多少のドジはしたものの、他の3人に助けられながら無事に午後の課題を終えることが出来た。
美味しい夕飯も堪能し、これから自由行動の時間がはじまる。
今日はどうするつもりだろう。
やっぱり恵子の事だから、柊君たちの部屋に行ったりするのかな。
また突然連れて行かれたら困るから、心の準備くらいはしておいたほうがいい気がする。
コンパクトを覗き込んで入念に顔の手入れをしている恵子にそっと視線を向けた時、突然部屋のドアがノックされて柊君がひょっこりと顔を覗かせた。
「よぉ、恵子。やっと許可が取れたから、今からやりに行こうぜ!!」
「マジで? やったぁ!! 来るのが遅いからダメかもって思ってたんだよね。オッケー! すぐに行くからちょっと外で待ってて!!」
恵子はそう言って柊君に声をかけると、コンパクトをポーチにしまいながら満面の笑みを私に向けてくる。
そして一言、簡潔に言った。
「美菜、行くわよ!」
「え…行くって……」
どこへ…?
ちょっと、また私だけわからないのっ!?
これから心の準備に取り掛かるところだったのに……もう、突然すぎるよっ!!
またもや何も知らされていなかった私は、何の許可が出てどこへ何をしに行くのか全く検討もつかず、ただ恵子に半ば強引に手を引かれて部屋の外に連れ出されてしまった。
「ね、ねぇ、恵子…一体どこへ何しに……」
そう言いかけた私の目に、両手に袋いっぱいに詰め込まれた花火を持った柊君と長瀬君の姿が映った。
まず一番に、その花火の量の多さにびっくりして目が見開く。
それ…もしかして全部持ってきたの? もの凄い量なんですけど。
って、言うか。 これから、その花火をしに行くんですか??
「あれ? ねえ、直人。なんか花火の量減ってない? 確かもっと買ったはずだよね?」
「あぁ…角川に許可貰いに行ったらさぁ、打ち上げやネズミ花火は禁止だとか言って取り上げられちまったんだよ。 つまんねぇよなぁ?」
「そうなんだ? だから遅くなったのね。私はまた花火の量の多さでダメだしが出たのかと思ったんだけど。 打ち上げとかがダメならダメって最初から言ってくれればいいのに……HRのとき、何も言ってなかったじゃんね?」
「だよなぁ? アイツどっか抜けてんだよ。頭ん中、さゆりちゃんの事でいっぱいだったんじゃね? ま、半分は残ったからとりあえずこれで楽しめるべ」
「うーん、そだね。残念だけど、仕方ないね。ちょっとこれじゃあ物足りないけど」
いやいや…それだけあれば充分でしょう?
一体どれほどの量をするつもりだったのかと、肩を並べて歩き始める二人を見ながら突っ込みたくなった。
「戸田さんは、花火は好き?」
「え……」
いつの間にか私の隣に立っていた長瀬君。
その彼から突然話を振られて、思わずギョッとして身を震わせてしまった。
びっ、びっくりした。 恵子たちに気を取られて、こんな近くに長瀬君が来ていただなんて気がつかなかった。
瞬く間に熱を帯びる私の頬。 それを紛らわせるように私は慌てて返事を返した。
「あっ、あの…うん…もう、随分と花火ってしていないけど好きです。 あ…でも、打ち上げ花火とか大きな音が鳴るものは苦手…かな」
「そうなんだ? じゃあ、ちょうど良かったね。打ち上げ花火は禁止で取り上げられちゃったから」
「う、うん…。 あっ。でも、凄い量だね…ぜっ、全部長瀬君たちが用意をして持ってきたの?」
歩幅をあわせるように、ゆっくりと恵子たちの後を追って歩き始める私たち。
長瀬君と会話を交わしながら、内心、心臓が破裂しそうなくらいに高鳴っていた。
あぁぁっ、どうしよう。すっごく緊張するんですけど?!
