■ふたり■


 二人を無条件降伏させたカノンは、平和条約の締結にあたり、とりあえず二つの条件を出した。ひとつは、自分の知らない聖域の掟や慣わしについて自分に教えること。もうひとつは自分に朝食を提供すること。
 もちろん二人には拒否する権限も、抗う気力もなく、黒髪は止まらぬ鼻血を必死で押さえ、赤毛はみぞおちを庇い、背中を丸めながら、二人の住む小屋へとカノンを招待したのだった。

 黒髪は名前をオルコスと言った。生粋のギリシャ人である。物心ついたときには聖域に居たのだという。
 赤毛の方はヨランドといい、フランスだかデンマークだかの出身だった。こちらは幼くして聖域へと連れて来られた。自分たちと同じ聖域外の出身なのに、なぜヨランドは聖域に住まわされているのか、カノンはひどく疑問に思った。
 だがそれをヨランドに聞いたところで理由は分からないだろう。逆に、ヨランドに「なんでそんな離れ里に住まわされているのか」と聞かれたら、カノンだって答えようがないのだから。

 カノンがすでに訓練を受けて一年になる候補生候補たる二人から聞き出した話はこうだった。

 聖闘士候補生になるべく研鑽を積む子供たちには二通り居て、ひとつはオルコスとヨランドのように聖域内に住まいを与えられ、そこで生活もし、訓練も受ける者。
 もうひとつはカノンがそう目されたような「通い」で、親元から通ってくる子供もいれば、聖域の近隣や遠方にある、もう少し後に「修行地」と呼ばれる場所で、聖闘士や聖闘士に准ずる地位にある教師の元である程度の訓練を受け、定期的に聖域へ通ってくる者。
 カノンは、自分はこの後者に当てはまるのかと考えた。今はまだなだけで、もう少し時間が経てば聖域へ通ってくることになるのかもしれない。ということは、自分はまだ「聖闘士候補生候補」にもなれていないレベルということなのだろう。
 むむ、とカノンは思った。サガの言うように、まじめに課題をこなし、実力を着ける必要がある。さもなくば、「候補生候補」にもなれないのだ。

「なあ。聖闘士候補生の候補にもなれなかったヤツってどうなるんだよ?」

 カノンは、オルコスが用意したパンに香辛料と調味料で味を付けたオリーブオイルを塗りながら、心に浮かんだ疑問を口に出した。

「イヤミかよ。お前、俺たちよりよっぽど強えのに、なんだってそんなこと聞くんだ?」

 オルコスが瞳にちらりと怒りの色を光らせてカノンに答える。

「そーだそーだ。お前訓練受けたことないなんて嘘だろ」

 ヨランドもそれに追随する。

 訓練を受けたことがないと言えば嘘になる。だが、個人的にこっそり基礎的なことを教えられただけで、こいつらのように組織的かつ専門的な教育を受けたわけではない。
 だが、その専門教育を受け、正式な聖闘士候補生にまだなれていないとしても、候補生候補には認定されている者を―――それも二人を同時に――――あそこまで叩きのめせるとは。

 ひょっとして、俺ってものすごく強い?そんな手順飛び越して、いきなり正規の聖闘士候補として聖域に招かれたりして。

 もぐもぐとパンを咀嚼しながら、カノンはちょっといい気分になった。心なしかパンもさっきより美味しく感じる。

 そのとき、カノンの脳裏にサガの顔が浮かんだ。

「お前はすぐに調子に乗るんだ!それでいつも失敗しているっていい加減自覚するべきだ。もう少し冷静に考えて、自分に都合の良い方へばっかり考えることをやめたらどうなんだ!」

 ちっ。

 カノンは、したり顔で自分に説教するサガの顔を脳裏から振り払い、ぎん、と睨みを利かせ、オルコスへ言った。

「俺のことはいーんだよ。とにかく、候補生になれないヤツがどうなるのかを教えろ」

 オルコスは鼻白んだが、また殴り倒されてはかなわないから大人しくその質問に答えた。

「勉強の出来るヤツは、神官にならないかって声がかかるんだ」
「神官?」
「聖域には神殿がいっぱいあるんだよ。アテナ神殿を頂点に、ほかにもいろいろ沢山。そこで教皇に仕えたり、神事を執り行ったり、占いしたりするのが神官」

