────戸田さん、俺…
長瀬君はあのあと何を言おうとしたんだろう。
私を抱きしめて…私の頬に手を添えて……あれは一体…?
考えれば考えるほど目が冴えてしまってなかなか眠ることが出来なかった私。
布団の中で何度も寝返りを打ち、その度にため息が一つ漏れる。
気づいた頃には窓の外がほんのりと明るくなっていた。
あぁ、もう…朝になっちゃったよぉ…少しでも眠っておかないと、またドジを踏んでみんなに迷惑をかけちゃうっ!
気持ちを切り替え、目を瞑って無理やりにでも眠ろうと試みる。 だけど全く訪れてくれない私の睡魔。
ゴロゴロと体の向きを変えて、頭の位置も変えてみる。
だけど……
うにゃぁ、ダメだ。やっぱり眠れない!!
もう、どう足掻いても無理だと思い、眠ることを諦めて目だけは瞑っておこうと目を閉じた。
シーンとした静けさの中に、みんなの気持ちよさそうな寝息が聞こえてくる。
それに暫し耳を傾けていると、心が落ち着いてきたのか自然と落ち始める私の意識。
あぁ、なんだか眠れそう…。と、ウトウトとし始めた時、突然誰かに体を揺さぶられた。
「……美菜、起きて。お風呂入りに行くわよ!」
「え、恵子?…ちょっ…」
ちょっと、待って。 私、たった今、寝かけたところなんですけれどっ!?
やっと眠れそうだったのに、どうして起こすんですかーっ!!
「ほら、早くぅ。 起きて、起きて!」
「なっ!やっ…お風呂って、こんな朝早くに?ヤだよぉ…」
「何を言ってるのよ、美菜。こんな朝早くって、六時だよ?普通じゃん。 ほら、いつまでも寝てないの!行くよ?」
いや、だから…寝てないんですってば。
しかも六時って普通じゃないしっ。 いつもならまだ寝てるしっ!!
恵子っていつも一体何時に起きて用意してるのよ…
「う〜〜、ヤダぁ…恵子一人で行っておいでよ。 私、まだもうちょっと寝るぅ…」
「ダ〜メ! 女がお洒落に気を遣わなくなったらおしまいだよ? 美菜も朝風呂に入って気合を入れなくちゃでしょ? ほ〜ら、早く!!」
「うにゃぁ〜〜っ。ヤダぁ〜〜〜っ」
お願いだから、少しでも眠らせて〜〜〜〜っ!!
結局、私は恵子に無理やり起こされて朝風呂に連れ出されてしまった。
体調は最悪。 すこぶるよろしくない。
体はだるいし、頭は重いし、何よりも寝不足のせいで瞼が超重い。
やっと眠りかけたこの体。 今はお洒落に気を遣うより、睡眠を優先させたかった。
「ちょっと美菜、元気ないわねぇ。そんなに朝が弱かったっけ?」
「え〜?ん〜…弱くはないけど…いつもこんなに早起きさんじゃないもん。 あと一時間は眠りたかったぁ〜」
恵子に昨日の出来事を打ち明けようかと迷ったけれど、何故か言い出すことが出来なかった。
今、私が長瀬君に告白をしたんだって言えば、きっと恵子は驚きながらも喜んでくれると思う。
そのせいで昨日眠れなくて寝不足なんだって言えば納得もしてくれるだろうし、いろいろ相談にも乗ってくれるだろう。
だけど結局、本人に聞くのが一番早いって!なんて言いながら、そのまま長瀬君のところへ連れて行かれそうで言えなかったのかもしれない。
「なによ、もう。張り合いのない声を出しちゃって。 もっと気合を入れて頑張らなきゃ駄目でしょう?」
「気合って言われてもぉ…なんか、疲れちゃったんだもん…」
体などを軽く洗い終えた私は、先に湯船に浸かって洗い場で顔を洗っている恵子を見ながらため息混じりに返事を返す。
早朝だからか、お風呂に入っているのは私たち二人だけで他に生徒はいない。
いつもの私ならこの状況に嬉しがって泳いだりするんだけど、今ははしゃぐ気にさえならなかった。
「はぁ?何を言っているのよ、美菜。まだあと一日あるのよ?今からそんな事でどうするの。 今日は二人一組になって課題をやらなくちゃいけないし、まだまだ他にも予定は満載なのよ?」
「だねぇ…」
「なぁに、その拍子抜けした声は? はぁ…今日の課題は私が直人と、美菜が長瀬となるように設定してあげるから元気出しなさいって!」
「えぇっ!!いっ、いいよぉ。私は恵子と一緒で。 私、ドンくさいから長瀬君に迷惑がかかっちゃうもん…」
「何よ、美菜。 私だったら迷惑をかけてもいいっての?」
「やややっ…そういうわけじゃないけれど…」
今は長瀬君と二人にされたら本当に困るんですよ。
昨日あんな事があった手前、長瀬君の前でどんな顔をしたらいいのかわからないし…
それよりも何よりも彼の反応を改めて見るのが怖かった。
会った瞬間、嫌な顔をされたらどうしよう、とか。
全く話もしてくれなくなったらどうしよう、とか。
あの笑顔さえも見れなくなってしまったら、私は…
そんな事を考えると、顔を見る前から怖気づいてしまう。
長瀬君の前で普通でいられる自信がない。
だから、絶対に長瀬君と二人にはなりたくなかった。
やっぱり、告白なんてするんじゃなかった。と、今さらながらに激しく後悔。
「ねえ、美菜。どうでもいいけど、さっきからずっと浸かりっぱなしでいい加減に出ないと湯あたり起こすわよ? ここのお湯、結構熱いんだから」
「へ?…あぁ、うん。そうだね、もうあがる…」
鉛のように重く感じる自分の体を起こして立ち上がる。
瞬間、グラッと視界が大きく歪んだ。
あっ、あれ? からだが…いう事を…聞いて、くれない?
