*抱きしめて






和希さんと付き合って丸一年。

日を追うごとに、彼に超ハマってる気がする今日この頃。

恋をすると、男よりも女の方が溺れやすいって聞くけれど。

私はそうじゃないって思ってる。

私が彼を想ってる以上に、和希さんは私の事を愛してくれてると思うもん。

だけど、不本意なんだけど……ここに来て本当にそうなのかしら?という若干の疑問が浮かび上がる。



「もうっ!」

私は一際大きな声を口から吐き出し、カクテルグラスを口にあててグイグイッと中身を飲み干す。

「ちょっと麗香、どうしちゃったの?えらく、ご機嫌斜めだね」

そう言って私の隣りに座る高校時代からの友人の里美が、少し呆れたように苦笑を漏らし、彼女もカクテルを少し飲む。

「斜めも斜め!もー、直角に曲がるぐらい傾いてるわよ、ホントにもぅ!!」

「ねぇ…何かあったの?一応、サークルの飲み会に来てるわけだからさ、あんまり怒った顔もよくないかも…」

里美は周りを伺うように視線をキョロキョロっと動かして、再び私を覗き込む。

今日、私達は大学のサークルの親睦会とやらに来ている。

会社帰りのオヤジ達が集うような陳家な居酒屋に、まったくもって面白みのない会話の応酬。

元々機嫌の悪かった私。更にそれが私の苛立ちに拍車をかける。

分かってるわよ、そんな事。

だけど、周りの雰囲気がどうなろうが知ったこっちゃないっての!

私は今、もの凄く機嫌が悪いんだから。

何故、私がここまで機嫌が悪いかと言うと、事の発端は昨日の夜の和希さんとの会話から始まる。



――――昨日の夜。



私はいつものように和希さんの腕の中で絶頂を迎え、肩で息をしながら彼の胸に頭を預けていた。

和希さんも乱れる息を整えるように私の髪から背中を優しく撫でながらベッドに横たわる。

その心地良さに、ほぅっ。となりながら、甘えるような視線を和希さんに向けて小さく呟く。

「ねぇ、和希さん。私、明日の夜、出かけてもいい?」

「……なんでそんな事俺に聞くんだよ」

「だって。ダメ!って言うかなぁ。とか思って」

「言うわけねぇだろ。行ってくれば?」

「どこ行くんだ、とか聞かないの?」

「別に」

その言葉が小さくだけど、カチンと頭に来る。

だけど、この反応はいつもの事…これで左右されてるようじゃ、まるで私の方が和希さんに負けてるみたいじゃない?

だから、気を取り直してちょっぴり彼の心を擽るような言い方をしてみる。

「明日、男の子達と飲み会なんだよね。一回でいいから一緒に飲みに行こうってしつこくって」

「へぇ」

「……って、それだけ?他に言う事は??」

「別にねぇよ」

「え、なんで?男の子が一緒なんだよ?私、狙われちゃってるのよ??心配じゃないの?」

「それでお前がそっちに行くようなら、それだけのモンだって事だろ。なんで俺が心配しなくちゃなんねぇんだよ」

そこでまた、カチンカチンっと何かが頭をつつく。

んもぅ!内心は心配で心配で仕方ないくせに!!

どーして、和希さんはそういうモノを表に出そうとしないのかしら。

ぶーっと頬を膨らませて和希さんを見ると、彼は少し意地悪そうな視線を私に向ける。

「それとも何か?俺に、行くな。とか言って欲しいわけ?」

「ちっ、違うわよ!麗香が他の男に取られたらどうしよう、とかって、本当は心配で心配で仕方ないんでしょう?もっと自分に正直になったら?」

「そういうお前が正直になれば?引き止めて欲しいんだろ、俺に」

む、ムカツク。

ククク。と忍び笑いをする和希さんを見て、更に私の頬がプクッと膨らむ。

なによ、これじゃまるで私が試されてるみたいじゃない!!

