*Love Game





「あ…美味しい、この肉じゃが」

厚かましくもおばあさんの好意に甘えて、夕飯をいただいているあたし。

どこか懐かしさを感じさせるその味に舌鼓をうちながら、至福のひと時を味わう。

そのあたしの前には、ニコニコと嬉しそうに笑っているおばあさんの姿と、超不機嫌そうな顔で黙々と箸をすすめている玲の姿。

先ほどまでの、あたしの家で見せていた表情とは打って変わっての顔に自然と笑いがこみ上げてくる。


この展開、玲にとっては計算外だったんでしょうね。

だけど、あたしにとっては好都合。

今まであたしばかりがさらけ出してたモノを、今度はあたしが収集させてもらうわよ?

覚悟してなさい。


そんな事を胸の内に秘めつつ、肉じゃがやほうれん草のおひたし、ひじきのたいたものなど、普段口にしないようなモノを頬張っていた。

「そうかね。美味しいかね…そりゃ嬉しいねぇ。いつもばーちゃんの料理を食べてくれるのは玲しかおらんから、こうして誰かが美味しいって食べてくれるのは本当に嬉しいよ」

「え…玲しかって…ご両親とかもいるでしょう?」

ごく自然な流れだったと思う。

けど、不自然に流れるこの場の空気。

玲は押し黙ったまま肉を頬張り、おばあさんは少し悲しそうな笑みを浮かべる。


なに…聞いちゃいけない質問だった?


それから暫く不自然な沈黙が辺りを漂い、玲の箸をすすめる音とお味噌汁をすする音だけが響く。

「…ねぇ、おねーさん?あんまり食いすぎると帰ってからあのカレーライス、食えなくなっちゃうよ?」

沈黙を破ったのは玲だった。

彼はまたあの不敵な笑みを口の端に浮かべながら、そうサラリと呟いてくる。


リセット…したってわけね。

さすがに兵(つわもの)だわ…ここまでくると。

一瞬怯んだように見えてもすぐに頭の中のデータを作り変えて体勢を整えてくる。

だけど、なにがそうさせてるんだろう。

いつだって相手に隙を見せようとせず、一つの大きな殻に閉じこもってるように思える彼。

コイツの芯に根付いてるものって一体……


「おや。お嬢さん家はカレーライスじゃったんかね。玲も大好物じゃもんね、カレーライス。お嬢さんが作りなすったんか?」

「え?えぇ…まぁ…」

そう言葉を濁して返事を返すと、ククク。と、また玲が含み笑いを見せる。

「ちょっと…なんで笑ってんのよ」

「え?別に…アレも手作りって言うんだって思って」

「失礼ね!ワザワザお湯を沸かして温めてあげたでしょうが。それに、材料さえあればなんだって作れるって言ってるでしょう?」

「ふ〜ん…どうだろ。唯に料理が出来るなんて思えないんだけど?」

「見た目で判断しないでくれる?これでも長年一人で生きてきたのよ…甘く見ないで欲しいわね」

「おや…お嬢さんは一人暮らしでもされてるんかな?確かさっき玲の友達の…」

おばあさんのその言葉に、しまった!と、つい顔が歪む。

「いや、あの…一人暮らししてるんだけど…今日はちょうど実家に帰ってて…その…ねぇ?」


なに、あたしってば必死になってフォローしてんのかしら。


同意を求めるように玲に視線を動かすと、彼はいたって冷静に、そうそう。とだけ返事を返す。


なんか…ムカツク。


「そうかね。そやけどばーちゃんはちょっとだけ玲の彼女かな?とも思ったんじゃけどね…ホレ、おまえさん達仲がええし」

「よくねぇ!」
「よくない!!」

2人同時に言葉を発し、思わず互いに口を噤む。

それに対しておばあさんが、ホレ仲がええに。と、おかしそうに声を立てて笑う。

そして、そのまま少し何かを企んでいるような表情を見せた。

「実はな。ばーちゃんの勘では、玲の友達のお姉さんでもないと思うんじゃけど…?」

意外に鋭いわね、このおばあさん。

どう切りかえそうかと考えていたら、先に玲が口を開いた。

あたしに鋭い視線を向けながら。

「あー、まぁ。こんなこと嘘ついても仕方ないか。そうそう、友達ってところかな。時々遊んでもらってるんだ。彼女では決してないけどね」


またあんたも素直に吐くのね。

おばあさんの前では嘘はつけないってところなのかしら?

クスクス…笑っちゃう。本当におばあさんの前では素直な子なのねぇ、玲クンは。

その目。これ以上余計な事を言うんじゃねえよって感じの目ね。

そうよねぇ。彼女じゃないけど、セックスして遊んでるんだ〜。なんて、言えないものねぇ?