意識が霞み行く中、視界がどんどん斜めに傾いていくのがわかる。
え…目の前が…────バシャンッ!!────軽い衝撃を体に感じたあと、私の意識がそこで途切れた。
「え…美菜? きゃあぁぁぁっ!!ちょっと、美菜ぁっ!!!」
「はぁぁっ。もう、美菜っ!びっくりさせないでよ!!」
「うぅ…ごめんちゃい…」
どうやら私は軽い貧血と湯あたりを起こしてお風呂の中で倒れてしまったらしく、気がつくと割り当てられた部屋で布団に寝かされた状態にいた。
まだ、頭がボーっとしている。
全身の血の気が引いているような感覚で、肌が若干痺れているような気もする。
恵子の声もどこか遠くに聞こえて、まるで夢を見ているような感覚だった。
「あぁ、でも良かった無事で。 私はまた美菜が足でも滑らせて転んじゃったのかと思ったんだけど、本当に体調が悪かったのね」
湯船に浮かんでいる美菜を見て真っ青になったわよ。と、恵子が苦笑を漏らす。
まあ、確かに…ドジが特技の私ですから?先にそう思われても仕方がないかもしれませんけれども…
ジト目で恵子を見ると、それに気づいた彼女が、ごめんって!と、パンと両手を合わせる。
「先生が、とりあえず落ち着くまで寝てなさいって言っていたから、お昼までゆっくり休んで? 課題は私たちで何とかしておくから」
「ん…ごめんね、恵子。ありがとう…」
「いいって、いいって。無理やり起こして連れて行った私に責任があるんだから。 じゃあ、行ってくるね!このお詫びはちゃんとするから…
期待しててね!」
そう言って恵子は意味深な笑みを残して部屋を出て行った。
何か引っかかる…恵子のあの言葉。
このお詫びはちゃんとするから、期待しててね!って……期待って、一体?
また良からぬ事を企んでいるのではないかと頭の片隅で思ったけれど、目を閉じた瞬間、すぐにそれはかき消されてしまった。
意識がどんどん暗闇に引きずり込まれていく。
ほぼ一睡もしていなかった私は、瞬く間に眠りに落ちていた。
クーラーの効いている部屋で、布団をかぶって眠るのってなんて気持ちがいいんだろう…
眠りに落ちていく気持ち良さと、布団に包まれている心地よさ。
私はその両方の幸せを噛み締めながら、スヤスヤと眠りについていた。
途中、同行していた保健の先生が私の様子を覗きに来たことは何となく覚えている。
だけど完全に睡眠状態の脳内は、それが夢なのか現実なのかを区別することが出来ていなかった。
「戸田さん、体調はどう? 少しはマシになったかしら?」
「ぁ……は…ぃ…でも……まだ、ちょっと……」
あぁ…保健の先生だ…
意識が途切れ途切れになりつつも、重い口を動かして返事を返す。
きちんと返事を返せていたかも自分では判断できないほどに意識が半分落ちていた。
「多分、お昼までには体調も戻ると思うからゆっくり休みなさい。 これから先生、A組に同行してここを離れなきゃいけないから暫く様子を見に来れないけれど、戸田さん大丈夫?」
「だい…じょ……ぶ……」
です。と、最後まで言えたかどうか…
フッと一瞬意識が途切れて再び薄っすらと目を開けると、今しがたまで保健の先生が座っていた場所に思いもよらない人物の姿が映った。
「ごめん、起こしちゃったかな。 戸田さん、大丈夫?」
あ…あれ?
