Happy Bear(仮)


番外編@三恵さんの恋...01

去年、母が突然倒れて病院に運ばれてから、今日までずっと毎日看病に通っている私。

姉妹のように仲が良かった母が倒れて、このまま意識が戻らなければ植物状態も覚悟してくださいと言われた時は、目の前が真っ暗になるほど衝撃を受けた。

意識が戻らない母を見つめながら毎日毎日泣いて、この世の終わりかと思うほど悲観して。

それでも仕事に行かなければならない日々は本当に辛かった。

だけどある日、母の入院を知って私に元気がないことを心配した会社の後輩の彩(あや)が、「お母様のお見舞いに」 と淡いグリーンの羊毛フェルトで作った可愛らしいクマのぬいぐるみを作って持ってきてくれた。

彩は一人っ子の私にとって妹みたいな存在で、気持ちの優しいとっても可愛らしい女の子だ。幼い頃に事故で両親を亡くして施設で育ったと私は彩から直接聞かせてもらった。きっと大変な事、辛い事、たくさんあったと思う。だけど彩はそんな事を感じさせないくらい、素直で明るく頑張っているから、私に出来る限りの事はサポートしてあげたいと思っているし、また彩にも頼ってもらいたいと思ってる。

そんな彩から貰ったぬいぐるみを病室に持って行って、「お母さん! 彩が作ってくれたよー。早く良くならないとね?」と、意識の戻らない母の傍らに飾っておいたんだけど、そのあくる日に突然母の意識が戻った。

大丈夫だと自分に言い聞かせつつ、心のどこかでもしかしたらダメかも…。と、半分覚悟していた私は嬉しくてその場に泣き崩れてしまった。

それから時間はかかったけれど、母の容態も安定してきてリハビリが出来るまでに回復し、お互いに冗談が言い合えるほど良くなった。

今もリハビリのために転々と病院を替えての入院生活は続いているけれど、お医者様からも、もう大丈夫でしょう。と言っていただけて、やっと私自身もホッと気持ちを落ち着かせることが出来た。

そして気持ち的に余裕が出てきた私は、母の回復のキッカケになった気がする彩が作ったぬいぐるみが自分用にも欲しくなって、彩にいつでもいいから作って欲しいとお願いをしたら、それから暫く経った今日、週末迎える私のお誕生日プレゼントにと作ってきてくれた。

可愛くラッピングされた中身を見てみると、母の時とは違ってピンクのクマのぬいぐるみがあった。

去年、私が母のお見舞いにと貰った頃、後輩のみのりも同じようにぬいぐるみを貰っていて、彼女は「良い出会いがありますように」とピンクのバージョンを貰ったらしい。その頃みのりは前の彼と別れる際にモメてひと騒動あった後で憔悴しきっていたんだけど、次の日に友人に連れられて行った合コンで、今の彼と出会い付き合いはじめることになってみのりに再び輝きが戻った。その彼はとっても素敵な彼らしく、ずーっと彼の話ばかりするみのりの姿に呆れつつも彩と二人してホッと胸を撫で下ろしたのを覚えている。

私の母の病、みのりの恋、どちらも彩が作ってくれたクマのぬいぐるみが幸せを運んできてくれたように思う。

私自身、非科学的なものを信じているわけではないけれど、なんとなくそんな気になって、みのりと二人で彩が作ったクマのぬいぐるみを「ハッピーベア」と呼ぶようになった。それが社のみんなに浸透するのはもう少しあとになってからだけど。

今回彩は、私のためにピンクのハッピーベアを作ってきてくれた。

みのりの予想によると、自分のときもピンクだったから「恋」じゃないかって。

みのり達にもそう答えたけれど、本心から、だったらいいな。と、思えるようになった私は本当に気持ち的に余裕が出てきたのかな、と思う。



その日も私は仕事帰りに母の病室に顔を出しに来たけれど、いつもはしない化粧直しを会社でして出てきたことに自分で笑えてしまった。

私ったら…結構、その気になってる? でも、彩からハッピーベアを貰ったお陰で背中を押してもらえてる気分だし。
みのりが言うようにお医者さまが彼氏になったらどうしよう? だとしたら相手は誰だろう? 担当のDr.はお父さんほど歳がいってるし…

なんて。あれこれとドクターの顔を思い浮かべている自分に、またまた笑いが込み上げてきた。

一般診療もとっくに終わり夕食も終わりの頃の院内は、ちらほらと患者の姿があるだけでどことなく静けさが漂う。

その中をいつも通りとおって母の病室へ向かおうとエレベーター前に立つ。でもそこでふと、そういえば珍しくペットボトルの水を買ってきて欲しいと母から頼まれていたことを思い出し、院内に設置されたコンビニエンスストアーに寄ってから再びエレベーターの前に立った。

「△」のボタンを押し、自然と目線を上にあげて表示板を見ながらエレベーターを待つ。

「みっ……ちゃん?」

と、突然背後から、聞き覚えのない声と懐かしい呼び名で呼ばれて反射的に後ろを振り返った。

「…………?」

え……誰?

