だはぁ〜〜っ、………疲れました。
割り当てられた部屋に着くなり、私はドサッとバッグを畳の上におろして寝転がる。
まだ何もしていないのに、なんでここに来るだけでこんなに疲れなきゃならないのでしょうか。
はぁ…。と、深いため息を漏らす私に、恵子が荷物を置きながら怪訝そうな表情で問いかけてきた。
「どうしたのよ美菜…ため息なんてついて。 もうお疲れですか〜?」
「疲れたよぉ。 早くお風呂に入ってゆっくりした〜い」
「はぁ?なに年寄りみたいなことを言ってんのよ。 まだ何もはじまってませんけど?」
「ぶぅっ。わかってますよ…このあとお昼ごはんを食べて写生だったっけ?」
写生って楽しいけど上手く描けないんだよねぇ。と、バッグを抱きかかえながらぼやく私に恵子はため息を一つ投げてきた。
「誰も課外授業のことなんて言ってませんけど」
「え?」
「美菜? あんた今日はここに何しにきたの?」
「何しにって…課外授業の為に…ですけど?」
他に何か?というような表情で首を傾げる私に、恵子はバッグの中から化粧ポーチを出しながら、今度は大きなため息を吐き出した。
え…間違ってますか私?
「違うでしょ? 美菜はね、この合宿中にアイツとくっつく為に来たのよ」
「えぇっ!?アイツって…まさか…」
長瀬君の事を言ってる?
そんな…無理に決まっているじゃないっ! 突然何を言い出すよの、恵子。
びっくりして思わず起き上がってしまった私。
それに意地悪くクスクスと笑いながら、恵子はあぶら取り紙を軽く鼻に押し当てた。
「そう、まさかのアイツね。 あわよくばバスの中で進展があるかもって期待していたんだけど、その目論見は見事に失敗しちゃったからねぇ。
次に向けて頑張ってもらわないと?」
「ちょっ、ちょっと待ってよ恵子。 私は別にどうこうなろうとか思ってな…」
「いいからちょっと聞きなさい。弱気な美菜に一ついい事を教えてあげるから」
恵子はそう言って同室の女の子の位置を確認してから、ちょいちょいと私を手招きそっと耳打ちしてきた。
「長瀬ってね、あれだけモテるくせに女の子と二人きりになるのを嫌うらしいのよ。たとえ半オープンなバスの隣の席だとしてもね」
「え…でも…」
「そう!でも、美菜とは座った。 嫌がるどころか、美菜が自分の隣でよければと私の急な申し出でも快く受け入れたでしょ?
あれって凄いことらしいよ?直人に言わせると。 それって脈アリ〜って感じしない?」
「しっ、しないよ。あり得ないよ!…あれは善意で受け入れてくれただけでしょう?一応、私はバスに酔う人になっていたから…それで…」
「それに、もう一つ。 アイツ、普段は能面みたいに無表情じゃん?たまに笑顔を見せても微妙だったり、思いっきり作り笑いだとわかるような笑顔だったりさ。 でも、美菜の前だといつも自然に笑ってるんだよね。しかも声に出して笑ったらしいじゃん。 さっき、バスの中で直人が驚いていたよ?
アイツが声を出して笑ってる〜って。私は声の区別がつかなかったからわからなかったけどさ、確かに珍しいよね?声に出して笑うなんて」
「それは…初めて見るなぁって…私も思った…」
「でしょう?それって美菜にだけなんだよ?自然な笑顔を見せるのも、声に出して笑うのも美菜の前だけ! ね?ちょっと勇気沸いてこない?」
「でっ、でもぉ…」
確かに、私と話す時はいつも笑っているような気はする。
いや…正確に言うならば笑われている気がする。
そう、“笑っている”んじゃなくて、私は“笑われている”んだよ? 全然意味合いが違うくない??
