■たいまつの夜■
      

 カノンがあの「ひかりのかべ」を破ったその夜のことである。たくさんの大人たちが二人の小屋へやって来た。その数はおよそ15名ほど。皮鎧の屈強な男たちが10人、ローブを纏った神職と思しき男たちがその半数程度である。

 しまった、とカノンは思った。こんな大事になるなんて、と。いや、正確に言えば、後のことなど何も考えていなかったのだ。聖域へ行こうとし、ひかりのかべがそれを阻んでいることが判った。だからそれを破れば聖域へ行くことが出来る、とそれしか考えていなかった。
 あの「ひかりのかべ」を破れるかどうかも分からなかったし、ましてやそれを破ったらどうなるかなど、想像だにしなかったのだ。

 皮鎧の男たちが、松明をかかげ、そこここを見て回っている。神官たちが彼らから報告を受けては、輪になって相談を繰り返す。サガとカノンは、その様子を小屋の戸口に立って黙って見ていた。

「なにがあったんだろう?どうしてこんなにたくさんの人がここへ来たんだろう?」

 窓から外の様子を見ていたサガが、不安な面持ちでつぶやいた。カノンはそのサガの質問に、沈黙を持って答えた。

「なにをするつもりなんだろう?」

 実のところ、カノンはサガのそのつぶやきに心臓を掴まれたような気がした。自分が思っていたまさにそのことをサガがつぶやいたからだ。そう、カノンと同じ声で。

 二人がシンクロすることは珍しいことではなかった。隠し事が隠せていない、知らないはずなのに思わずそのことを言い当ててしまう、そんなことはしょっちゅうだった。
 今回も見透かされちゃうかな、とカノンは不安に思いつつも、今回ばかりはサガの言っている意味と、自分が思う不安とには、相当な隔たりがあるのだと、そう思い込もうとした。

 大丈夫。サガは今回のことは何一つ知らないんだ。
サガの言ったことは、言葉以上の意味はない。

 カノンの言うそれの意味するところは「彼らは犯人を見つけるつもりなんだろうか」ということである。そして、彼らは犯人が誰なのか、突き止めるだけの能力を持っているのだろうか。もし自分があの「ひかりのかべ」を破った犯人だと突き止められてしまったら、一体自分はどうなるのだろう。

 反逆者として投獄されるのだろうか?
それとも聖域を追放される?そしてサガは?自分と同じ処罰を受けるのだろうか。
それともサガだけはここに残ることが許され、俺だけが処罰される?
 ヤバイ。俺、まずいことしちゃったなぁ。どうしよう、どうしたらいいんだろう。

 カノンの胸を、今までにない不安がせりあがった。そのとき二人は、神官の輪の中にあの体術教師の姿があることを発見した。

「せんせい!!」

サガが思わず叫んだ。教師は、二人の方をちらりと見、そして神官の中のリーダーと思しき人物と、二言三言言葉を交わしてから二人の方へやって来た。

「大丈夫か、二人とも」

 教師は笑顔をその顔に浮かべていた。そして、心配ない、と言わんばかりに太い腕で二人の背中をばんばんと叩いた。

「先生!なにがあったんですか?!どうしてこんなにたくさんの人が?!」

 サガが噛み付かんばかりに教師に質問した。

「うーん」

 教師は少し視線を上にあげ、なんだか間の抜けた声を出した。

「なにがあったかはなぁ、なんだかよく分からないんだ。今みんなで調べてるんだが、分からなさそうだ」

 サガの瞳が、そんな悠長なことで良いのか、という批判がましい色を浮かべて揺れた。そう思いつつも、サガは「みんなで」という教師の言葉の中に、教師には自分たちの知らない世界が存在していることを感じた。皮鎧の男たちも、神官たちも、皆仲間だということだろう。

「だが、心配はいらないよ。これからみんなで女神に加護をお願いするんだ」

 教師は白い長衣の一団へと目をやった。やはり彼らは神職であるらしい。教師は今までの経験から、おや、と思った。普段なら、カノンがここで食ってかかってくるはずである。
 子供ながらに鋭いと言おうか、可愛げが無いと言おうか、とにかくその抜け目の無さを存分に発揮して、教師に詰め寄ってくるはずであった。だが今日は口を真一文字に結んで、思い詰めた目をしてじっと黙っている。

「カノン、何か思い当たることでもあるのかい?」

 カノンはその言葉に、はっと顔を上げると、夢中で頭を横に振った。それが、精一杯だった。
 その様子を教師は黙って見ていたが、それ以上追求することはしなかった。ここで彼がもう少しカノンを追求していたら、結果はずいぶん違ったものになったかもしれない。