私、ちゃんと話せてるのかな。 自分じゃ頭が真っ白でわからないよ〜〜〜っ。
「そうそう。直人がバカみたいに花火を買うから半分持たされてね、家から持って来るのが大変」
「そっ、そうだったんだ? あ! あのっ…半分、持ちましょうか?」
「ありがとう。大丈夫だよ? こういうのは男の仕事だからね」
そう言って、ニッコリと綺麗な笑みを浮かべる長瀬君。
あまりにも素敵すぎるその笑顔に、思わず見惚れて声を失ってしまいそうになった。
だっ、ダメダメ。しっかりするのよ、美菜! 見惚れている場合じゃないでしょう?
「でっ、でも……私、手ぶらだし。 これから花火をする事も知らなくて、用意も出来なかったから……やっぱり、はっ、半分持ちます」
「あははっ! そんな事、気にしなくてもいいのに。 じゃあ、折角だからお言葉に甘えて半分持ってもらおうかな?」
「は、はい」
優しく微笑みながら長瀬君は一旦その場で立ち止まると、私側にある袋を、はい。と言って差し出してくる。
私はその袋を全部持つつもりで手を差し出したのに、その手に引っかかったのは、袋の片側の持ち手だけだった。
………え?
私と長瀬君の間に、大量に花火が詰め込まれた袋が宙に浮いている。
予想もしなかったこの展開に、私の脳内は一旦停止状態になった。
二人の間にある袋を見ながら固まってしまった私の様子に、クスクス。と小さく笑いながら長瀬君が声をかけてくる。
「半分持ってくれるんでしょう? お陰で軽くなったよ」
「やっ、あの……」
そっ、そういう意味ではなくてですね?
つまりは、その、二つある内の一つを持ちますよって意味……だったんだけど……まさか一つの袋を二人で持つなんて。
この状況についていけない私を促すように、じゃあ、行こうか。と、長瀬君がニッコリと笑って先に歩きだす。
私は何も言う事が出来ずに、ただ顔を真っ赤に染めて俯きながら歩くことしか出来なかった。
そう広くはない施設の廊下。
合宿最後の自由時間ということだけあって、そこには沢山の生徒たちの姿がある。
一つの袋を二人で持ちながらその間を縫うように歩いていると、自然と近くなる長瀬君との距離。
時折自分の手の甲に当たる彼の手の感触に、ふと手を繋いだときの事を思い出して更に顔が赤くなってしまった。
そういえば、私、長瀬君に手を繋いでもらったんだよね? この、長瀬君の手に……
うわぁ、どうしよう。思い出したらまた緊張してきた!!
それに、廊下にいる女の子たちの視線も痛いしっ。
うにゃぁっ、もう。 どんな顔をしたらいいのかわからないよぉ〜〜〜っ。
宿舎の外に出ると、他の生徒たちもあちらこちらに散らばって、楽しそうに花火をしているのが視界に映る。
みんな持って来てたんだ? 私、花火をしていい事すら知らなかったのに……
HR、何を聞いていたんだろう。
「お♪ こっちは、やっているヤツ少ねえじゃん。やっぱ、裏にまわって正解だったな」
「ほんとだ! あ、ねえ、直人。あの奥がいいんじゃない? 周りに誰もいないし」
「だな。おし、あの場所でするか! さっそく袋から花火を全部出そうぜ〜」
私たちは施設の裏にある広場の一番奥の場所までやってくると、柊君の号令に従って持ってきた大量の花火を一斉にバサッと地面に広げる。
想像していた以上の花火の数に、改めて感嘆のため息が漏れた。
うわぁ。すごい数……これ、全部やるつもりなのかな……
「やっぱこの数、もの足りねえよなぁ。 即効で終わるんじゃね?」
「だよねぇ。やっぱり、打ち上げもしたかったなぁ」
えぇぇっ!? 物足りないって……あっ、あなた達、一体どんな風に花火を楽しむおつもりですか?
