そんなこんなの翌日、こうして新屋の話を聞き流しつつ回想を終えた司狼は、ふとポケットに入れたままのパスケースにそっと触れる。
 その中には、昨日もらった名刺が二枚。
 片方は店の、もう片方は永居の名刺だ。
(……今日言ったら迷惑なんかな? いやでもお礼は早めに)
 したほうがいいんじゃなかろうか。
 社会人に謝礼をするにはどうしたらいいだろうかと、朝起きてからずっと司狼は悩んでいる。
(食べ物売ってる人だし、菓子折りとかじゃまずいよな……)
 うーんどうしよう、なんて思っていると、目の前の新屋がずいっと司狼の顔を覗き込んできた。
「シロー。シローってば、きいてる?」
「きいてない」
 どうやら結構な時間覗き込まれていたらしい。
 ふくれっ面の新屋の問いかけに間髪入れず答えると、ぶくっと頬を膨らませた後、新屋はため息をつく。
「……まぁいいや。んで? 何のお悩みさ?」
「あー、礼って何すべきなんかなと」
「お礼?」
「んー。大人にお礼って難しいのな」
 心ここに在らずと言った風情でぽつりとつぶやいた言葉に、ぴん、と新屋のアンテナが立った事など、今の司狼にわかるはずもなかった。
 父さん妖気です! なんて言い出しそうな新屋は、にやぁっと笑った後にすすすと司狼に近づいてくる。
「ねね、なんのお礼? 女? 大人ってなになに?」
 しかし、ずいっと顔を近づけられたにもかかわらず司狼は新屋の声など聞こえていない様子で腕を組んで。
「菓子折りぐらいしか思いつかねぇんだよな。それともなんかアクセ系送ったほうがいいんかな、あとはハンカチとか……って。うわ、近ぇ」
 そのあとふと新屋の存在に気づいて驚いた。
「なぁにその反応。親友の存在も忘れて悩み事なんてあっやしーぃ」
「お前の態度のが怪しいっつの」
 俺は単純にお礼の仕方を悩んでいただけだと言って新屋の顔をどけながら、司狼は再び腕を組む。
 そう言えば昔、大学生はものすごく大人に見えた。
 だがいざなってみればてんで子供なのだなと思う。
 結局大人に対する態度をどうしたらいいのかもよくわからないし、社会人に何を渡したらいいのかもわからない。そして何をしても許される子供でもない。
「はー……」
「なんだよ司狼、その目は」
 目の前に立っているいかにも青春を謳歌していますと言った表情の新屋が羨ましくない、と言えばうそになる。
 どうにも司狼はそのあたりが苦手だからだ。
 もう少しそのあたり可愛げがあったら、こんなにため息が多い人間でも、こんなに人生に枯れたような人間でもなかったはずだから。
「……いいなあ、新屋」
「はい?」
「俺新屋になりてぇ……」
「はぁ? なにいきなりそんなキモチワルイ」
 どうしたの病気? なんて額を触ってくる手を振り払って、もう一度司狼はため息をついた。
 別に新屋に悩みがないだなんて思っていないけれど。
 それでも、今現在の司狼の悩みが消えてなくなるならなってみたい。そしてそんな司狼の悩みを馬鹿にして吹き飛ばしてやりたい。そう思うのだ。


 まあ、そんなこんなぐるぐるしていたら、結局その場でお礼を何にするかなんて決まるはずもなかった。





     *     *     *





 そして週の終わりの土曜日。
 司狼は店の前に立った。
 結局三日、悩みに悩んで用意したのは小さな包み。
 だが。
(……そういや何時オープンとか、ちゃんと見てなかった)
 がっくりと肩を落とすのは、店のドアに『CLOSED』の看板がかけられているからだ。
 もらった店の名刺を見れば『OPEN 15:00』の文字。
 そして時計の針が示すのは午後11時。
 大抵のレストランは11時か11時半がオープンだろうとか勝手に思い込んできたのが馬鹿だった、と言うところか。
 せっかくなけなしの勇気を出してやって来たのに肩すかしを喰らって、司狼はため息をつきながら踵を返そうとする。
 その足を止めたのは。
「あれ? もしかして――……」
 多分もう二度と忘れる事がないと思った、チョコレートみたいな声だ。