「そうか。もし、何か気づいたことがあったら隠さず教えて欲しい。もちろん、サガもだ」

 サガは、教師をまっすぐに見つめて、こくん、とうなずいた。教師も小さく頷きを返して言った。

「じゃあふたりとも、家の中へ入りなさい。冷えるからね」

 二人は教師に背中を押されて家の中へ入った。

 小屋へ入ると、この小屋を出たときと、部屋の中の空気は、ずいぶんと長いこと留守にした後のように、まるで違ってしまっていた。二人の不安な気持ちがそう感じさせているのだろうか。
 さっきまで燃えていた暖炉の火はすっかり消えてしまっており、部屋の中は有毒なガスでも充満したかのように、空気はすっかり澱んでいた。
 二人は何も言葉を交わさず、サガは木で作られた簡素な椅子に腰掛け、同じく簡素なつくりの食卓に手をつき、指を組むと小さなため息とともに顎を乗せた。
 カノンは、サガと背中を合わせる格好で暖炉の前に、背中を丸め、足を抱え込む格好で座り込むとちょうど手の届くところにあった枝を掴んでごそごそと暖炉を掻き回した。炭はすっかり白くなってしまっていて、驚くほど簡単にぼろぼろと崩れ落ちた。もう少し熾き火となって残っているかと思ったが、もうほとんど消えかかってしまっている。

 もういちど初めから熾すしかないか。

 カノンは細い枝を、空気の通る適当な隙間を持たせて組み合わせ、火を点けた。
小枝が炎を上げて燃え上がった。炎は、まるで悶えるかのようにゆらゆらと揺らめきながら、細い枝の上をのっそりと這い上がって行く。

 外では、儀式が始まったらしい。そこここを動き回っていた松明が動きを止め、一箇所に集まっていた。朗々と詠み上げられる祈りの言葉が、低く、長く聞こえて来る。
 二人は言葉を交わすこともなく、黙ってその声を聞いていた。

 小枝は簡単に燃え上がるが、あっという間に燃え尽きてしまう。炎が消えてしまう前に、もう少しだけ太い枝をくべてやらなければならない。そうして、少しずつ太い枝えと火を移して行くのである。
 小枝の小山がすっかり灰になってしまった頃に、薪となるしっかりとした太い枝へ、小さな赤い点として火が燃え移っていれば焚き付けは完了だ。あとしばらくすれば、薪はやがて炎を上げるだろう。急ぐなら、ひたすら煽げば良い。

 歌うような声が窓の外から流れ込んでくる。

「祈祷…を上げてるんだよね。ぼくたちを誰かから守ろうとしてるってことだよね……」

 サガが儀式の声を聞きながら、ぼそりと言った。カノンは暖炉の前で丸くなったまま、それには答えなかった。

「誰かから守るってことは、誰かがぼくらを狙ってるってことでしょ?どうして、誰もぼくたちに説明してくれないんだろう」

 サガはカノンの答えを待つようでもあり、一人ただつぶやいているようでもあった。

「どうしてぼくたちは、あの、人がたくさん住んでいた街のようなところには住ませてもらえないんだろう」

 サガもそのことを考えていたのか、とカノンは少し驚いたが、カノンはそれにも答えず、暖炉に炎を起こそうと、ぱたぱたと薪を煽いでいた。
 
「どうして突然、こんなにたくさんの人たちがここを訪れたんだろう。それで、こんなに本格的な儀式を行うなんて。心配いらないって言われたって、不安にならないわけないのに」

 それまでくすぶっていた薪が、ぽっと炎を上げた。こうなれば、火を大きくすることは造作も無い。冷え切っていた部屋も、すぐに暖められる。お湯を沸かして、あたたかい飲み物でもつくろう。不安な夜は、それでとりあえずは落ち着くことが出来る。

「ぼくたちを狙う人がいるとしたら、それはどんな人なんだろう。どうしてぼくたちを狙うんだろう。ぼくたちは、なんで狙われなきゃならないのかな」

 サガは、淡々と不安な自分の胸のうちをカノンに打ち明けた。

 儀式の方はと言えば、それまで一人だった祝詞を読上げる声が、大人数のものへ変わっている。ふと目を遣ると、地面に直に描かれた陣の周りを、松明を掲げた皮鎧の男たちがぐるぐると回りはじめたところだった。
 炎は、まるで外の祈りの声に呼応するように激しさを増した。ぱちぱちと爆ぜる音がしきりに聞こえる。さっきまで冷え切っていた部屋が嘘のようにあたたまる。
 火ってあったかいんだな、とカノンはサガの疑問に答えることはなく、見当違いなことを遠くで考えていた。

 窓の外では、同じ言葉が低く、長く繰り返された。何回繰り返されただろう、4回までは数えていたのだが、その後は分からなくなってしまった。そして再び松明の火がぐるぐると動きはじめ、祈りの声はだんだんと遠ざかって行った。

「あのさ」

 唐突に沈黙をカノンが破った。

「俺なんだ」
「え?」
「あの日、通って来た町へ行こうとおもった。あの橋を渡って、あの街へ行ってみようとおもったんだ」

 ぱちん、と薪が爆ぜる。

 カノンは、それまでの状況をサガに話した。

 川に架かっているはずの橋がどうしても見つからなかったこと、それはひかりのかべによって隠されていたためであったこと。そして、自分がその「ひかりのかべ」を破ったこと。