ぼやきながらもせっせと袋を開けて準備をし始める恵子と柊君を見ながら、思わずため息が一つ漏れた。
施設の明かりがほんのりと届く薄暗いこの場所に、ロウソクの小さな明かりがポツリと点る。
「おっしゃ。消火用の水、オッケー! ロウソクオッケー! んじゃ、始めるべ!!」
小さな明かりだけでは儚く頼りなかったけれど、そこから4本分の花火に火がつくと、瞬く間に目を細めてしまうほどに辺りが白い光に包まれた。
パチパチッシューッ!!と軽快な音がなり、綺麗な光が放物線を描いて広がっていく。
「うわぁ、綺麗!!」
思わず漏れた第一声。
ふと視線を感じて隣を見ると長瀬君が立っていて、その声に賛同するようにニッコリと笑って頷いて見せてくれた。
花火なんて何年ぶりかなぁ。
弟が小学校六年生までは毎年家族でしていた記憶があるけれど、それからはやった記憶がない。
だから、久しぶりに凄く楽しかった。
気づけば次から次へと花火に火をつけて、ゆらゆら揺らしたり円を描いてみたり、夢中になって遊んでいる。
次はどの花火をしようかなぁ。と、花火の山から選んでいると、恵子と柊君のはしゃぐ声が耳に届いた。
「うけけっ! 恵子っ、ほれほれっ!!」
「きゃっ! ちょっと、直人?! こっちに向けないでよ、危ないじゃないっ!!」
「いひひひっ。必殺、六本攻撃!!」
「あ、そう? そう来る? なら私は……八本攻撃だーっ!!」
「ぶはははっ! 八本は、やべぇっ。やられる〜〜〜っ!!」
恵子は両手の指の間にそれぞれ花火を挟み込むと、その全部に火をつけて笑いながら逃げていく柊君を追いかけていく。
どこまでも、どこまでも走っていく美男美女。
ついには暗闇に消えて姿まで見えなくなってしまった。
………どこまで走って行くんだ、あの二人。
恵子たち二人のはしゃぎっぷりに苦笑を漏らしながら、私は新たな花火に火をつける。
手元から流れ出る光の放物線に目を奪われていると、隣から長瀬君が話しかけてきた。
「俺、花火って凄く久しぶりでさ。小学校以来かなぁ…だから、なんか変に新鮮で楽しいよ」
「うん、うん。私もね、長瀬君と同じくらい久しぶりなの。やっぱり、花火って凄く楽しいね?」
長瀬君と二人して花火を揺らしながら笑いあう。
いつもなら緊張が先に立ってしまって上手く話せないんだけど、久しぶりの花火に気分が高ぶっているのか自然と話せている私がいた。
次はどれをする? とか、これはどんな色だろうね? とか。 相談しあいながら彼と共にする花火は本当に楽しくて仕方なかった。
……この時間がずっと続けばいいのに。
そっと白い光に浮かぶ長瀬君の端整な横顔を見つめながらそう願った。
「次は何をしようか」
「うーん、一通りやってみたよね?」
「あ。 これなんていいんじゃない?」
花火の山から長瀬君が探し出してきたのは線香花火。
それが入った袋をヒラヒラと揺らしながら、どう? と、彼が首を傾ける。
「わぁ、線香花火! うんうん、それがいいなぁ」
「よし、じゃあこれに決定だね。 あ!そうだ…これで競争しようか。どっちが長くつけていられるかって」
「うん、楽しそう。しよう、しよう!」
「全部で十本入っているから、五回戦勝負って事で」
「んふふっ。オッケーです。負けないもん」
「あははっ! 俺だって負ける気ないよ?」
そう言って笑いあいながら、長瀬君の提案で少し奥にある階段まで移動して、腰をかけながら挑むことにした。
五段ほどの短い階段の一番下に並んで腰掛けて、ロウソクに線香花火を翳しながら、せーの。で一緒に火をつける。
二つの先端から同時に、パチパチッ。と、小さな音を立てて細く頼りない火花が暗闇に弾け飛んで消えていく。
普通の花火ほど華やかさはないけれど、不思議とこの頼りない光にも魅力を感じてしまうのは何故だろう。
暫しその火花に見惚れていると、やがて先端が丸く縮んで紅い玉になりはじめた。
よし! ここからが勝負!!
