■若葉のころ■ ふたりは、学術、武術ともに目を見張るような成長を見せていた。それはまるで、春に芽吹いた若木が、みるみる枝を伸ばして行くようだった。特にカノン。サガの目から見ても、カノンのここのところの武術の伸び具合は瞠目に値する。 カノンはこの得意な武術が認められ、聖闘士になる。 自分は学術の分野を伸ばし、神官へ。 サガはなんとなくそうなるような気がしていた。このことについて、カノンときちんと話し合ったわけではなかったが、カノンもそう思っているようだった。 サガは本を読むのが好きだった。今まで全く知らなかった知識を得られるだけでなく、さまざまな考え方や価値観、それが積み重なった習慣や文化に触れることで、いかに世界が広いものであるかを知ることが出来る。 そして自分の世界が、いかに狭小なものであったかを知ることで、自分の不幸な生い立ちを些細なものであると思うことが出来るから。 ただ、それとは別に、読めば読むほど不満が募る。サガが読む書物は、教師ロヨルが聖域から持って来るものであるため、これについて調べたいと思ったことも、自分でその資料を探すことが出来ない。ロヨルにそれを頼むのも、余計な手間を掛けるようでもあり、何となく自分の内面をさらけ出すようでもあり、なんとなくサガには憚(はばか)られた。 幾世代前かは分からない。一人の聖闘士が残した手記がある。それはやがて聖戦を迎えるという、ちょうど今と同じような時代から書かれ始める。どんな事件が起こり、どのような勅命が下り、それがどのような結末を迎えたか、淡々と起きた事実のみが綴られている。武人らしく、彼の泣き言は一切書かれていない。女神への篤い思いと、同胞らへの強い信頼が、そこに綴られた全てである。 だがサガは、彼が本当はどのように感じ、どのような意見を持っていたのかが知りかった。不安に飲み込まれそうな夜も、上官からの理不尽な命令に怒りを覚えた朝もあったはずだ。彼の書いた手記はこれで全てなのか。他の者が書いたにこのような手記は残されていないのか。サガは、やがて自分らが辿るであろう道を、遥か昔に歩んだ彼らの手記を元に模索したかった。 ロヨルに聞けば、聖域には膨大な数の書籍が保管されているという。叶うなら、自分の手でその中から自分の求めるものを探し出したかった。 カノンに言えば、きっとロヨルに頼んでみろと言うだろう。カノンが聖域へ勝手に往来するのと違い、サガには大義名分がある。ロヨルは好いヤツだから、きっとサガの頼みを聞いて、聖域へサガを連れて行ってくれるはずだ、と。それだけではない。勉強熱心な生徒を、きっと喜ばしく思うだろう、とも言うに違いない。 だが、サガにはそうは思えなかった。熱心で優秀な生徒と思ってもらえれば良いが、生意気で出しゃばりだと思われたら。大人は、子供には従順さを求めるのだ。上司は部下に、と言い換えても良い。 カノンが持ち帰った情報によると、聖域では小宇宙を発動させての訓練において、神官を使って結界を張らせることなどしないのだそうだ。それが正式な聖闘士候補生であってさえ。 それを思えば、自分たちは頭一つ飛びぬけていると考えられる。だが、それは良い面ばかりではない。それだけ注視されているだろうし、危険視、敵視している人物だっているかもしれない。 サガは再び、幼い頃の、あの底知れぬ恐怖を思い出し、そしてひたすらにそれが繰り返されることを怖れていた。自分たちの存在を疎まれ、この世から消え去ってしまえと祈られるなど、とても耐えられるものではない。 サガは、二度とあんな思いをしないよう、自分は大人たちの望みどおりの存在なのだと思われるように細心の注意を払って来た。細心の注意を払っていることさえ、気づかれないように振舞ってきたのだ。しかして、サガは耐え忍ぶことを選んだ。 