あのバスの中で大声で笑っていた時だってそうだ。
別に面白い話をして笑ったんじゃない。 単に私がドジったりしたせいで笑われたんだもん。
そこに勇気が沸いてくるかと言われたら…う〜ん…
「ま、美菜がどう取ろうが勝手だけど、少しは期待してもいいんじゃない?」
「期待って…笑われてるのに?」
「あはははっ!笑われてる、ね。美菜はそう取るんだ? まあ、その表現も間違っちゃいないけどねぇ?」
「恵子ぉ…」
「ふふっ。何にせよ、あのクールな二枚目を笑わせられるのは美菜だけなんだから、前向きに考えなさいよ」
恵子はそう言って私の肩をポンポンと叩くと、今度は化粧ポーチからコンパクトを取り出して手早くパフで顔を整える。
前向きにって言われても、どう前向きに考えたらいいんだろう。
相手は私の手が届くような存在じゃないのに。
誰がどう見ても私では無理な相手なのに。
期待をするだけして、告白して振られちゃったら余計に悲しいじゃない。
そりゃ、恵子の言うように脈あり〜で、明るい未来が待っていたらいいけれど…
どこまでも後ろ向きな考えの私は行き着く先を思い浮かべられず、ただボーっと恵子の様子を何となく眺めていた。
「さて、と。準備も済んだし、そろそろ出かけるわよ、美菜!」
「え…出かけるって、どこへ? もうすぐお昼だよ?」
「あん、もう美菜ぁ。僅かなフリータイムも無駄にしちゃ駄目でしょう? お昼まであと何分あると思っているの?」
「えっと…20分…くらい?」
「そう。20分もあれば十分遊びにいけるわよね?」
「え…遊びにって…?」
全く要領を得ない私に、恵子はもどかしげに私の手を掴んで立ち上がると、ニンマリと笑って外へ連れ出した。
「ちょっ、ちょっと恵子どこへ行くのよ?!」
「どこへ行くって決まっているでしょ? 直人の部屋へ遊びに行くのよ!!」
「へ…えっ?!…えぇぇぇっ!!!」
ちょっと待ってよ、恵子!
柊君のいる部屋って、長瀬君もいるじゃないっ!!
マジですか? マジに行くんですかっ?!
やっと心臓が落ち着いたのに、なんでまたそんな場所に遊びに行くのよ〜〜っ!!!
恵子…どうしてあなたはいつもこう突然なの? 行くならせめて前もって言っておいてよぉ。
こんなんじゃ、私の心臓が持たないってばぁ〜〜〜。
「直人ぉ、約束通り遊びに来てあげたわよ!」
そう言って、抵抗無く部屋の中に入っていく恵子に対し、私は若干逃げ腰になりながらおずおずと彼女に手を引かれて中に入る。
部屋には柊君と長瀬君の他に、同室であろうクラスメイト2名の姿があった。
私たちが部屋に入るとすぐに一同の視線がこちらに集まる。 それらから逃れるように一歩退いたとき、柊君の明るい声が耳に届いた。
「お、恵子。来たねぇ? あ!美菜ちゃんも、いらっしゃい♪」
あぁ…来てしまった。長瀬君がいる部屋に。
凄く緊張するんですけどぉ…
ドクドクと胸を高鳴らせ、私は、どうも…。と柊君に返しながら不安からギュッと恵子の手を握り締める。
それに気づいた彼女が振り返り、大丈夫よ。とでも言うように笑って、また前に向き直った。
「へぇ…男子の部屋って広いんだ。あっ、もしかしてここって6人部屋?」
「そうそう。女子はいいよなぁ、4人部屋だろ? な〜んか男ばっか6人ってむさ苦しくてさぁ。男臭くね?」
「あははっ!確かに臭いかも? でも、賑やかでいいじゃん。あとの2人はどうしたの?」
「さぁ?探検してくるっつって、さっき出てったけど……岡本と八重崎の事だし、女んとこにでも行ったんじゃねえ?」
「ふ〜ん、そうなんだ? それにしても広いよね、この部屋。私たちの部屋と全然違う」
改めて部屋を見渡しながら惠子がそう呟く。
私もつられるように部屋を見渡し、確かに。と、コッソリ小さく頷いた。
部屋の広さもそうだけど、なんと言うか…雰囲気も違う気がする。
入ってはいけない場所のような、ある意味威圧感を感じるこの空間。
それはきっとここが“男の子の部屋”だからなんだろう。
今まで弟の部屋以外男の子の部屋になんて入った経験がないから、気後れしてしまっているんだと思う。
惠子の後ろで不安げにキョロキョロとしていると、柊君がひょこっと顔を覗かせてニヤッと私に笑いかけてくる。
そんな笑みを向けられて、私の顔が若干引き攣った。
……なんでしょう。その笑みは…
「美菜ちゃん、キョロキョロしてどったの? 何かいい物でも見つけた? ここ、オトコの部屋だから気をつけたほうがいいよぉ? 危険なものが落ちてるかもしんないしね?」
「えっ…きっ、危険なもの?」
「そう、危険なもの。例えばエロ本とか? それに、身の危険も無きにしも非ずだし? 惠子…ちゃんと美菜ちゃんを保護しとかねえと、ヤローに襲われちまうかもしんねえぞ?」
「わかってるわよ、直人。 美菜? そういう事だから、襲われないように気をつけなさい。私の隣にちゃんといるのよ?」
なんて。2人とも至極まじめな顔をしてそんな事を言ってくる。
これが柊君と惠子の息の合った冗談だと気づいていないのは、間違いなく私一人だけだった。
「なっ…はっ?…えぇえっ!!」
ひええぇぇっ。 何て事を仰ってくれちゃうんでしょうかっ。
エロ本だとか、身の危険だとか、襲われるとかっ?!
