Happy Bear(仮)


クマのぬいぐるみ ...01

ブーッ。と、お昼休みを知らせるブザーが鳴ると、それまでどことなく張り詰めていた空気が一気に緩和される。

ワラワラと昼食に出かける他の社員たちを視界の隅に捉えながら、私は先輩二人と更衣室に向かい、ロッカーからお弁当箱と一緒に昨夜ラッピングしたものを取り出して、向かった休憩室で座るなり一人の先輩、野中三恵(のなか みつえ)さんにそれを差し出した。

「あの…、三恵さん、来週の日曜日お誕生日でしたよね? なので、よかったらコレ」

三恵さんは私が差し出したプレゼントを受け取るとすぐにパッと表情を明るくして、開けていい? と、断ってから封を開けて中身を取り出す。

それから嬉しそうに顔を綻ばせながら、手の中にあるピンク色をしたものをギュッと胸に押し当てた。

「わぁ、やった!彩(あや)のハッピーベアだ♪ 覚えててくれたんだぁ」

「あ、はい。でも、何かと言えばコレで、いつも同じのですいません…」

「あん!何、言ってるのよ。私がお願いしたんだもん。ちゃーんと覚えていてくれて嬉しい♪」

そう言いながら、見て見て〜。可愛い〜♪と、もう一人の先輩、桜井みのり(さくらい みのり)さんに私の作ったクマのぬいぐるみを向けて左右に揺らす。

それを見たみのりさんもまた、うん、可愛い♪ と、微笑みながら視線を私に向けた。

「彩が作ったハッピーベアは、不思議と願いを叶えてくれる力があるって有名だもんね!」

「そ、んな……単なる偶然だと思いますよ?」

「偶然でもなんでも、彩からハッピーベアをプレゼントしてもらった人みーんな、願いごとが叶ってるのよ? 私は去年、彩からもらってすぐに今の彼氏が出来たでしょ? 三恵さんはお母様の病気が良くなったし、山田課長は長年子供が出来なくて悩んでたらしいけど、彩から奥様のお誕生日にって貰ってすぐに奥様が妊娠。下野くんは彼女と結婚までこぎつけたし、相田くんもこの前、ついに昇格が決まったんだってー! これはもう、彩のハッピーベアのお陰だって言っても過言じゃないでしょー」

「うん、私もそう思うわ。去年は私、母の入院で本当に心身ともに疲れきってたからね……それが、彩から母のお見舞いにってこのハッピーベアを貰った次の日だったかな? 急に回復の方向に進みだして、お医者様から植物状態も覚悟してくださいって言われてたのに意識が戻ってびっくりしたもん。お陰様で、今はリハビリ出来るまでになったし、気持ち的に随分楽になれた。私は彩のハッピーベアのお陰だって思ってるよ」

ありがとうね! と、満面の笑みを浮かべながら、プレゼントしたクマのぬいぐるみを大事そうに抱えてくれる三恵さんの姿に、何となく照れくささも混じって頬がほんのり赤くなる。

「わわっ!三恵さんも、みのりさんも大袈裟ですよ。それ、どこにでも売っている羊毛で作っているだけですよ? それにこの私が作っているものだし。ホント、そんな特別な力はないですって」

「いいの、いいの。彩にそういう自覚がなくても、彩が作ったものを貰った人は願いごとが叶ってハッピーになっているんだからいいじゃない♪」

「それはそう……ですけど」

確かに自分の作ったもので誰かが幸せになってくれているのなら私も嬉しいけれど。

はじめは趣味で作っている羊毛フェルトを使ったぬいぐるみが増えすぎて、でも可愛くて作りたくて、だったら誰かのために作ってプレゼントしたらどうだろうと始めたこと。それがいつの間にか願いが叶うらしいという噂が噂を呼んで、【ハッピーベア】なんて呼ばれだして、最近需要が増えてきているのは事実。