いいわよ?今だけ乗ってあげる。面白い物を見せてもらったお礼にね。


あたしも意味深な視線を玲に向けながら、そうなの。嘘付いてごめんなさいね。とだけ返した。

それを聞いたおばあさんは、やっぱりそうかね。と嬉しそうに笑い、続けて、彼女じゃないんか、つまらんねぇ。と、零した。


何を期待してるんだ。


「玲ももうイッパシの男じゃから、彼女を作ってもええと思うのに中々できせん。いつも家におって友達も連れてこんし。ばーちゃんが言うのもなんじゃけど、この子は本当に心の優しい子じゃからすぐに彼女が出来ると思うんじゃけどなぁ…なんで出来せんのじゃろ?」


そりゃあねぇ?…性格に問題があるでしょう。この子の場合。

ひん曲がったこの子の性格…どういう育ち方したのかしら。

……って、あたしが言うのもなんだけどさ。


「人を愛することに臆病にならんでもえんじゃよ?玲。おまえの両親は少し愛し方を間違ってしもただけ…おまえはおまえの人生なんじゃから、それを背負って生きんでもええ…」

「ばーちゃん!その話は、もういいから…」

「あぁ、そうじゃね。お嬢さんには関係のない話じゃもんね…歳をとるといかんね、口が軽うなってしもて…」

そう言って自嘲気味に小さく笑うおばあさん。


なにか引っかかる…この会話。

『おまえの両親は少し愛し方を間違ってしもただけ…』

『それを背負って生きんでもええ…』

先ほどの両親の話題に触れた途端に変わった空気。

おばあちゃんと、玲の2人しか生活していないようなこの空間。

そして、今の会話……もしかしたら、玲も…?


その疑問が確信に変わるのに時間はかからなかった。


玲がトレーナーに着替えて来ると部屋に戻ってる間に、後片付けを手伝っていたあたし。

こうして流し台に誰かと並んで立ったのなんて何年ぶりだろう。

そんな事を思いながら、あたしの肩よりもまだ低い存在にそっと視線を移す。


この人が玲のおばあちゃん。

小さくて可愛らしくて…まるで絵本に出てきそうな感じ。

発せられる声は穏やかで、どこか安心させられる心地よい声。

傍にいるだけでどうしてだろう…不思議と自分が穏やかな気持ちになっていく。

まるでなにか大きな温かいものに包み込まれているような…そんな感じ。

こんなに優しそうで温かみのあるおばあちゃんなのに、一緒にいる孫はあんなにも性格がひん曲がってるなんて。

益々謎なガキだわ…塩谷玲って。


「あの、美味しいご飯をご馳走になったから、お礼に洗い物はあたしがしちゃうから、おばあちゃんは座ってて?」

「お客さんにそんなことまでしてもろたらバチがあたるさかい、気にせんかてもええよ?」

「いいの、いいの。あたしこそご馳走になってこれぐらいしなきゃバチがあたっちゃうもん」


……あたしらしくない受け答えだわ。

バチがあたっちゃうもん。だなんて…今まで一度も思った事ないくせに。

なんだか、おばあちゃんワールドに引き込まれそう。


「そうかね?じゃあ、お言葉に甘えて。唯さん…とか仰ったかね。あんたはOLさんかなにか?」

おばあさんはニッコリと笑みを向けてから、曲がった腰をトントンと叩きながら伸びをすると、後ろの椅子にちょこんと腰掛ける。

「えぇ。車関係の会社で事務員をしてるの」

「ほぉ…車関係の仕事を?それで、結婚とかしとるんか?」

「クスクス。まさか。さっきも言ったように一人で暮らしてるし…それに、あたしは一生一人身で生きてくつもり」

「あれま。また寂しいことを言うんじゃね。好きな人とかおらんのか?」

「いないわ。人を好きになって溺れていく様ほど滑稽なものはないって思ってるから」

そのあたしの言葉を聞いて、おばあさんは暫く黙り込むと、そうかね。と、力なく呟く。


なんでだろ…おばあちゃんと話していると、不思議と素直な自分になってる気がする。


今まで聞かれたらそれなりに応えていたけれど、自分から切り出したことのない事情までも、すんなりと口から出てきはじめる。

「あたしのね、両親がいい見本よ?将来を誓いあって家庭を築きあたしを産んだくせに、父親は若い女に溺れて母親はそれに反発して男を食い漁ってる。バカな親…自分の娘を捨ててまで私利私欲に走ってるんだもん。笑えちゃうでしょ?」

「あんたも…玲と一緒で辛い運命を背負ってしもたんじゃね…」

「……へ?」

おばあさんは一旦間を置いて話を区切ると、ポツリポツリと言葉を漏らす。

「玲の母親もな、男のあとを追いかけてばかりのどうしようもないヤツじゃったよ。ワシのせがれ…玲にとっては父親じゃね。その父親も情けない男でな。嫁が出ていったあと、精気を抜かれたようになんも手につかんくなって自己破産にまで追い込まれてしもてからに。大切に護らないかん玲がおるというのに蒸発してしもて未だに行方が分からん。ホントに、ばーちゃんは情けのうて涙が出てくる」

そう言って涙ぐむおばあさんに、洗い物もそこそこに慌てて駆け寄ると、そっと手を握り締められる。

「お、おばあちゃん?」

「そやけどね、ばーちゃんは人を愛するという事は愚かなことではないと思うとるよ?人は愛し、愛されて、そして強くなれる。人を愛することで気持ちが豊かになり幸せにもなれる。人間じゃから、おまえたちの両親のように間違った愛し方をする者もおる。じゃけど、その愛し方を間違わなんだら、こんなに素晴らしいことはないとばーちゃんは思うよ?」


何故か握られた手がもの凄く痛かった。

あたしの手よりも小さくてシワくちゃなその手は、すごく温かくて大きくて。


「あんたも玲も、人を愛することに臆病にならんでもええ。親の作った重荷を背負わんでもええ。唯さんの人生は唯さんのモノなんじゃから…人に愛される喜びを知って、人を愛する幸せを知って欲しい。ばーちゃんは唯さんの幸せも願っとるよ…」

そう言って、最後にギュッと手を握り締めてから、おばあちゃんは手を離す。

おばあちゃんの温もりが残る掌に、フッと風が横切って行った。



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