 ああ、昨日来てたあのずるずるした格好の連中のことか。

「いろんな知識がないといけないんだー。占いとかは昔起こったこととかと合わせて考えないと答えが出せないから、すんげー本読まないとだめなんだってー」

 ヨランドが湯気の立つ取っ手のついたコップをカノンの前に置きながら、歌でも歌うかのようにつぶやいた。ヨランドは大して考えて言ったわけではないだろうが、それが見事にオルコスの説明の補足になっている。この二人は、実に気の合う、非常に良いコンビということなのだろう。

 本!サガにぴったりじゃねーか。

 これではまだ熱くて飲めないスープを、ふーふー冷ましながらカノンは考えた。

 じゃあ、もしサガが聖闘士になれなかったとしても、ここで生きていくことは出来るということだ。

 サガはあれだけ読むのが面倒な本を全部さらりと読んでしまう上に、内容を分かりやすくかつ的確にカノンに説明してくれる。カノンが思いつくままに質問しても、サガはその全てに答えてくれるのだから、その本の内容を完全に理解し、自分の知識としているということだろう。そんなサガが頭が悪いはずはない。

 よし。じゃあ次。

 カノンはおそるおそるそのスープをすすった。思ったより熱くない。思い切って、ごくりと飲み込むと、今までの問題とは切り替え、次の質問をした。

「じゃあ勉強の出来ないヤツはどうなる?追い出されるのか?」
「とりあえずは雑兵になるんじゃね?」
「そうそう。雑兵」

 聖域の警備から施設の管理、神官のおつかいやら物資の運搬、現実的に言えば役場と警察と消防を兼任する実に便利な雑用係。教皇を頂点とする、聖域の巨大なヒエラルキーを支えるのがこの雑兵である。カノンも今この二人に与えられた小屋から一歩外へ出れば、あの簡素な皮鎧を身に着けた雑兵の姿をすぐにでも見ることが出来るだろう。

 俺が聖闘士になりそこなったらこっちか。

「でもなるんだとしたら、俺は神官よか雑兵の方がいいなー」

 相変わらずお気楽に、ヨランドが言った。

 美味い。スープはオニオンを何日かかけてよく煮込んだものだった。旨味が空腹にしみる。

「へえ?なんで?」
「だってさ、神官になったらすげー難しい本読まなきゃなんないんだぜ?で、カイサクについてギカイを毎日やんなきゃいけないんだ」
「は?」
「解釈について議論、だろヨランド」

 横からオルコスが割って入ってそう訂正した。

「そうそう、それそれ。とにかくそんなのヤじゃん」
「でも雑兵もやだなぁ。どっかとやりあうことになったら、まず突撃するのは雑兵なんだ、死んじゃう確率、ハンパねー」

 ひとたび戦役が起これば、尖兵として最前線にまず配置されるのはこの雑兵である。聖戦が刻一刻と近づきつつある今、この時期、雑兵は貧しいながらもお気楽、という役職とは言えなくなってきた。

「おい」

 カノンはちょっとせせら笑いながら二人に切り返す。

「お前ら、アテナの聖闘士として世界の愛と平和のために命を投げ出す覚悟なんじゃねーのかよ」

 その言葉に、オルコスがちょっとむきになって答えた。

「正式に聖闘士になれればそのくらいかまわないさ!だけど雑兵程度で犬死にするのはいやだって言ったんだ!」
「そうだそうだ!犬死にしたいやつなんかいるもんか!真っ平ごめんだ!」

 何にしてもヨランドはオルコスに追随するのだな。

 カノンはそれを見てちょっと笑った。

 まるで弟だな。

 弟。カノンは自分の思ったことにはっとした。自分とサガの兄弟も、傍から見たら見たらこんな風なんだろうか。俺はサガのあとを、いつもついて回っているように見えるんだろうか。

 カノンの心に、強い嫌悪感がわき上がった。

 そんなことは、そんなことはないはずだ。
俺はサガの言いなりになんかなってない。絶対になってないはずだ。俺はサガのおまけなんかじゃないし、たまたまサガが先に生まれたってだけで、別に俺がサガより劣ってるわけでもない。
 たまたま双子だったってだけで、俺とサガは全く別の人間なんだ。俺はだいたいあんな風にうじうじなんかしてやしない。俺はあんなオンナの腐ったようなヤツなんかとは違う。

 カノンは小屋の粗末な天井をキッと睨むと、残ったスープを一気に飲み干した。



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