見れば見覚えの無い背の高い男性が、両手に松葉杖を持ってパジャマ姿で立っている。呼んだ彼もまた自信がなかったのか不安げに首を傾げながら私を見ていた。

「えっと……?」

「あ、ごめん。間違ってたら申し訳ないんだけど……もしかして、俺の知ってる“みっちゃん”かなって思って。俺、三橋孝浩(みつはし たかひろ)って言うんだけど……」

知らないかな。と、遠慮がちに聞いてくるその名前を自分の記憶と照らし合わせてみる。

みつはし……たかひろ……?

ミツハシ、タカヒロ

……三橋……孝浩……

孝浩……タカヒロ……タカ……

「えっ?! あ、タカちゃんっ?!」

嘘、なんでこんなところに?!

持っていたコンビニの袋を落としそうなほど動揺し、瞬く間に顔を真っ赤に染めて驚く私の様子に、昔と変わらない懐かしい笑い方で幼馴染が懐かしげに目を細めた。

────……あ、

瞬間、フッと昔のタカちゃんの顔が彼に重なった。

「やっぱり、みっちゃんだった。いや、なんかコンビニで見かけて、みっちゃんっぽいなぁって思ったんだけど、あの頃より数倍綺麗なお姉さんになってたから確信が持てなくてさ。ちょっとビビリ気味で声かけちゃったよ」

「おっ、お姉さんって。タカちゃん私より年上なのに……言い方がおじさんくさいっ」

「うわっ。何年かぶりに会ったのに、おじさんはないでしょー。そりゃ、俺も今年で三十だけどさぁ…」

「え…タカちゃん、もう三十になるの?」

私が知っているのは高校生くらいまでのタカちゃん。そりゃ、十年以上経っていたら会ってもすぐにわからないよね。

あの頃もカッコよかったけれど、今のタカちゃんは年齢を重ねた分渋みが出ていて更に男らしく、大人の男性に私には見えた。

「そだよー。みっちゃんの家の裏に住んでたのが高3の17まで。そっから俺、東京の大学に進学してあっちで一人暮らしをはじめたからね。家族も暫くして別んとこに家買って引っ越しちゃったからみっちゃんとことも音信不通になっちゃったけど。みっちゃんと会うの、13年ぶりかー」

俺、よくみっちゃんってわかったよなー。と、自画自賛しているタカちゃんを見て、痛いくらいに心臓が高鳴る。

彼、三橋孝浩は私が物心ついたときから裏の家に住んでいて、私はいつもタカちゃんのあとを追いかけて遊んでいた。

近所にも同年代の子供がたくさんいて、その中でタカちゃんはリーダー格でいつも皆を引き連れて遊んでくれて。特に私を可愛がって面倒を見てくれていた記憶がある。

成長するにつれ一緒に遊ぶことはなくなってしまったけれど、家が裏ということもあって話すことはよくあった。

勉強も見てもらっていたし、家族ぐるみでご飯を食べることもしょっちゅうあった。

大好きな近所のお兄ちゃん。私にとって一番身近な、異性……そう。三橋孝浩は私の初恋の相手。

あの頃私は中学生で、本気の恋と呼ぶにはまだ幼すぎたけれど、当時は真剣でタカちゃんが東京へ引っ越すと知った日は、人知れず枕に顔を埋めて泣いたっけ。

優しくて頼りがいがあってカッコよくて大好きだった。

もう二度と会うことはないと思っていたのに、こんな形で再会することになるなんて……

それよりもタカちゃんが私の事を覚えてくれていたことが何よりも嬉しかったかもしれない。

「でも、タカちゃん、どうしたの? 松葉杖って、骨折?」

「そうなんだよー。仲間内でやってるフットサルでヘマして骨折しちゃってね。大腿骨骨折ってやつ? まあ、骨折したのは1年前で、今回はその時に入れたボルトを抜くための入院なんだけど。それも一昨日済んだから、あとは退院を待つのみかな」

「そうなんだ? うわー、でも痛そう。今も痛む?」

「んー、まあ……傷の痛みが多少あるくらいかな?」

「そっかぁ。それで、退院はいつ頃できそうなの?」

「あと、3日ほどかな? 抜いてから1週間くらいって聞いてるから。みっちゃんは? どうしてこの時間にここにいるの? 誰かの見舞い?」

「あー、うん……実は……」

そこから去年母が突然倒れたことや意識が無かったこと、でも奇跡的に意識が回復して今はリハビリを受けるために三ヶ月ごとくらいに転々と病院を移っていることまで話した。

母が倒れたことに酷く驚き心配してくれるタカちゃん。お見舞いに一緒に病室に行ってもいいかと聞かれたので一緒に行くことにした。

二人してエレベーターに乗り込み、タカちゃんは腰の位置にあるクッションがついた太い簡易棒に腰を乗せて背中を壁に預ける。私はその隣りに立って、胸の鼓動が聞こえませんようにと祈りながら震える息を静かに吐き出した。