そんな怖いところなのか、男の子の部屋ってところはっ。
弟の幸太郎の部屋にはそんな危険は潜んでいませんけれどもっ?! 皆さんの家は違うのですかっ?? 私が知らないだけなのかしらっ!!
どうしよう…帰りたくなってきた。
耳まで真っ赤に染めて動揺を隠し切れない私の様子に、その場にいたみんなが一斉に笑い出す。
え……なんで笑うの?
「嘘々、冗談だって美菜ちゃん。 危険なものなんてここにはないから、安心してよ」
「え…じょう、だん?」
「そ、冗談。 美菜ちゃんてホンッと反応が面白いからついつい構いたくなっちゃってさぁ」
「あはっ。私もついつい直人の冗談に乗っちゃって…ごめんね、美菜」
それぞれにそんな言葉を口にして、てへへへ。と、似たような笑い方をする。
そんな2人の様子に、私は唖然として言葉も出なかった。
なんっじゃ、それっ!! また、“ついつい”ですか…
だから、ついつい構われる私の身にもなってくださいってば!!
またみんなに笑われちゃったじゃない…あぁっ!長瀬君にも笑われてるしぃ〜っ。
なんだよ、もう…みんなしてぇ。
「ごめん、ごめん、美菜ちゃん。 お兄さん、悪ふざけしすぎました。お詫びにこの香水あげるから」
遠慮なく持ってって。と、近くにあった香水の瓶を私に向けて差し出してくる。
そんな、そこまでしなくても…。と、手を横に振りかけたとき、それまで黙っていた長瀬君がボソリと口を挟んできた。
「ちょっと待て…それ、俺のだろ」
「あれ?そだっけ?まあ、いいじゃんココにちょうどあったし…気にすんな」
「お前なぁ…そういう問題じゃないだろ。 なんでお前の詫びの代償が俺の物なんだよ」
「ん?別にいいだろ。 お前の物だし」
「いや、意味わかんねーし」
そんな柊君と長瀬君のやり取りに、自分は何にも悪くないのに何故か申し訳ない気分になってくる。
なんか、わたしのせいで長瀬君を巻き込んでしまっている…
これは何とかしなければ。
「あっ、あの…別にわたし…」
勇気を振り絞って言いかけた私の小さな声を、あ!と恵子の大きめな声が邪魔をする。
それまで柊君と長瀬君に注がれていた視線が、一斉に恵子に集まった。
「その香水、雑誌で見たことがある!確か、すんごくいい香りがするんだよね? 実はちょっと気になってたのよ。ねえねえ、どんな匂い?」
恵子はそう言いながら私と手を離すと、楽しげにみんなの輪の近くに歩み寄っていく。
取り残された私はあとに続くことも出来ずにその場に立ち尽くし、無性に心細い気分になっていた。
恵子ぉ…置いていかないでよ…
柊君から受け取った瓶を持って、恵子が一旦長瀬君の体を軽く嗅いでから、ちょっとふってみてもいい?と、問いかける。
長瀬君は若干体を引き気味にさせながら、いいよ。と、相変わらずの無表情で答えた。
恵子は長瀬君の返事を確認してから、シュッと軽い音を立てて自分の手首部分に香水を少し吹きかける。
そこに鼻を近づけた彼女の表情が、俄かにふんわりと柔らかいものになった。
「あ〜、いい匂い〜。なんか、優しい香りだなぁ。そっか、こういう香りなんだ? ねえ、美菜も使わせてもらいなよ!すんごくいい匂いだよ、コレ」
言われなくても知っていますとも、恵子さん!
