方。

その場にいなかったあたしでも、大体の想像ができてしまう。

それが望んではいない話なのではないか、と。


重く苦しいほどの沈黙が流れる。

こんな時どうしたらいいのか、どう声をかけたらいいのか、どうしてあげたらいいのか。

その術(すべ)をあたしは持ち合わせていない。

それがもどかしくて仕方なかった。

玲の不安が痛いほどよくわかるのに、どうすることもしてあげられない。

不安を共感することしかできないあたし。

それがどれほど玲の支えになっているのかといえば、きっとなんの役にもたっていないだろう。



静寂の中、遠くからペタペタとスリッパの擦れる音がこちらに向かって響いてくる。

落ち着きかけていた鼓動が、再び騒ぎ出す。


「随分と待たせてしまって、悪かったね…」


そんな声と共に目の前に現れたのは、白衣を羽織った温厚で人当たりのよさそうな医者だった。

彼はあたしの姿を見て、おや?という表情を浮かべて、お姉さんですか?と聞いてくる。

何も反応しない玲に代わって、あたしは即座に答えていた。

「はい、姉です」、と。

「そうですか、それはよかった。ご両親は不在だとお聞きしていたので、どうしたものかと思案していたのですが…説明しないわけにもいきませんしね。お姉さんも一緒なら…では、あちらで説明いたしますので来ていただけますか?」




***** ***** ***** ***** *****





あたし達は案内された部屋に向かい、並んで椅子に腰掛けた。

目の前には数枚のレントゲン写真が掲げられている。

それを見ただけでも、恐怖めいた感情に襲われるのはあたしだけだろうか。


「色々と…今夜できる範囲での検査をさせていただきました」


対面に座った医師が、あたし達に視線を向けて徐に口を開く。

そしてどこか言葉を選んでいるように間を置いてから、大変申し上げにくいのですが。と、意を決したようにポツリと零した。

握り締めた拳に力が入る。

隣りに座る玲も俯いたままだったけど、身を硬くしたのがわかった。


「今現在おばあさまの身体は、ガンに侵されています。それも至るところに転移していて、非常に危険な状態にあります。正直、ここまで広がってしまいますと、私どもも手の打ちようがないんです…」

「つまりそれは…」

この部屋に入るまで押し黙っていた玲が、医師の言葉を遮るように声を押し殺すように呟く。

それを受けた医師も、辛そうな表情を浮かべて視線をあたし達から少し外した。

そして、再び視線を戻してくると決定的な宣告をする。


「つまり、末期がん…ということです」


頭を鈍器で殴られた気分だった。

末期がんって…

それって…助からないってこと?

近いうちにおばあちゃんが死んでしまうってこと?

そんなことって…それじゃ玲が…


「どれぐらい…ばーちゃ…祖母は、あとどれぐらいの命なんですか?」

「それは…ハッキリとしたことは今の段階では申し上げられません。もう少し詳しく調べてみないことには…」

「そう…ですか…」

「あのっ…助かる可能性は…」


すがる気持ちで発したあたしの言葉に、医師は悲しげに小さく首を振る。


「残念ですが、ここまできてしまうと私たち医師にできることは、痛みを取り除いてあげることしかできません」

「痛む…んですか」

俯き加減だった玲が、ハッとしたように顔をあげる。

「個人差はありますが…かなり痛むと思います。人によっては耐え切れないほどの痛み。おばあさまにもこれまでに、その痛みが何度か襲っていると思うのですが、そういった症状は見られませんでしたか?」

「いえ…少し具合が悪い程度にしか…」

そう力なく呟いた玲の表情が辛そうに複雑に歪む。

あたしだってショックだった…

いつだってあたしに見せる顔は、穏やかで優しい笑みを浮かべたおばあちゃんだったから。


ねえ、おばあちゃん…

内側で痛みに耐えながら、あたしを嬉しそうに招き入れてくれて、楽しそうにあたしの話を聞いてくれてたの?

こんな見ず知らずの赤の他人のあたしの為にまで…どうして…


「そうですか…あなた方に心配させまいと、耐えていらしたのかもしれませんね…」


その医師の言葉が深くあたしの心に響く。

それから暫く医師から色んな説明を受けたけれど、実の所その半分も頭に入っていなかった。

あまりにもショックが大きすぎる。

途中で感極まって泣き出しそうになったぐらいだ。


玲は、医師からの説明を一通り聞き終えると、お世話になります。と、一礼してから部屋を出て行く。

あたしもそれを追うように礼を述べてから部屋を出た。

玲もあたしも、終始無言で廊下を歩く。

カツン、カツン。と、あたしのヒールの音だけが薄暗い廊下に響いている。

きっと玲はあたし以上に、ショックが大きいに違いない。

今まで彼の支えとなってきた存在の死の宣告。

その重圧がどれほど彼に圧し掛かってるのかなんてあたしにはわかるはずもない。

だけど、わかることも少しだけある。


自分がまた置いていかれるという恐怖感。

また一人にされてしまうという孤独感。


少し前を歩く玲の後姿が、昔の自分と重なって映っていた。



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