「でもさー、すごい偶然だよな」

「え?」

「だって、おばさんがここに転院してきて、俺がボルト抜くのに入院して、今まですれ違うことすらなかったのに、今日、たまたまコンビニで偶然会うなんてさ」

俺、滅多に使わないんだよ、ここのコンビニ。と、そこで買ったらしいものが入った小さな袋を掲げて笑う。

私だってそうだ。ここのコンビニは滅多に使わない。大体、用事があるときは会社からの道にあるコンビニを使うし、母が買ってきて欲しいと言うのも珍しい。私があそこで頼まれていた事を思い出さなければ立ち寄っていなかったわけだし、母の病室とタカちゃんの病室は階も違えば少し離れてもいるので、本当に偶然のなせる業だと言うしかない。

「そういえばタカちゃんって東京の大学に行って就職はそのまま東京じゃなかったの?」

「うん、そうだよ。東京で就職して暫く本社で働いてたんだけど、転勤が多い会社でさ。色々転々として、2年前かな? に、こっちに移動になったんだ」

「そうなんだー。転勤が多いと辛いねー」

「まあね。でも、俺まだ独身だからその点は気楽っちゃ気楽かな? みっちゃんはー? OLさんとかしてるの? それとも、もう誰かのお嫁さんになっちゃったとか?」

「えっ、おっ、お嫁さん?! そんなっ、まさかっ!! 結婚なんてまだしてないよ! 彼氏も今、いないのにっ!!」

タカちゃんの突拍子もない質問にびっくりして焦って妙に慌てて大きな声で返してしまう。

その様子におかしそうに声を立ててタカちゃんが笑った。

「あはははっ! わかった、わかった。そんな、必死にならなくても大丈夫だって。そっか、結婚してないんだ……」

――――良かった。そう、聞こえた気がしたけれど、意外と最後が小さな声で聞き取りづらくて首を傾げる。

でも、タカちゃんは爽やかな笑顔を向けるだけでそれに対しての反応はしてくれなかった。

それから母の病室に二人で行って、驚く母と暫く昔話で盛り上がって30分ほど経った頃、また様子を見に来ますね。と、タカちゃんが徐に席を立つ。

私は、そこまで見送ってくるね。と、母に伝えて、タカちゃんと共に病室を出た。

エレベーター前まで松葉杖のタカちゃんに合わせてゆっくりと歩き、上の表示板を見ながらボタンを押したタカちゃんは視線を私に向けてくる。

「おばさん、元気そうでホッとした」

「うん、ありがとう。私もね、一時はどうなるかって不安で仕方なかったけれど、ここまで回復してくれてホッとしてる」

「だよなー。みっちゃんは母ちゃん子だったもんな? よく、頑張ったな?」

そう言って昔と同じように頭を撫でてくれるタカちゃんの手が温かくて……何だか切なくて胸がキュッと締め付けられた。

「俺さ、今はこの近くの会社の寮に住んでるから、また退院したらメシでも行こうよ。あ! まあ、みっちゃんがよければ、の話だけど?」

「もっ、もちろん! 大丈夫!!」

「そっか、良かった。じゃあ、食べたいもの考えといて? 余程高額なものじゃない限り、おじさんがみっちゃんにご馳走してあげよ〜う」

その言い方がおかしくて、二人でクスクスと笑いあっていると、ポンッ。と軽快な音が鳴ってエレベーターのドアが開く。

タカちゃんはそれに乗り込むと、私に向かってフッと微笑んだ。

「おやすみ、みっちゃん」

「おやすみなさい」

「また明日、おばさんの顔を見にくるよ」

「うん、ありがとう。タカちゃんも、まだ足気をつけてね」

「おー、サンキュー」

そう微笑みって一呼吸分、タカちゃんと視線が絡み合う。

瞬間、――――トクンッ。 と、また鼓動が一つ高鳴った。

タカちゃんは、フッとまた微笑むと、じゃ。と言ってエレベーターのドアを閉めた。

ゆっくり閉まっていくドア。

私は完全に閉まるまでジッとその姿を見続けた。

ガタン。とドアが閉まって静けさが戻ってくる。

だけど、私の鼓動はうるさいくらいに高鳴っていた。


「ハッピーベア」に登場する三恵さんの恋物語はじまりました♪
番外編なので、サクッと短く…いこうかな、と(^_^;)
こちらはあとで、「まったり更新。お題」の【幼馴染】にリンクしようかと思っているので、
その部分だけ太字になっとりますが、気にせず読んでくださいww

H25.10.27 神楽茉莉