最近、絶対的に自信を持ってる気がする和希さん。

私がどう転んでも彼の傍を離れないって確実に彼は自信を持ってる。

いや、実際そうなんだけど…だけど、それじゃあ私の気が済まない。

和希さんには私が彼に夢中になっている以上に、私に夢中になってもらわなきゃ困るのよ。

だって、相手はこの柳瀬麗香様なのよ?

夢中になんない方がおかしいわよ、絶対。

私は半分ヤケを起こして、少し荒っぽく言葉を吐く。

「もぅ、いい!そんな事言ってて、知らないからね?雰囲気のいいお店で口説かれちゃったらコロっと行っちゃうかもだよ!」

「どうせ、大学生の行く店っていやぁそこら辺の居酒屋かなんかだろ?雰囲気もクソもねぇだろ」

「いっ居酒屋は居酒屋だけど、学校の近くに出来た『たぬき庵』って言うお洒落なお店なんだから」

「……名前からして、お洒落と思えねぇけどな」

「………」

ふん。と、鼻で笑うような笑みを漏らす彼に対して言葉が返せない。

もっと適当にお洒落なお店の名前をあげとくべきだったわ…

私ったら何素直にお店の名前出しちゃってるのよ、バカ。

こうなったら……

「でも、今回は結構イケメン揃いなのよ?ふらふら〜っといっちゃうかもね」

「行けばいいんじゃねぇ?そうなったら俺としてもお子ちゃまのお守りをしなくてよくなるしなぁ」

「なっ!?なに、その言い方…お子ちゃまって、私がお子ちゃまだって言いたいわけ?この超美人な女子大生を掴まえて、そういう事言う?」

「お前以外にこの部屋に誰かいるかよ…大体、俺からしてみたらお前なんてまだまだ乳臭いガキだ」

ちっ…乳臭い?

久々聞いた、そのセリフ!

んもー、あったまきた!!

「むっムカツクぅ!!もー、知らない。明日はどうなっても知らないからね?止めるなら今の内だよ?」

「だーから、行きたきゃ行けっつってんだろーが。あー、もう眠いし明日も朝早いから寝るぞ」

和希さんは私の憤慨など気にもせずに、そう言葉を吐いて目を閉じる。

なによ、なによ!そんなに悠長に構えてて、泣きを見るのは和希さんの方なんだからね!

私がどれだけモテると思ってるの?

ちょっと微笑みかければ何人もの男が恋に落ちちゃうんだから。

私は、ふん!と荒く息を吐いて、和希さんに背を向けると目を閉じた。

その様子を見て、和希さんが薄く目を開け、小さく笑っていたのにも気付かずに……



怒りのあまり全然寝付けずに、若干寝不足気味で迎えた朝。

いつもと変わらない彼の態度に、更に私の怒りが増幅する。

「本当に飲み会に行っちゃうからね!」

「まだ言ってんのかよ…どうせ、一次会が終わったら帰ってくるんだろ?つまんねぇ、とか言ってよ」

「そんなの分からないわよ。一次会は10時までだけど、それから先は気分次第!」

「あ、そ。せいぜい楽しんでくれば?」

和希さんはしれっとした様子で、じゃあな。と言葉を残して仕事に出かけて行った。

ちょっと…本当に引きとめもせずに出て行ったじゃない。

んもぉぉぉっ!ホントに、ホントに、もう知らない!!

止めなかった和希さんが悪いんだからね?どうなっちゃっても知らないんだから!!

なんで…どうして、行くな。って言わないのよ。

今まで付き合った男はみんな私を束縛しようとしたわよ?

心配じゃないの、和希さん?

私の事なんてどうなってもいいって思ってるわけ?