ながせ…くん?
今までそこに座っていたのは保健の先生だった…よね?
あ…の、保健の先生…は?
「ん?保健の先生?俺は見ていないけど…」
おかしいな…夢、見てたのかな…
つい今しがたまで、すぐそこに座って私の額に手を当てたりして様子を見てくれていたのに…
一瞬意識が落ちて次に目を開けたら、長瀬君に代わってしまっていた。
もしかして、これも夢? そうだよね…こんな時間に長瀬君がここにいるわけがないもん。
今は恵子たちと一緒に課題をやっているはずだもんね。
あ〜ぁ、私ったら夢にまで長瀬君が出て来ちゃうなんて…相当重症だなぁ。
フッと小さく笑みを漏らすと、長瀬君が不思議そうな顔をして、どうしたの?と首を傾げる。
だって、夢にまで長瀬君が出て来ちゃうんだもん…
そう言って答えると、彼はちょっと笑って私の頬にかかった髪を指先で優しく後ろに流してくれた。
「戸田さん…完全に寝ぼけているでしょ」
え…寝ぼけている? だって、コレ夢でしょう?
「あははっ。ま、いっか。 戸田さんは、今、夢を見ているんだもんね?」
うん…なんかね、保健の先生から長瀬君の夢に代わったの…
「そっか。 俺の夢を見てくれているんだ?」
ふふっ。おかしいね? 今日は長瀬君に会うのが怖いって思っていたのに、夢に見ちゃうなんて…
「俺に会うのが怖い?どうして?」
だって、昨日突然長瀬君に告白をしちゃったから、嫌われたらどうしようって…会うのが怖くて…
「嫌いになるはずがないよ。すごく嬉しかったから。 だから、俺はすぐにでも戸田さんに会いたかったよ?」
え……
「あの時、どうしてすぐに返事をしなかったんだろうって、すごく後悔した…俺も、ずっと戸田さんの事を好きなのにって…」
あぁ、夢ってなんて素晴らしいんだろう。と、長瀬君を見つめながらそう思った。
現実では絶対にあり得ない彼からの言葉に、嬉しすぎて思わず泣きたい衝動に駆られる。
私も好き…長瀬君の事が大好き…
夢なら何度でも言える。 彼を見つめながら何度でも伝えられる。
夢って素敵! マイ・ドリーム、万歳!!
おぼろげな意識の中、長瀬君を見つめながら気持ちを込めて大好きと伝える。
一瞬驚いたような表情を見せたけれど、長瀬君はフッと笑みを漏らして私の頬に手を添えた。
「我慢出来なくなるから、そんな可愛い顔をして言わないで?」
我慢?
そう問いかけると、彼は綺麗な笑みを浮かべながら私の下唇を親指の腹でスッと撫でた。
「この唇にキスしたくて堪らない…」
長瀬…くん…
夢の筈なのに、妙にリアルに胸がキュンと締め付けられる。
色っぽく見つめられるその彼の眼差しから、視線を逸らすことが出来なかった。
ゆっくりと近づいてくる長瀬君の綺麗な顔。
あぁぁ…私ってばこんな夢を見ちゃうなんて…このまま行けば長瀬君と……
トクン、トクンと胸を高鳴らせながらも、その瞬間が来るのを心のどこかで待ちわびている私がいる。
夢ならいいかな…
夢でも本人が知ったら怒られちゃうかな…
どんどん近くなる長瀬君の顔。 もう、ほんの少し顔を動かせば唇が触れる所まで近づいていた。
「ごめん、やっぱり我慢出来そうにない…」
そう言って長瀬君が最後の距離を縮めたのと、私の瞳が閉じたのが同時だった。
唇に、初めて伝わる温もりと柔らかい感触。
夢なのになんてリアルなんだ…と、私はこの時、幸せの絶頂に達していた。
これが夢ではなく現実なら良かったのに…そう願わずにはいられなかった。
ゆっくりと、名残惜しそうに長瀬君の唇が離れていく。
薄っすらと目を開けると、すぐそこに愛しげに私を見つめてくれる彼の瞳があった。
「戸田さん、好きだよ…」
甘く囁く彼の声。
私も、長瀬君の事が好き…
私たちは微笑み合い、どちらからともなく抱きしめ合う。
そして私の意識は幸福に満ちたまま再び深い眠りへと落ちていった。
2009-05-28 加筆修正
若干増やした部分と削った部分とありますが…
削った「添い寝」は残したほうがよかったかしら(^_^;)
なんとなく添い寝の流れじゃなくなってしまって(書いていると)、こんな感じになっちゃいました。
すいません…m(__)m
ただ、旧作品よりは甘めな雰囲気になっている(つもり)と思いますので、お許しいただけたらなぁ、と(汗)