「ちょ、ちょっと待ってカノン。その“ひかりのかべ”って何なの?ガラスか何かが張ってあったのか?」
「ちがうよ、なんにも無かった。でも、そこにはかべがあったんだ」
「何言ってるんだ、ちゃんと説明してよカノン。なんにも無かったの?それともかべがあったの?」
「なんにも無く見えた。でも何かあったんだ」
「何かって、何が?」
「だから、“ひかりのかべ”があったんだよ」
「…………」

 話は堂々巡りを繰り返すばかりだった。
“ひかりのかべ”が何だったのかなんて、カノンにだって分からない。

「何で出来てたかも、何でそんなもんがあったのかもわからない。でも、それが橋を隠してたんだ。で、それにひびを見つけて、小石を頭の中でぶつけたら、ガラスみたいに割れた」

カノンは一気にまくしたてた。

「割れたんなら破片があるだろ?それ見ればガラスなのか何なのか判るだろ?!」
「わかんねーよ。破片は消えちゃったんだから」
「…………」

 カノンは一体何を言ってるんだ。

 サガは軽く眩暈を覚えた。理解の範囲を超えている。

「ああもう。お前さ、変な本ばっかり読んでるからわかんなくなっちゃうんだろ」

 サガはカノンのその言葉を聞き流しつつ、さっきのカノンの話を頭の中で必死に整理していた。

「昔はこういう話、すぐに通じたのにさ、最近のお前見てるとすっげーいらいらする」

 カノンの声がサガの神経を逆撫でする。自分と同じ声だから余計に気に障るのだろうか。

 ああ、もう少しで考えがまとまりそうなのに。
なんでカノンはちっともぼくの気持ちを考えてくれないんだろう。
昔はこうじゃなかった。母さんの元にいたときは、何の説明も必要なかったのに。

「少し黙れ!考えがまとまらないだろ!」
「まとまるも何も今の説明で分かるだろ!」
「ちょっと待てって言ってるのが分からないか!!」
「何だよその言い方!」

 サガの物言いに、ついにカノンが怒声を発した。

「おまえさぁ、俺だってちゃんとやってるのに、なんで先生に言いつけたりするんだよ!!」

 この間からずっと心の中にくすぶっていた不満を、ついにカノンはサガに対してぶちまけた。言われたサガも黙っていない。言いつけるのは確かに気が咎めていた。でも。
そもそもの原因はカノンにあるのであって、自分を悪者であるかのように言われたのではたまらない。

「ちゃんとやってないだろう!ちゃんとやらないから先生に言ったんだ。こんな風にサボってて、ここから追い出されるような羽目になったらどうするつもりなんだ!」

 サガの言うことは実に理屈が通っている。

「俺だってちゃんと考えてやってる!」
「何をどう考えてるんだ!それよりちゃんとやってはいないだろう!まずそこを認めたらどうなんだ!」
「ちゃんと考えがあってやってるって言ってるだろう!」

 対するカノンは、肝心のことをサガに言えずにいるため、サガを言い負かすにはどうあっても不十分だった。

「じゃあ分かるように説明できるだろ!ちゃんと納得の行く説明をしてからそういうことを言ったらどうなんだ!!」
「だからそれを説明するためにあの街へ行こうとしたんだ!そうしなきゃ説明なんか出来ねーよ」

 サガはそのカノンの言葉を軽く鼻で哂うと、つづけてこう言った。

「ほんっとにお前は、言い逃れが上手いよな。そうやっていっつも上手い言い訳を思いついて、母さんや先生を言いくるめるんだ。ぼくがそれに気づいてないとでも思ってたのか!」

 サガの言葉はいよいよカノンを昂(たかぶ)らせていく。

「なんだと?!言いくるめようなんてしてねーよ!ほんとのことだ!!お前こそチクるとかどこまできったねーんだよ」
「ちゃんとやらないお前が悪いんだろう!やらなきゃいけないこともやらない、余計な問題は起こす、それでお前がここから追い出されるのは勝手だけど、こっちまで巻き添えになるなんて冗談じゃない!!」

 その言葉に、すっとカノンの顔から色が消えた。

「……お前、結局自分のことしか考えてねーんだな。よーくわかったよ」

 カノンは低く言い捨てると、表へ飛び出した。

「カノン!どこ行くんだ!!」

 サガの声が後ろからカノンを追いかけてくる。

 知るもんか!お望みどおり出てってやる!

 捨て鉢になったカノンは、走って、走って、走った。

 ぬぐってもぬぐっても涙が後から溢れた。なんで泣いているのか、カノンは自分でも分からない。

 怒りなのだろうか。
それとも悲しみ?
あるいは、悔しさ?

 美しい月の光にさえカノンは気づくことなく、ひとり、どこまでも走った。



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