「――――…ちゃん?れいかちゃん…麗香ちゃん?」

「え?」

「どうしたの、さっきから浮かない顔をして。何かあった?俺でよければ相談に乗るけど」

私の隣りにいつの間に座ったのか、里美の変わりにサークルで一緒の先輩が腰を下ろして笑顔を見せる。

はぁ…この男。私目当てだってあからさまに分かるんだけど…

入部当初から何かにつけて声をかけてくるこの先輩。

『麗香好き好き〜』光線が出まくってるんですけど。

その他にも何人かいる…目の前に座る子でしょ、それと斜め前のあの子。それに少し向こうに座ってる先輩。

み〜んな私狙い。

私が和希さんにベタ惚れだって分かってても、チャンスを窺っている彼ら。

どう頑張ってもあなた達では和希さんに敵うわけないんだけど…それでも諦めないのね。

あー…美しいって罪だわ。

私はニコニコと笑っている先輩に対して、ニコリともせずに返事を返す。

「先輩に相談に乗ってもらうような事は何もないですけど?」

「そう?あんまり元気ない顔してるからさー、俺超心配で…」

私はあなたが超ウザイんですけどー。この素気無い態度で気付かないかしらね、普通。

あー、もうこの時点で帰りたくなってきた。

かったるい気分が湧き上がり、はぁ。とため息をついたと同時に、カクテルグラスの氷がカラン。と音を立てて崩れる。



――――…どうせ、一次会が終わったら帰ってくるんだろ?つまんねぇ、とか言ってよ



出掛けに和希さんから発せられた言葉を思い出し、プルプルっと自分の頭を少し振る。

いやいや、待って。このまま帰ったら和希さんの思うツボじゃない。

ちょっとぐらい遅くなって和希さんを心配させなきゃ私の気が納まらないってもんよ。

でもなぁ〜。この人達とまだ同じ時間を過ごすと思うと……イヤかも。

満面の笑みを浮かべて、何やら話しかけてくる先輩にチラっと視線を動かして、はぁ〜。と長いため息が漏れる。

「ねえねえ麗香ちゃん。この後みんなでカラオケ行くんだけど、麗香ちゃんも行くよね?」

「えー…カラオケですかぁ?」

「そうそう。いっつも麗香ちゃん一次会の途中とかで帰ったりするけど、みんなで行くカラオケも案外楽しいよ?俺が麗香ちゃんを元気付ける為に歌を歌ってあげるよ!」

……いや、だから落ち込んでないっつうの!

どーせ、歌う歌っていったら、『麗香ちゃんを想って…』とか何とか言って、ラブバラードとか歌い出したりするんでしょう?

そんなあなたの歌声を聞いた時点で気が滅入りそうだわよ。

超がつくほど帰りたい気持ちと、帰ったら勝ち誇ったような和希さんの顔が待ってるかと思うと、是が非でも帰ってやるか!と言う気分にもなる。

「どうしようかなぁ…」

思わず漏れた自分の声。

それに反応して、先輩をはじめ私を狙っている男達が目の色を変えて私を誘いはじめる。

「うわ!麗香ちゃん、もしかしてこの後OKなの?うわー、マジで?行こうよ、行こうよ!!」

「行こうぜ、麗香ちゃん。今日も途中で帰っちゃうのかなぁ、なんて心配だったんだよね。すげー、嬉しい。俺、麗香ちゃんの為に何歌おっかな」

「おいおい、お前ら。麗香ちゃんをカラオケに誘ってんのは俺だぞ?お前らは彼女の為に歌わなくていいんだよ!」

そう言って、わいわいと私の周りで盛り上がり始める彼らに対して、プチプチっとコメカミに青筋が立つのが分かる。

麗香ちゃん、麗香ちゃんって、うっさいっつうの!!

気安く人の名前を呼ばないで欲しいもんだわね。

男で私の名前を呼んでもいいのは、和希さん以外いないんだから…

「ねぇ、麗香。今日は大丈夫なの?和希さん、怒らない?」

「里美…あぁ、いいのいいの!和希さんなんて放っておけば!!里美もカラオケ行くのよね?」

「あ、うん。一応いつも行ってるから」

「そ。じゃあ、私も行く事に決めた」

私の決断に対して、心配そうな表情を浮かべる里美と、うわーっ!と盛り上がる男達。

先に言っておきますけど…あなた達の為にカラオケに行くわけじゃないですからね?

