相変わらず総輝は絵を描き続けている。
大学へは、高校からそのまま進学して美術科に入り卒業して、今は駆け出しの画家として絵を描いたり、美術講師のアルバイトをしたりしている。
大学では油絵だけでなく様々な方法を学んで、できる事の幅が広がった。そのおかげで総輝の絵も少しずつ変わって、今では様々な方法で絵を描いている。
「相変わらず空の絵ばっかり描いてるの?」
そんな風に問い掛けられたのは、高校時代のクラスメートが集まる同窓会でだった。
元クラスメートの香坂は、晴天が居たあの頃、『付き合いが悪くないか』と総輝を責めた女の子だ。
そんな香坂も今では綺麗にスーツを着こなし、立派な社会人になっている。クラスメートの中には結婚して子供がいたりする者も居て、時間が経ったんだなあと総輝はしみじみ思う。
あの後から香坂は総輝の絵に興味を持ち出して、何を描いているのか、何を描くのが好きなのかと質問攻めにあっていた。その性格は今でも変わらずらしく、総輝が絵を描いている事も覚えていたようだ。
空の絵をよく描くのだと教えて、実際空の絵ばかりを見せていたから、それしか描いていないと香坂は思っていたらしい。
「……ああ、うん。空の絵も描くけど、今は違うかな」
「なになに? じゃあ今はどんなの?」
ずいっと顔を近づけながら問い掛けられて、近いよと笑いながら、総輝は近況を告げる。
最近総輝は、古墳だとかピラミッドだとか、そんな場所にある壁画に興味を持っている。
生きている人に見せるためではなく、神様や、死者に捧げるための絵という意識に非常にそそられて、最近はその真似事をしていたりもする。
さすがに壁に絵を描くのは難しいから、石膏を簡単に流して作ったものに真似事で絵を描いたりしている。
「んん、なんかよくわかんないけど、がんばってるんだ」
「うん。まあ」
幾度かコンテストに出展して賞をもらったりもして、少しずつ近づいている気がする。
晴天がいなくなってから15年の月日が流れていた。
あれからめまぐるしいぐらいに周囲の状況は変わった。
大学を出てすぐ、総輝は大きなコンテストで賞を取って、画家としての活動を本格的に始めるようになった。
はじめは油絵に的を絞っていたのだが、最近では楽しそうだと思った事には手を伸ばすようにしている。
企業のポスター製作や、書籍の装丁もやるようになった。
その合間に自分が描きたい絵を描いて、少しずつ知名度も上がってきている。
総輝が描いた作品の中で、人気が出たのはやはり空の絵だった。
澄んだ空気を表現する画家と言う呼ばれ方をする事もあり、少し背中がこそばゆい気もしている。
「ねえ、橘くん彼女は?」
にこにこと香坂に問い掛けられて、物思いに耽っていた総輝は慌てて返事をした。
「え、あ? なに?」
ごめん聞いてなかったと言えば、もう一度問われる。
「だから、彼女いるの? って」
「え、いや、いないけど」
左右に首を振って答えると、おっしゃと香坂は指を鳴らした。
一体なんだと思っていれば、ずいっと顔を近づけられ、んふ、と何か企んでいるような笑い方をされる。
「橘くんこの中から彼女作る気ない?」
「は……!?」
想像もしていなかった事を言われて、ぽかんと口が開いたままになってしまった。
どう答えていいのやらと思っていたら、こらこらと後ろから声がかかる。振り返った先に立っていたのは、香坂が文句を言ってきたあの時、総輝を擁護するかのように反論してくれたクラスメートの飴沼だ。
「いきなり何言ってるんだよ、香坂。橘困ってるだろ」
「あん、邪魔しないでよ飴沼。アタシ結構真剣なんだから」
「だーかーら、困ってるっつってんだろ。大体そう言うのは無理強いするもんじゃない」
そんぐらいわかっとけあほ。と香坂の額を軽く叩いて、飴沼は総輝の手を引いて部屋の端へと連れていく。
後ろから香坂の文句を言う声が聞こえたけれど、飴沼はそれを無視してしまった。