一応その人のその時々の雰囲気によって羊毛の色を変えて作ってはいるけれど、それがその人の夢を叶える力になっているのかと言われたら果たしてどうなんだろうと疑問が浮ぶ。

私には超能力なんて特殊能力は存在しないし、魔法だってもちろん使えない。霊感だってこの方感じたことは一度もない。

だから、二人が言うような力はないと思うんだけど、作って欲しいと言われることは決して嫌じゃない。ううん、寧ろすごく嬉しい。

「ね、母のお見舞いの時には淡いグリーンのハッピーベアだったじゃない? 今回はピンク?」

「あ、はい。なんとなく、今の三恵さんはピンクかなーって思ったので」

「そっかぁ、ピンクかぁ。ピンクってなんだろう? ね、みのりは何だと思う?」

「やっぱり、恋じゃないですか? 私も去年、ピンク色貰って彼氏できましたし」

「あ、ウワサの彼ね! みのりってば去年その彼と付き合いはじめてからずーっと彼の事ばかり話すものね?」

と、私に同意を求めるように三恵さんが目を細めて笑う。

私はそれに、うんうん。と力強く頷くと、目の前に座るみのりさんの頬が瞬く間に赤く染まっていった。

「やっ! そっ、そんな事はないと思う……けどなぁ…」

「よっぽど素敵な彼なんだなぁっていつも羨ましく聞いてるよ? 私も、そんな彼氏出来るかしら?」

「お! ってことは、三恵さん……もしかして……」

「ふふっ♪ そうなの! やっと母の状態も安定してきたから、久々に恋、したいなぁって思いはじめてたところなの。恋をして、心の充電をしたい!! さすが彩! やっぱりわかってる〜♪」

パンパンと肩を軽く叩かれて私の顔にも思わず笑みが浮ぶ。

良かった、今回も喜んでもらえて。

「じゃあ、近いうちに出会いがあるんじゃないですか? あ! 例えば病院で、とか?」

「やだ、お医者様? だったら、いつも仕事終わりにそのまま病院に行っているから、ちょっと気合入れて行かなきゃダメかしら」

「うんうん。三恵さん、そうですよ! どこで出会いがあるかわかりませんからね。彩のハッピーベアを貰った以上、出会いは近いと思って気合入れてください!!」

「そうだよね。うん、頑張る!!」

「ところで彩は? 人に幸せ与えてばかりいないで、自分の幸せはどうなのよ?」

「え、私……ですか?」

朝から自分で作って詰めた、中身がわかりきっているお弁当。その蓋を開けて、一番に玉子焼きを食べるかミートボールを食べるかでちょっと気を取られていた私は、急な話題振りに脳がついていけず、少し微妙な反応になってしまった。

私の……幸せ?

「そういえば彩の浮いた話って聞いたことないわね。彩は高卒でここに入社したでしょ? って事は入社してから2年、彼氏が出来たって話を聞いたことないし、いるんですって話も聞かないなぁ。高校時代は? 彼氏いたんだっけ?」

「えっ、えっ?! かっ、彼氏ですかっ?!」

「もしかして……」

「その反応……」

うっ……、

「いたこと……ない…、です」

「「やっぱり〜〜〜っ」」

二人揃って同じトーンで呟かれた言葉に思わず苦笑が洩れる。

やっぱりって……。

「彩も可愛いんだからさー。もうちょっとお洒落して異性を意識してみたらどう?」

「お洒落…ですか…」

「男に興味ない?」

「あー、んー、そういうワケでは…」

…ないけれど。特別、興味がある! っていう感じでもなくて。

「ねえ、三恵さん。彩も化粧してお洒落したら絶対垢抜けますよね? 化粧するだけでも、かなりイケてる感じに変わると思うんだけどなぁ」

「そうだねー。まあ、彩は綺麗な肌をしているから化粧をしなくてもいいっちゃいいけれど、すっぴん…だよね? 今」

「あ、はい。あ! でも、日焼け止めは塗ってますよ?」

その答えがどこか的外れだったのか、三恵さんは微妙な笑みを浮べ、みのりさんは目を閉じて軽く2,3度頷く。

…………ん?

