■34話■ 「ま…、待てリウテス!わたしを殺したらただでは済まぬぞ!聖域に、教皇に一体なんと申し開きするつもりだ!」 きらきらと光りを放つ檻の中からサガが叫んだ。 「見苦しいのうサガ。命乞いか?」 リウテスは余裕の溢れる声で言った。 「お前ももう少し賢い奴かと思うておったが……。まぁ良い。これも冥土への手土産に教えてやるとするか」 リウテスはその顔に余裕の笑みを浮かべながら、少し芝居がかった語り口調でゆっくりと語りはじめた。 「お前の弟、カノンは聖域から無断で抜け出し、こともあろうに街のチンピラどもと小銭を稼ぐことに精を出していた。任務で街の教会に赴いたわたしにそれを目撃され、口封じのためにこのわたしを亡き者にしようとした」 サガは身じろぎすら出来ぬまま、リウテスの言葉をじっと聞いていた。ここまでは事実に相違ない。カノンは断罪されて然るべきだ。だが、兄サガが処刑されなければならない理由がない。 そんなサガの思いを見透かしたように、リウテスは目を細めながら言った。 「そして、兄たるお前も金欲しさにカノンに加担していた。筆頭に立って聖域を守るべき黄金聖闘士であるにもかかわらず、だ。わたしは必死の説得を試みたが無駄だった。ついにお前の心を入れ替えることが出来なかったわたしは、アテナに許しを乞いながら、泣く泣く手を下した、というわけだ」 そこまで言うと、リウテスは高らかな笑い声を上げた。 「ま…、待ってくれリウテス!わたしを殺してしまって、聖戦をどう戦うつもりなのだ!」 哀れなサガの嘆願を、リウテスは一笑に付した。 「知ったことか!聖戦なんぞに巻き込まれてたまるか!」 「なんだと?!」 サガは己が耳を疑った。聖闘士たる者の口から、こんな台詞がこぼれ落ちることが有り得るのだろうか。 「わたしには時間がないのだ。この先困らぬよう、たっぷりと備えて栄光のうちに退陣しなくてはならぬからなぁ」 「我々が…聖戦に敗れれば世界は滅びるのだぞ……!」 「そうなったときはそうなったときよ。ただ、わたしは死ぬのを承知で戦に行くような馬鹿な真似は御免蒙る」 あまりのリウテスの言葉に、サガは言葉を失った。 「お前は…自分のことしか考えていないのか!それが人の上に立つ者の言葉か!」 「笑止な!お前とてそうではないか!」 リウテスは可笑しそうに笑いながらそう言った。 「なに?!」 「お前とて自分のことしか考えておらぬではないか。他人のことを考えているというなら、なぜその位を弟に譲らぬ?かわいそうに、お前の弟は聖闘士になれなかったばかりにあんなに荒れ狂って。お前より自分の方が強いとあれほど息巻いて。強さは聖衣では計れぬと、教科書どおりに言うならばその黄金の鎧とその特権的なその階級を弟に譲ってやれば良いではないか!」 「そ……それとこれとは」 「違うものか!」 リウテスは、サガが言い終わらぬうち、かぶせるように言った。 「そもお前が聖域に来たのも、そのまま居ついたのも自らの生活のためではないか。何が地上の平和だ。何が愛を守るだ。お前のしたことは、己が力では生活すらままならぬ貧しい者のすることではないか!己が卑しさを自覚するが良い!」 「!」 「だが、人間なぞ皆そんなものよ。みな自分が可愛いのだ。肝要なのは、いかに自分を守れる立場にのし上がるかということだ。お前も、あと一歩だったのにのう……。サガよ。お前ももう少し世間とは何かを勉強するべきだったな。全くお前らと来たら!弟は弟でチンピラに成り果てるわ、並外れた強さを持っておるというのに、揃いも揃って傑作だな!」 リウテスはそう言うと、再び拳を握りしめた。その拳に、再度小宇宙の放つ光が宿った。 「さあ、お話の時間はこれで終わりだ!死ぬが良いサガ!!」 リウテスは大きく拳を振り上げ、そしてサガに向かって放った。最大限に燃やされた小宇宙は、光の尾を引いてまっすっぐサガに向かって行った。 そして、次の瞬間大きな爆発が起こった。リウテスは、警戒しながらしばらくそのまま様子を見ていたが、サガが反撃してくる気配は微塵も感じられなかった。サガはクリスタルウォールの檻の中で、その衝撃を交わすことすら出来ず息絶えたのだろう。うめき声ひとつ聞こえてこない。 「ふん。他愛のない」 リウテスは埃が収まるのを待った。サガが完全に息絶えたか、確認しなくてはならない。身動きを封じてあったとはいえ、相手は黄金聖闘士なのだ。 「なに?!」 埃が収まってみると、そこにサガの姿はなかった。 「どこへ行った?!逃げられるはずなどない!!」 「リウテス、よく分かった」 不意に、リウテスの背後から声が聞こえた。慌てて振り向くと、そこにはかすり傷一つ負っていないサガが立っていた。 「く……、クリスタルウォールの中からどうやって………?!」 「ここまで愚弄されるとはな。エリダヌス座のリウテス。お前はお前の守護星座の神話を覚えているか?」 