なにせバスの中でずっとその香りに包まれていましたから。
もちろん、すんごく使いたいですよ? 恵子、ナイスアシスト!と叫びたいくらい嬉しいけれど…
私まで使わせてもらってもいいのだろうか…と、思うわけですよ。小心者の私は。
「あっ、あの…でも…」
「ね、美菜もいいよね? 長瀬」
「もちろん、戸田さんが嫌いじゃなければどうぞ?」
え、いいの? 私が使ってもいいんですかっ?!
途端に気分が明るくなる現金な私。
だけど、固まってしまっている体はすぐには動いてくれなかった。
「美菜、早くこっちおいでよ」
「あ、うん…」
「ほらほら、こんな所で固まってないで」
クスクスと笑いながら、なかなか動き出そうとしない私を恵子が迎えに来てくれる。
それからもう一度、ほらっ。と言って、彼女がトンと私の背中を押してくれた。
長瀬君に向かって一歩踏み出した私の足…が、しかし!
「へにゃぁっ!?」
と言う奇妙な声と共に私の体が前につんのめり、そのままバタンッ!と大きな音を立てて転んだ。
「ぁ…ごめん、美菜。 私?」
「い、いえ…いつものことですから…お気になさらず…」
………痛い。
どうして私は今、転んだのでしょうか…
恵子にそんなに強く背中は押されていないのに。 突起物があったわけでもないのに。
何故にこの体は何も無いところで躓いて転ぶのでしょう。
あぁ…我ながら情けない。
みんなの大笑いする声を聞きながら、思わず頭を抱え込みたい衝動に駆られた。
恥ずかしさのあまり倒れた姿のまま顔をあげられずにいると、突然ひょいと誰かに体を抱き起こされる。
目の前に現れた姿にびっくりして、ドクンッと心臓が波打つと共に一瞬自分の目が大きく見開いた。
なっ長瀬君っ?!
「大丈夫?」
目に涙を溜めながらも私を抱き起こし、そんな優しい言葉をかけてくれる長瀬君。
ちょっぴり複雑な心境になった。
……目に涙が溜まるまで笑われていたのか、と。
若干気落ちしながらふと視線を横に向けると、未だお腹を抱えて笑い転げている柊君の姿が映る。
それは笑いすぎでしょっ!と、叫びたくなった。
「ありがとう…ございますぅ…」
顔を真っ赤に染めながら俯き加減にそう言うと、長瀬君がポンポンと私の頭を撫でるように軽く叩き、ボソッと小さく呟いて微かに笑った。
「ホント、目が離せないね」
「………え?」
「ん? ほら、手を出して?」
「え? あ…は、はい…」
柊君の笑い声が大きすぎて、長瀬君がその前に何を言ったのかわからなかったけど、言われるがまま素直に私は手を差し出した。
その手を下から支えるように軽く掴んだ長瀬君。 え…突然何を?と、うろたえている間に、シュッと手首に香水が吹きかけられた。
あ…。
数秒遅れて長瀬君と同じ香りがふわっと広がるように漂ってくる。
自然と綻ぶ私の顔。 思わず声が漏れてしまった。
「わぁ…いい匂い」
「そう?よかった。 俺も好きなんだ、この香り」
そう言ってニッコリと優しく微笑んでくれた長瀬君の笑顔が私の目に焼きついた。
2009-05-20 加筆修正
このページも若干内容を変えました(^^ゞ
こういうマイナーチェンジもあれば、大幅に変更をしてしまう箇所もあるかもしれません。
基本は旧作品の流れのままで行くつもりですので、やっぱりマイナーチェンジになるのかしら?(笑)
表現方法が違ったり、そこに行き着くまでの過程を若干変えたりなので。
クスッ。と笑っていただけたり、あ!この部分のこの雰囲気が好き♪みたいな、ピンポイント狙いで書いているので(なんじゃそれっ)
そんな箇所を皆さんにお届け出来ていたら嬉しいなぁと思います。
こう、軽いジャブで攻め続ける…みたいな(意味不明)