「うん、まあ。日焼け止めは必須だけどね。そろそろ大人の女性としてお化粧も必要だと思うわよ? 持ってないの? 化粧品」

「あー…化粧品は、持ってない…です」

「一つも?」

「ひとつも…」

みのりさんが言うように、私も二十歳になったのだから化粧品の一つや二つ持っておいたほうがいいんだろうと思ってはいるけれど、なんというか、勿体無くて買えていない。

働いてお給料をいただいているのだから、お金がないわけじゃないのだけど、そこまで余裕がある生活でもなくて。

必要最低限のもの以外は買わない。と決めて生活しているから、いつの間にか化粧品など自分を着飾るための装飾品はお買い物リストから抹消されていた。

「彩、それはダメだよー。一個も持っていないのは女としてダメ。ちゃんと自分磨きしてないと、いい男掴まえられないよ?」

「うんー。そう…なんですけどね」

渋る私の様子を見ていた三恵さんが、フッと優しい笑みを浮かべて持っていたお箸をおく。それからお茶を一口飲んで私の顔を覗き込んだ。

「でもさ、化粧品も合う合わないがあるからね。肌に合わなかったら勿体無いもん。化粧品代ってバカにならないし…。そうだ! 私、化粧品のサンプル色々持っているから彩にあげる。それで一度試してみたらどう?」

それを聞いたみのりさんも何かを思い出したように、あ。と表情を変え、すぐにニッコリと笑みを浮かべて私を見た。

「そうだね、三恵さんナイスアイデア!! 初心者の彩にはそれがいいかも♪ 私もいっぱい持ってるから彩にあげるよ。それで練習してから気に入ったら買いなよ」

「三恵さん、みのりさん」

二人の優しい心遣いが嬉しかった。

決して口には出さないけれど、私の境遇を知っている二人はこうしていつも私をフォローし支えてくれる。

世の会社では先輩に苛められたり上司にパワハラなどを受けたりと問題になっていることが多いけれど、私の就いたこの職場の先輩や上司はとても温かくて良い人ばかりで本当に恵まれていると思った。

「ありがとうございます! じゃあ、お願いします」

「彩は肌が白いからなー。お化粧すると絶対映えますよね!」

「うんうん。うちの社の独身貴族が黙ってないんじゃない?」

「ねえ、彩。うちの社で気に入っている人、いないの?」

「えっ!? うっ、うちの社で、ですか? いっ、いないですよ! 気にしたこともないですっ」

「確かにー。パッとするオトコ、いないもんねぇ。よし! じゃあ、今度私が彩のために合コンをセッティングしてあげよう」

「ごっ、合コン?!」

「あははっ!彩ってば何、その反応!! いいじゃない。一つの経験として、みのりに合コンセッティングしてもらいなさいよ」

「いや、でも私…そういうの苦手というか……」

「大丈夫、大丈夫!! 飲み代はオトコどもに払わせるからさっ」

いや…そういう問題じゃなくて。本当にそういう場が苦手…なんだけどな。

「三恵さんは? 一緒にどう??」

「私はほら、母の看病もあるし。急に呼び出されることもあったりで迷惑かけちゃうから。それに、私には彩からもらったハッピーベアがいるもの。病院でイケメンドクターの彼氏ゲットしなきゃ♪」

「あははっ! 確かにー!! どこぞの会社員よりお医者様ですよね!! 報告、楽しみに待ってます♪」

「うふふっ♪ うんうん、楽しみにしてて」

なんて。二人のそんな楽しそうなやり取りに耳を傾けながら、先ほど言われた合コンの事を考えると私の口から一つため息が洩れた。