チラリと長瀬君の手元を見ると、同じように紅い玉が出来始めている。
どちらの玉が落ちるのが先か……なんて、息を呑む暇もなく、あっけなく私の玉の方が先に、ポトン。と地面に落ちてしまった。
「あぁっ、もう落ちちゃった!」
「あははっ! やった。俺の勝ちね? まず、一勝」
そう言ってニッコリと笑う長瀬君の方の玉は、まだ紅く輝いている。
「わぁ、すごい! 長瀬君の、まだ頑張ってる」
「うん。なんか…緊張して手が震えてきたよ」
その長瀬君の言い方が少しおかしくて、思わずフッと吹き出してしまった。
彼らしくなくちょっとおどけたような言い方。
まさか長瀬君がそんな事を言うなんて…って、意外さも混じって笑いがこみ上げてくる。
「あははっ。頑張って、長瀬君!」
「確かこれって最後まで落ちなかったら願いが叶うとか、そういうのあったよね?」
「あ、うん。それ、私も聞いたことがある。 このまま行ったら、願いが叶うかもだね?」
「じゃあ、尚更頑張らないとね?」
そう、長瀬君は手元に視線を向けながら笑うけれど、その願いって何だろう。と、少しだけ気になった。
長瀬君の願い事って一体……
成功したら聞いてみようかなと思ったけれど、彼の玉もまたポトリと地面に落ちた。
「あー、残念。落ちました」
「わぁ…落ちちゃった。 でも、今の凄く惜しかったよね?」
「だね? 俺、あんなに長く続いたのって初めてかもしれない」
「うん、今のは凄かった。私なんて丸くなってすぐに落ちちゃったもん。 なんか、長瀬君に勝てる自信がなくなったぁ」
「あはは! もう、敗北宣言? 早いなぁ。まだ一本目だよ? トータルで勝敗を決めるんだから、まだまだどっちが勝つかわからないのに」
「そっか。そうだよね? うん、次は落とさないように頑張ります」
「あははっ。うん、頑張って? じゃ、次いきますか?」
「あ、はい」
私たちはまた、せーの。で、同時に火をつけると、お互いに暫く自分の手元に集中する。
シーンとした静けさの中で火薬が弾ける小さな音と、森に住む虫たちの鳴き声だけが耳に心地よく響いていた。
それらの声に耳を傾けながら今度は火玉を落とさないようにと神経を集中させていると、不意に長瀬君が自分の指先を見つめたまま、静かな声で私の名を呼んだ。
「戸田さん?」
「あ、はい…」
「あの時の……返事なんだけどね…」
「………ぇ…」
一気に顔が引き攣ったのがわかった。
突然耳に届いた思いがけない言葉に、思わず息を呑んでしまう。
今しがたまで自分を取り巻いていた浮かれたような気分が一瞬で消え去り、代わりにドクンッ! と、一つ心臓が高鳴ったかと思えば瞬く間に嫌な速度で鼓動が走り出した。
あの時の返事って、間違いなく告白の返事って事だよね?
え…今、言われるの?