「な…なに……?」 思いもよらぬサガの言葉に、リウテスは言葉を失った。 エリダヌス座の神話、それは、太陽神アポロンの息子、パエトンの悲劇の物語である。 パエトンは、太陽神アポロンの息子であると信じてもらえないことを日ごろより不満としていた。あるとき、パエトンは父の神殿へと赴き、自分が神の子であることを証明したいと父に申し出る。父アポロンはこれを認め、自分の息子であることの証としてパエトンの望みを一つ叶えてやると言った。パエトンは父の言葉に喜んだ。そして、父の駆る太陽の馬車を貸して欲しいのだと言った。自分を神の子として信じない人々も、太陽の馬車を駆る自分の姿を見れば、信じぬわけにはいかなくなる。 アポロンは困り果ててしまう。太陽の馬車を曳く四頭の馬は、気性が荒くアポロン以外では神々ですら御することが出来なかったからだ。 頼む。何でも望みを叶えてくれると言ったではないか、とパエトンは父に迫った。アポロンも約束を違えることは出来ない。約束は約束だ。神が平気で約束をたがえたとあっては神の権威も地に堕ちる。 苦渋の末、決して日輪の道からはずれぬことをパエトンに約束させ、一日だけ太陽の馬車を貸すことにする。 パエトンは大いに喜び、大空へと馬車を走らせた。自分は太陽神アポロンの息子であるという誇りに顔を輝かせて。 はじめのうちは父の言いつけを守り、日輪の道をきちんと走っていたパエトンだったが、自分の住む村が見えてくると、徐々に自分を神の子だと信じなかった人々に自分のこの姿を見せつけてやりたいという気持ちが沸き起こって来た。 日輪の道の中央を、おとなしく走っていたのでは、この馬車を駆るのが自分であると村の人々からは見えないかもしれない。それでは父に頼み込んでこの馬車を借りた意味がない。たった一日しか借りることが出来なかったのに。チャンスはこの一回しかない。 欲望に負けたパエトンは、父の言いつけをついに破った。日輪の道をはずれ、太陽の馬車は村すれすれにまで近づいた。村の人々は驚いた顔でパエトンを見上げた。パエトンは胸がすく思いだった。長年の自分の夢が叶ったのだ。パエトンは大声で叫びたい気分だった。どうだ。見ろ、この姿を。自分は太陽神アポロンの息子なのだ。 だが、パエトンが幸福に酔えたのもほんの一瞬に過ぎなかった。気性の荒い四頭の馬が、御者がアポロンではないことに気付いたからだ。四頭の馬は、アポロン以外の御者を許さなかった。馬は暴走を始める。パエトンを振り落とそうと、地面すれすれに走り、山の木々を焼き払い、川の水を蒸発させた。豊かな森は、一瞬にして不毛の砂漠となった。かと思えば、空高く駆け上がった。太陽の光は地上へと届かず、今まで小川の流れる美しい野原は一瞬にして凍土と化した。 アポロンは地上の変化に気付き、慌てて太陽の馬車を止めようとする。だが、彼では力が及ばない。どうすることも出来なかったアポロンは、大伸ゼウスに力を借りることにした。 地上の惨状の理由を知った万能の神ゼウスは、いかづちをパエトンへと放った。このままでは地上はめちゃくちゃになり、いきものが住める世界ではなくなってしまう。日輪の馬車の暴走を留めなくてはならない。 しかして、ゼウスの放ったいかづちは、パエトンに命中した。 夢を叶えたのも束の間、ゼウスのいかづちを受けたパエトンは、エリダヌス川へと落ち、帰らぬ人となった。 「まるでお前はパエトンだな」 その瞳に、静かな怒りの炎を湛えてサガが言った。 「聖闘士として認められながら、お前はその道を誤った。お前にいかづちを放つのは、このわたしの役割だったようだ」 リウテスは慌てふためいていた。 「な…なぜ……!クリスタルウォールをどうやって……!!シオン様にも認められた技だったのに……!」 「研鑽を積み、その技を習得した当時のお前の小宇宙は限りなく強いものだったのだろう。だが、お前は努力を怠った。今やお前のクリスタルウォールには何の力もない。覚えているかリウテス。お前のクリスタルウォールは、聖闘士ですらなかったカノンに破られたではないか」 「う……」 「お前はとっくに譲位するべきだったのだ」 サガの全身が、黄金の光に包まれた。まるで太陽の光だった。 「エリダヌス座の聖闘士は、レイテ川のアナルケル(川の果て)へ我らを導くと伝承されているのに。堕ちたものだなリウテス。我が鉄槌を受けよ」 サガが放った拳はまるでいかづちだった。激しく光、轟音をとどろかせてリウテスの身体を貫いた。 「ぐ…ふ……っ」 リウテスは口から血の泡を吹いて、何か言いたそうに口を動かした。だが、何も言うことは出来なかった 「聖闘士の拳とはこういったものだ。思い出したか?」 サガは眉一つ動かさず、リウテスを見下ろしながら言った。 「サガ、一体何をして……、リウテス様!!」 そのとき、サガの背後から声が聞こえた。 |