カノンが聖闘士と認定され、自分が神官への道を歩み始めるその日を、ひたすら待ち続けることにしたのだった。 緑は日に日に濃くなって行く。萌え始めた頃は、皆似たような柔らかなきみどりいろをしていた木々の葉は、やがて硬く光沢を放つ深い緑や、葉脈をしっかりと浮き立たせた白っぽい緑へと変化していた。日差しはまぶしさを増し、空は絵の具のような青さを見せていた。 「やった!やった!やった!!」 カノンが興奮した声を上げながら走って来た。その声はずいぶん前から聞こえて来ていて、カノンは山のふもとから、いや、それよりももっと前から騒ぎながら走って来たのかもしれなかった。 カノンの興奮と来たら手もつけられないほどで、小屋に入って来るかと思いきや、さっきからずっと小屋の前で奇声を上げ続けている。 サガが扉を開けると、カノンはヘンな踊りを踊りつつ騒いでいたのだった。 「どうしたんだ」 「いやっほう!最高!」 カノンは怪訝な顔をして見つめるサガをものともせず、サガの手を取ると一緒に躍り始めた。 「何が最高なんだ」 「オルコスが聖闘士に選ばれたんだ!ひゃっはー!!」 「え」 「オルコスは今日から正規の正式なホンモノの聖闘士だ!」 「オルコスが?!」 サガはおるコスと直接対面したことはなかったが、カノンがしょっちゅう話していたため、まるで旧知の仲のような感覚になっていた。 カノンはそれまで取っていたサガの手を離すと、急にファイティングポーズを取った。 「青銅聖闘士、艫(とも)座のオルコス!」 「良かった……、良かったなぁ!」 「かっこよかったぜぇ、もっと緊張して動けないかと思ったんだけどさぁ、あいつ本番に強いのかもなぁ。聖衣って初めて見たけど、かっこいいな!あれはもうたまんねえ」 音がしそうなほどきっちりと決めていたポーズをするりと解いてカノンは言った。 「そうか…、オルコスは、艫(とも)座なのか……!」 そして、カノンは試合の詳細を、興奮しながら語り始めた。サガはカノンの話を聞きながら、艫座の神話について思いを馳せた。 艫座は、もとは「アルゴ座」という一つの巨大な舟の星座だった。あまりに巨大すぎるという理由から、18世紀に天文学者ラカイユによって四つの星座に分割されたとされている。 だが、聖域に於いては遥か昔よりこの四分割された形で扱われていた。勅命を受け、身分を隠して俗世へと出ていた聖闘士ラカイユが世に広めることとなったというのが真相である。 この巨大な舟は、王位を不当に奪われた王子イアソンにより、女神ヘレンの助力を得、国を取り戻すべく建造されたものである。イアソンは、勇者ヘルクレス、竪琴の名手オルフェウス、そして双子のポルックスとカストルら50人の勇者たちを乗せ、黄金の羊の毛皮を手に入れるべく大海原へとこの舟で漕ぎ出す。 行く手をいくつもの困難に阻まれながらも、王子イアソンは勇者たちと力を合わせながら黄金の羊の毛皮をその手におさめ、簒奪者である叔父ペリアドを倒し、見事国を取り戻すのである。 カノンが熱心に指導したオルコスが艫座とは。これでカノンが双子座となって一軍を率い、オルコスもその中の一人として、カノンの足となって光溢れる地上を簒奪せんとする闇の使者を薙ぎ払うのだとしたら、それはまさしく神話の具現ではないか。そうだ、きっとこれはやがて現実のものとなるだろう。やはりカノンが聖闘士になる運命なのだ。 サガは、胸が熱くなるのを抑えることが出来なかった。 自分は、彼らを知識で後方から支援しよう。ロヨルやカノンの話の断片をつなぎ合わせて考えると、どうやら聖域は情報の整理が出来ていないようだ。きっと自分は、その分野で大きな力になれる。自分たちはそうやって力を合わせ、この美しい、輝く世界を守って行くのだ。 サガは、はちきれんばかりのカノンの笑顔を見ながら、自分たちに与えられた、輝く未来をとても誇らしく思ったのだった。 |