――――――――――――――――――― 『恋ぞつもりて』




 総輝の言葉を聞いた晴天は、ぽかんとしていた。
 何を言われたのかわからない、そんな表情をしていて、何を思ったのかその後すぐに笑い出した。
「っはははは!」
「え? え? なに?」
 今のは笑うところなのか、そうなのか。
 混乱しつつもかなり真剣だった総輝は、晴天の反応に戸惑いつつショックを受けた。
 だってそんな、何もわらわなくたって。
「あああ、ごめ、ごめん。なんか、当たり前の事、改めて言うからなんか笑いが」
 ごめんバカにしてるんじゃないよと、笑いながら晴天は言う。
 腹を抱えてひとしきり笑い目尻に浮かんだ涙を拭った晴天は、明るい声で問い掛けてきた。
「なんでいきなりそんなに改まったの?」
「え、いやあの」
 総輝がなけなしの勇気を振り絞って伝えた言葉は、肝心な部分が抜け落ちていたおかげで違う意味に取られてしまったようだ。
 そして改めて意味を聞かれると、なんだかやたら恥ずかしくなって言葉は口の中に留まって外に出てきてくれない。
「それとも今までは描きたくて描いてた訳じゃない?」
「ちがっ…!」
「だよね。じゃあ、なんで?」
 笑って問われて、咄嗟に総輝は俯いた。
 どうしよう、何を言おう。
 そんな風に考えて、結局何も思いつかず素直に口を割る事にした。
「…あの、晴天を、描きたいな…って」





 ぽかんとしていた。
 今の晴天の表情を表現するならその一文が当てはまるだろう。
 総輝の言葉に、呆気にとられた晴天はあんぐりと口を開けて、呆然となる。
(誰が、何を?)
 総輝が、俺を。
 自問自答してからようやくその言葉の意味を理解する。
 まずは開き切っていた口を閉じて、代わりのように目を見開く。そうしてから、まず自分を指さして、次に総輝を指差すとうなずかれた。
「ええと、人物画?」
 とりあえず訊いてみたら、頷かれた。
 頷かれたのはわかったのだが、イマイチその意味がよくわからずに総輝を眺めて、そして数秒後の事。
「…ええええええ!?」
 言われた事の意味を理解した晴天は、目を剥いて驚いた。