あくまで私は和希さんを心配させたいが為に、嫌々!行くんだから。

そこんとこ…ヨロシク!……って、誰に言ってんの?



会計を済ませて表に出ると、私を逃すまいとしているのか先輩はじめサークルのメンツが周りを囲む。

………マジ、ウザイ。

あーぁ、もう。こんなイヤな思いをしてるのも全部和希さんのせいなんだからね。

帰ったら、襲われそうになった〜!とか言ってやろうかしら。

そんな事を考えつつ飛ばした視線の先。

腰ぐらいまでの高さの塀に、体を預けて長身でスタイルのいい男性が煙草をふかしているのが目に映る。

「え…嘘」

声を漏らすと同時に、私は歩き始めていた…ううん、小走りになっていたかもしれない。

「え、ちょっ…麗香ちゃん?」

背後からは、そんな驚いたような声が聞こえてくる。

私はそんな声は気にも留めずに、里美ごめん!先帰るね!!と、声をかけて、少し先にいる存在に一直線に向かう。

「おせーよ、クソガキ」

「和希さん、迎えに来てくれたの!?」

「んな訳ねぇだろ、バーカ。近くを通ったからちょっとだけ待っててやったんだよ」

そう少しムスっとした顔で、和希さんは吸っていた煙草をポンと投げて足で踏み消す。

その周りには数本の吸殻が散らばっていて。

それに気付いてしまった私の顔に、それまでにはなかった満面の笑みが浮かぶ。

ホントにもう、素直じゃないんだからっ♪

「もぉ〜。心配なら心配って言ってくれたらいいのに?」

「うっせーよ。心配なんぞしてねぇって言ってんだろ」

「またまたぁ〜。和希さんてば素直じゃないんだからっ。待っててくれたんでしょ?ずっとここで」

「だから、待ってねぇって…たまたま通りかかったの」

「そぉ〜?」

「んだよ、その顔は。お前が昨日から、泣きそうなツラして俺に引き止めて欲しそうな顔をしてやがったから来てやったんだぞ?…ったく、世話のやけるガキ」

「うわっ!泣きそうな顔なんてしてません〜。和希さんが心配だったから来たんでしょ?ほら、男の子に囲まれてる私を見て、機嫌悪くなってるし?」

「なってねぇよ…おら、帰るぞ」

和希さんは、私のおでこをコツンと指先で弾いてから、スタスタと歩き始める。

「あん、もー。待ってよ!」

小さなカバンを持ち直して、先に歩き始める和希さんを小走りで追いかけると、彼は徐に片方の腕をスっと上げる。

私はそれを見て、クスっ。と小さく笑ってその腕を潜り抜け、和希さんの腰に腕をまわすと、上がっていた腕が下ろされて、私の肩に落ち着く。



――――クソガキ



そんな小さな和希さんの声が耳に届き、クイッと肩にまわした腕で私の体を引き寄せると、もう片方の腕を腰にまわしてキュッと体を抱きしめる。

私が彼を見上げた時には、もう唇が塞がれていた。

短いけれど、あま〜い彼からのキス。

唇を離してまた歩き始めながら、和希さんは、今日の夜は覚悟しとけよな。と、意地悪く笑う。

私はそれに、ふふっ。と笑みを漏らして、彼の腰にまわした腕に力を入れた。



和希さんてば、本当に私の事を愛してるわよねぇ。

なんて、思いながらも。

恋をすると、男よりも女の方が溺れやすいって聞くけれど、強ち嘘ではないかもしれない。

と、そんな事を感じた瞬間だった。



お題配布→『桃色手帳』






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