「あ、ありがとう」
「ん。どういたしまして。でも嫌ならちゃんと断った方がいいと思うから、次は自分でやれよ?」
「ああ、うん……」
「それからほれ」
ひょいっと手を伸ばして、飴沼がテーブルから取ったのは小皿だ。
その上には数種類のつまみがのっている。
「さっきからちびちびビール舐めるばっかで食ってないだろ。食べなきゃ損するぞ」
「あ、りがとう」
「あとそれから、おめでとう」
自分の分の食事をひょいひょいと皿にとりわけながら、なんでもない事のように飴沼は言う。その意味がなんなのかわからなくて総輝が首をかしげると、違ったかな、と飴沼も首をかしげながら説明した。
「こないだの新聞、ナントカ賞が受賞がどうのって書いてあったとこに橘の名前があったと思ったんだけど」
「へ……? あ、ああ」
そう言えば先日、企業のポスター製作のコンクールの発表があったと思い出して、それのことかと総輝は納得した。それと同時に、すごいなあとも思う。
何せその発表の記事は、3面だか4面だかの墨に小さく書かれていたものだったからだ。
「よく見つけたね」
「たまたまだよ。知ってて黙ってるのもなんか悪いから、一応言っといた」
「うん、ありがとう」
おめでとうといわれるのは素直に嬉しかった。
だから素直に笑って、渡された食事を食べる。
「あ、あと画集とか出すんだったら教えてくれよ?」
「そんなに大したものじゃないって」
「いやいや、そんなのわかんないだろ。出たら絶対買うから、サイン頼むな」
「……って言われても」
駆け出しのぺーぺーな自分に言われてもしょうがないと苦笑して、じゃあ出るぐらいに有名になったら教えると答えておいた。
同窓会の翌日、バイト先の生徒のコンクールの結果が発表されていた。
残念ながら教え子の名前は、賞の中にはなかった。けれど、その結果を見て総輝の目は驚きに見開かれる。
「……!」
大賞の部分にある名前には、見覚えがあった。
絵のタイトルは『蒼穹』とつけられていて、そこには深みのある青空が広がっている。その下には作者の名前。
羽染 晴天。
「……せ」
晴天、と呼ぼうとして、慌てて口を塞ぐ。
どきどきと心臓が早鐘を打つのがわかり、息の仕方がわからなくなる。
晴天の名前を久しぶりに見た。
彼の油絵を見たことはなかったけれど、それがあの晴天が描いたものだとはっきりと確信できる。
見間違えるはずなどないのだ。
彼が描いたスケッチブックは、あれから毎日肌身離さず持ち歩いている。
大切に保管したくもあったけれど、自分の手元から離して、あの時自分が描いた絵のように消えてしまうのが怖かったからだ。
何度も何度も見返して、今ではもう、中を見なくても脳裏に晴天の絵を思い浮かべる事ができる。
一番最後のページに描いてあったものを見て、最初は泣き崩れた。
けれど晴天はそれを望んでいなかったから、何度も何度も見返して、やっと最近、笑えるようになった。
一番最後のページにあったのは、総輝の笑顔だ。
自分の顔は、晴天の目にはそんな風に映っていたのかと驚くほどに、スケッチブックの中の自分は楽しそうに笑っていた。
こんな風に笑った顔が見たいと言われているみたいだと、そう思ったのはきっと間違いではない。
「……ちゃんと居るんだね、晴天」
印字された文字の上を指でなぞり、そこにちゃんと晴天が居るのだと感じて、総輝は穏やかに微笑む。
辛いことも多かった15年間。
会えるようになるまであと3年。残りの3年はきっと、今までよりも辛くない。
「俺、がんばるから」
ちゃんと個展が開けるぐらいになれるようにがんばるから、その時には総輝を知っている『晴天』であってほしいと思う。
がんばるよと小さな声で囁いて、総輝は近くに置いてあるスケッチブックに触れる。
あと少しがんばろうと決意して、総輝は仕事に戻っていった。