「ななな、なんで?」
 とりあえず理由がさっぱりわからなかったから、晴天はそう問い掛けた。
 そこそこの外見をしているのだろうというのは、弟を見ていても周囲の人間が見せる自分への態度でも理解している。
 だが見た目の良さだけでは、『描きたい』と思う気持ちは生まれないと思っている。
 相当な美人ならばその存在だけで芸術だと思うから、話は別になってくるのだが、晴天は自分がその相当に値するとは思っていないし、実際そこまで美形という訳でもない。
「…あ、なんか…きれいな、ひとだなって」
「…きれい? 俺が?」
 首をかしげると、総輝は頷いた。
 その言葉が見た目の話だけではないという事は理解できるのだが、イマイチ納得がいかずに晴天の眉間には皺が寄る。
「あ、いや、嫌だったらいいんだけど。なんか…ずっと、描きたくて」
 手が。
 ぼそぼそと喋りながら、総輝は何度も何度も手をさすっていた。
 何かを堪えているようなそんな仕草に、総輝は考えるよりも体が先に動くタイプなのだと察する。
 描きたいと思う欲求は理解できる。自分自身もそうだからだ。
 だから俯いてしまった総輝に、晴天は微笑んだ。
「いいよ。描きたいなら描いてください」
 そんなにかしこまらなくても別にいいのに、と笑って見せればぱあっと総輝の周りが光り輝いたように見えた。
 実際たぶん、総輝の中ではそれぐらいの変化だったのだろう。
 目に見える表情はとたんに明るくなったし、その目はきらきら輝くようだ。
 だがそんな総輝に、晴天は「ただし」とつけ加える。
「俺はモデルじゃないので、ずっと動かないでいるのは不可能です。なんで、普通にしててもいいなら描いていいよ」
「本当!?」
 その言葉を聞いた総輝が、それこそが描きたいのだと全身で示して、正直圧されて少し怯えた。だがそれでこそ絵描きだと、少しひけた腰はそのままに、晴天は笑う。
「大した事、できないよ?」
「いい。描きたいのは、俺だから」
 晴天はそのままでいいです。そう言って嬉しそうに総輝は笑う。
(あーあ…)
 まいったね。
 そんな風に苦笑しそうになってしまうのは、そんな事を言ってくれる総輝が熱中するものが『絵』の方だとわかっているからだ。
 自分を描きたいと言ってくれるのは嬉しいのだが、やっぱり『絵』には勝てないのかなあとも思う。
 だが絵が好きな総輝をすきなのだから、しょうがない。
 そんな晴天の葛藤も知らない総輝に、だからこれはほんの少しの意趣返しのつもりで、晴天は笑ってみせた。
「じゃ、俺も総輝を描こうかな?」
「…え?」
「おかえし、ということで」
 にこっと笑ってそう告げると、ぴきっと総輝は硬直してしまった。
 どうやら描きたいと思う事はあっても、描きたいと『思われる』事については想像もしていなかったらしい。
「…っ、くくく」
 すっかり硬直してしまった総輝を見ているとなんだか笑いがこみ上げてきて、堪えきれずに笑いが漏れてしまった。
 それでも最初は堪えていたのだが、やがて耐えられなくなって腹を抱えて笑い出す。
「あははははは!」
 それまですっかり硬直しきっていた総輝だったが、さすがにこの笑い声で我に返って叫んでくる。
「…っなん、からかった!?」
 嘘でしょう、と叫ぶ総輝の顔は真っ赤で、また笑いがこみ上げる。
 声を上げて笑えば、顔どころではなく耳や首まで赤くなって、晴天の笑いはますます止まらなくなった。
 だがそのまま笑い続けていれば、さすがの総輝でも機嫌を損ねるのは必至だろうし、なんとかひきつる腹を押さえて目に浮かんだ涙を拭って「からかってないよ」と晴天は答える。
「う、うそだぁっ!」
 絶対嘘だ、絶対からかってる!
 涙目で叫ぶ総輝が、とても大事なもののように思えてたまらない。
 そのことが嬉しくて嬉しくてしょうがない。
「うそじゃないうそじゃない」
 絵筆に誓って嘘ではありませんと笑って、晴天は疲れたーと笑う。
 笑いの痙攣はやっと治まったが、なんとなく腹がひきつる感じがぬけない。笑いで筋肉痛になるかと思うのは初めての経験で、それすらも楽しいと思うのはどうしてだろう。
 ただひとつ、わかっているのは今この気持ちの原因が総輝であるということだ。
 そしてその総輝に向かって、笑みを向けながら晴天は続けた。
「俺も、描きたいよ」
 総輝のこと。と笑えば、総輝はまた固まる。
 それがおかしくてまた晴天が笑い出すと、今度は恨みがましいような目で睨まれてぎくりと笑いはおさまった。
「うそだ」
 今度のは少しばかりでなくかなり本気の拗ねた目で言われて、あららと晴天は困った。しまった笑いすぎたか。
「嘘じゃない。本当。まあ俺のは抽象画だから、人物画じゃなくてイメージみたいなもんだけど」
 人でも景色でもなんでも、そのまま写し取るというイラストは自分には向いてないのだと晴天は考えている。
 それよりも感じたものを、何か別の形で写し取るのが晴天は好きだ。
 そうして出来上がったものは、自分の中だけのものだから。
「…じゃ、じゃあ」
 恐る恐ると言った様子で、持っているスケッチブックを抱きしめるようにした総輝は、ほんの僅か、瞬くほどの間俯いて、その先に続く言葉を晴天は取り上げて口にした。
「お互いさまということで」
 微笑んで示したスケッチブックで、その意図は伝わるだろう。
 そう思ったとおり、総輝はその目を輝かせて頷く。
「はい!」
 嬉しそうに笑う総輝の表情にくらくらしながら、こんなものを抱えて描いた絵はどんなものになるのだろうかと晴天は思う。
 それが恐ろしくもあり、先の見えてこないそれが、嬉しくもあった。