せっかく…せっかく幸せな気分になれていたのに。
一気に落とされてしまうなんて、そんな……
「その返事の前に、一つ戸田さんに謝らないといけない事があるんだ…」
暗闇に二つの儚い光が点る中、長瀬君の声が静かにその光と音と共に消えていく。
――――謝らないといけない事があるんだ
あぁ、やっぱりダメなんだよね。と、上手く言葉を汲み取れなかった私の脳はそう判断して一気に気分が重くなる。
じんわりと自分の瞳に涙が浮かび始めるのがわかる。
答えはわかっていたはずなのに、泣いてしまうなんて。と、我慢すればするほど目頭が熱く目の奥が痛くなった。
「ごめんね……俺、嘘をついた」
「………え?」
「戸田さんが倒れて部屋で寝ていたとき、覗いただけだって言ったけど、あれ、嘘なんだ」
「………へ?」
長瀬君の言っている意味がさっぱり私にはわからない。
てっきり告白を断られるものだとばかり思っていた私の頭は、嘘をついていたとか、嘘なんだとか言われてもすぐに理解することが出来なかった。
ポト…。と、今度は先に長瀬君の火玉が地面に落ちる。
それにさえも反応出来ずに固まってしまっている私の様子に、長瀬君はフッと小さく笑みを零して視線を自分の指先から私に向けてきた。
まるで愛おしい者を見つめるような、すごく優しい眼差しで。
「本当は、部屋に入ったんだ……俺」
「え……」
「部屋に入って、暫く戸田さんの寝顔を見てた」
「ねっ、ねが……えぇっ?!」
嘘……でしょ?
長瀬君の言葉がすぐには信じられなくて、素っ頓狂な声と共に目が見開く。
その様子に長瀬君はクスッと小さく笑みを零すと、少し視線を地面に向けて落ちた火玉を靴底で踏み消した。
「今朝、桂木さんから戸田さんが倒れたって聞いて、俺、心配で堪らなくてさ……様子を見に行ったとき、覗くだけなんて出来なくて、少しでも戸田さんの傍にいたくて部屋の中に入ったんだ」
「でっ、でも……柊君には入らなかったって……」
「うん。直人たちには変に詮索をされたくなかったし、余計な茶々も入れられたくなかったからあの時は嘘をついたんだ。ごめんね?」
そう言って長瀬君は謝ってくれるけれど、どう反応すればいいのかわからなかった。
そもそも部屋に入って来たって事すらまだ呑み込めていないのに、次々に出てくる信じられない言葉にただうろたえる事しか出来なかった。
長瀬君は一体何を言おうとしているの?
心配で堪らないとか、傍にいたいから部屋に入ったんだとか……それじゃまるで長瀬君は……
そんな事あるわけがないのに、そんなはずはないのに……
ダメだ…頭が混乱してきたっ!!
「まっ、待って。長瀬君……私、意味がわからな……」
「戸田さんは覚えてない? 俺が部屋に行った時の事」
「え…や……あの……」
「その時、少し話をしたんだけどね……もう、忘れちゃったかな。 今、俺の夢を見てるんだって言ってくれたんだけど」
「………っ?!」
衝撃的な言葉に、ポトッ。と、私の手から線香花火が抜け落ちた。
長瀬君の夢を見ているんだ……って、もしかしてあの時っ?!
――――なんかね、保健の先生から長瀬君の夢に代わったの……
――――そっか。 俺の夢を見てくれているんだ?
……という事は何? あの夢だと思っていた事は現実だったって事??
妙な焦燥感に駆られて一気に心臓がバクバクと痛いくらいに暴れだす。
ここが暗闇でよかったと思えるほど顔が真っ赤に染まっていくのがわかった。
「あっ、あっ、あれって、夢なんじゃ……」
「あははっ! 確かに。戸田さんの中では夢だったかもしれないね? 完全に寝ぼけているみたいだったし。でも、夢じゃないよ? どこまで戸田さんが覚えてくれているかわからないけれど、全部、現実の話」
「そんな……まさか……」
ずっと好きだったんだって言ってくれた事も? キスしてくれた事も?? 全部、現実だったって言うの?
わからない。本当にわからない!!
