振り返り様に、そっと






シーンと静まり返る教室。

一人の生徒が立ち上がり教科書の英文を読み上げている。

他の生徒も教科書に視線を落としている中、私一人が教科書から視線を上げて教壇に立つ存在をそっと眺めていた。

耳には窓から流れ込んでくるサワサワっとした風の音と共に今読み上げられている英文が微かに聞こえている。


大嫌いだった英語の授業が、彼のお陰で大好きになって。

それに伴って成績が上がったかと言うと、それは敢えて伏せておく。


生徒が読んでいる英文を視線で辿りながら確認している彼をじっと見つめていると、ふと誘われるように彼が教科書から視線を上げる。



ヤバっ!



そう思った時はもう遅かった。

バッチリと絡み合った視線。

彼は少し目を細めると、コラ。とでも言うように顎をそっと引く。

それから、フッと顔を弛めて笑みを浮かべると、また教科書に視線を落とす。

私は気付かれないように、チロっと舌を出してからちょっとだけ教科書に視線を落として、また教壇に視線を向ける。



どうしても彼を追ってしまう自分の視線。

時折絡み合う視線に、フッと微笑まれるその笑顔を見るのが嬉しくて、ついつい彼を見つめてしまう。

今は教師と生徒という間柄だけど、家に帰れば恋人としての関係になる私たち。

それが寂しくないか?と言われればもちろん寂しいよ?

みんなと同じように彼氏の自慢話をしてみたり、相談に乗ったり乗られたり、ノロケ話に盛り上がったりしたいけど、彼と付き合う限りはそれは確実に無理な話。

寂しいけれど、彼からの愛情をいっぱい貰えてるから、今の私は凄く幸せなの。

こうして授業中にも会う事ができるし、視線が合うだけで胸がきゅんってなっちゃうんだもん。

それで充分だよね?




「……さて、と。今日の授業はここまでにしようかな。来週は小テストをするから、今日の分をちゃんと復習しといてね。じゃ、終ります」


先生のその一言で一気に教室内が騒がしくなる。

ん〜。と背伸びをする人や、後ろや隣りの席の子と話し出す子。

そんな中、私も教科書を閉じて片づけをしていると、ふいに先生が声をかけてくる。


「えっと。今日の日直は…狭山さんだったっけ?」


分かってるクセにワザとそう聞いてくる先生。

思わずニヤリと顔を弛めてしまう。


「あ、はい。私ですけど…」

「今日はプリントとか教材とか結構あるから、運ぶの手伝ってもらってもいいかな?」

「ええ、いいですよ。これを持って行ったらいいですか?」


私は教壇に歩み寄り、受験に向けての参考書やら何やら沢山積まれた教材を指差して彼を見上げる。


「うん。ごめんね…ちょっと張り切って持ってきすぎちゃった」

「受験生対象の授業って大変ですねぇ?先生も苦労するね」

「……他人事みたいに言うね?狭山さんも一応受験生でしょ?」

「一応って…失礼だなぁ。立派に受験生ですけど?」

「あれ、自覚あったんだ?」

「うわっ。ひど…そーいう言い方はないと思うけどなぁ」


教材を抱えて先生と肩を並べて廊下を歩きながら、クスクス。と笑う彼に対してプクっと頬を膨らます。

廊下の人通りが少なくなって来た所で、先生は少し声のトーンを下げながら私の顔を覗きこんでくる。


「狭山さん?授業中、俺に見惚れてくれるのは凄く嬉しいんだけどね。教師としてはもうちょっと授業に集中してくれると有難いんだけど?」

「んぐっ。やっぱりバレてた?」

「普通バレるでしょー。あれだけバッチリ視線が合ったらねぇ?」

「だよねぇ?ついつい視線が行っちゃうんだもん…仕方ないでしょ?」

「んー…そう言われると何も言えなくなっちゃうんだけど。狭山さんの成績が上がらないのは俺のせいかなぁ」

「そう。先生のせいだもん」


意地悪く笑ってくる先生に対して、とぼけてみせると、あははっ。と声を立てて笑われる。


先生は、私が日直の時はこうして少しでも話が出来るようにと何かしらの用を言ってきて、時間を作ってくれている。

僅かな時間だけれど、こうして少しでも先生と話が出来る事がやっぱり嬉しくて心が躍っちゃう。

やっぱり先生は私の事を考えてくれてるんだなぁ。って思うと幸せにもなるし。



教室から教官室までの僅かな道程は、先生と話していると本当に、あっと言う間に着いてしまう。

「あーぁ。もう教官室に着いちゃった…もっと遠かったらいいのになぁ」

「ねぇ?あっというまに着いちゃうね。んー、でも。こういう僅かな時間でも狭山さんと話せる時間を大切にしたいからね。狭山さんが日直の時はなるべく沢山教材を持って行くようにするよ」

「あははっ。うんうん、頑張って持って来てね?でも、私が日直の時って月に一・二回くらいだから…中々だね」

「ん…今は仕方ない、かな。今日も塾の日だよね?また終わったら家においで?門限までの間、いっぱい話そう」

「うん!塾が終わったらダッシュで帰るね!!」

「あはははっ。転ばないように気をつけてね。今日の授業の聞いてなかった分、たっぷりお話してあげるから」

「げっ………それってお話じゃないんじゃないでしょうか」

「ん?」



銀縁の奥から、いたずらっ子のような視線を向けてくる先生に対してぶぅっと頬を膨らます。


もう。先生ってば何かにつけて勉強に結びつけちゃうんだからぁ!

そりゃ…受験生だから仕方ないんだけど。

だけど。

受験が終わって無事に大学生になれたら、少しは堂々と先生と付き合う事が出来るかな。

一緒に手を繋いで近くのスーパーに買い物に行ったり、レンタルビデオを借りに行ったり。

そんな些細な日常を堂々と彼と過ごせる日がもうすぐ来るかな。

私にとってはまだまだだけど、私が頑張らなきゃ。だもんね?



それまでは……



「先生?」



私は周りに人がいないのを確認してから、先生に声をかける。


「ん?」


先生が私の声に反応して、振り返る。

私は先生の肩に手を添えて、その振り返り様にそっと彼の頬にキスをする。



「ち…づる?」

「えへへ。誰もいなかったから、ちょっとだけ」


驚いた表情を見せてから、フッと嬉しそうに笑みを漏らす先生を見て、自分も舌を出して照れながら笑う。

彼と過ごせる僅かな時間を無駄にしたくないから…。



……こういうちょっとしたスリルを先生と一緒に楽しむのもいいかもしれない。




お題配布→『桃色手帳』






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