何が夢で何が現実なのか……私はもうパニックに陥ってしまって、思わず両手で顔を覆い隠した。
「戸田さん、どうしたの?」
「ごっ、ごめんなさい。なんか、頭が混乱しちゃって……夢と現実の区別がつかなくて、どうすればいいのか、私……」
「そんなに悩む必要はないよ。 多分、戸田さんが覚えてくれている夢は全部本当にあったことだから」
「え……」
その言葉に少しだけ顔をあげて見てみると、綺麗な笑みを浮かべて私を見ている長瀬君がいた。
彼は優しく微笑みながら、顔を覆っていた私の手を取って握り締める。
トクン。と、一つ跳ねる私の鼓動。 絡み合う視線から逸らすことが出来なかった。
「俺が、戸田さんの傍にいたことも、戸田さんの事を好きだって言ったことも、我慢できずにキスをしたことも……全部、本当のことだから」
「……………っ?!」
「だから、今も、この唇に触れたくて堪らない」
そう言ってあの時と同じように、長瀬君は私の瞳を見つめながら親指の腹で下唇をそっと撫でた。
キュンと強く締め付けられる私の胸。 触れられた場所からふわっと熱を帯びていく。
長瀬君は私と視線を合わせたまま、ゆっくりと顔を近づけてくる。
そして、彼の吐息が唇に感じるほどに近づいたとき、長瀬君は掠れたような色っぽい声で静かに囁いた。
「夢で片付けられたくないから、もう一度言うよ? これが、俺からの返事……好きだよ、美菜」
長瀬君の声が耳に届くと同時に、唇に柔らかい感触が伝わってくる。
美菜って……長瀬君が名前で呼んでくれた。
好きだよ。って、もう一度聞かせてくれた。
あの夢は、本当に夢じゃなかったんだ……。 そう思うと嬉しさがこみ上げて来て、自然と一粒の涙が頬を伝って零れ落ちていた。
ゆっくりと唇を離した長瀬君は、顔を近づけたまま私の目元を指先で優しく拭いながら少し困ったように笑う。
「泣かないでよ。そんな顔をされたら、離したくなくなるだろ?」
「だって、絶対に無理だって思っていたから。私なんかじゃとてもって……だから、思いが通じた事が信じられなくて、だけど凄く嬉しくて、私……」
フッと、また涙腺が緩んで滴が頬を伝って流れ落ちる。
それを指先で拭い取ってから、ふわっと長瀬君が私の体を抱きしめてくれた。
「…………っ?!」
「俺があの時に……いや、もっと早くに気持ちを伝えられていたらよかったんだよな。 そうしたら、もっとこうして抱きしめる事が出来たのに」
「長瀬君……」
「美菜の事、ずっとこうして抱きしめたかったんだ。 もう、誰にも触れさせない…これからは、ずっと傍にいて俺が美菜の事を護ってあげる」
そう言って長瀬君は、まわした腕に力を入れてギュッと強く私の体を抱きしめた。
体全体に伝わる長瀬君の温もり。 耳に直に届く長瀬君の穏やかで優しい声。
鼻を擽る彼の匂いとその温もりに包まれて、私はこの上ない幸福感に満ちていた。
「俺、美菜の事しか見えないから……覚悟してて?」
「……長瀬君」
「何があっても絶対に、美菜だけは離さない」
体を少し離し、うっとりするほど熱い視線を向けられて、思わず吸い寄せられるようにその顔に見入ってしまう。
そんな顔をされたら、俺、我慢出来ないんだけど? と、照れたように笑われたけど、それでも顔を逸らすことは出来なかった。
暫く、無言のままお互いに見つめあい、自然と引き寄せられるように近づく顔の距離。
再び訪れるキスの予感に胸を高鳴らせたけれど、長瀬君が突然動きを止めて、はぁ。と、一つため息を漏らした。
「ごめん、美菜。キスは、ちょっとオアズケ。また近いうちにね?」
「え?」
突然の言葉に戸惑う私に、長瀬君は優しく頬を指の背で撫でてから、何故か背後の暗闇に向かって声を投げかけた。
「おまえら……覗きなんていい趣味してるな」
え、なに……どういう事?
覗きって、そこに誰かいるの?!
2009-06-16 加筆修正
このページは、かなり内容量が増えちゃいました(^_^;)
無駄に長い気もしますが…少しでもお楽しみいただけたら嬉しいなぁ、と。
旧作品よりは、砂糖多めの仕上がりにしたつもりですが……虫歯になるまでは至らないかな?(苦笑)