■33話■


「問い、とは?」

 リウテスは立ち上がり、居住いを正しながらサガに言った。
 サガはリウテスの瞳をじっと見つめてその問いを発した。

「リウテスどの、わたしがお聞きしたいのは帳簿のことです。教皇の命にて、わたしが帳簿の確認をしていたのはご存知か?」

 その問いに、リウテスは一瞬表情を変えた。だがそれはほんの一瞬で、まるで何事もなかったかのようにリウテスは元通りの表情になった。
 
「どこをどう探しても、何冊かが見つからないのです。それも決まって大きな金額が動いたときのものです。今までこれらを管理していたのはリウテス殿、あなたでしたね?」
「………」
「これらの帳簿の持ち出しを許可するのもあなたの権限だったはずだ。どこにあるか、もしくは誰が持ち出したのかをまずはお教えいただきたい」
「それは……」

 リウテスは言い淀み、サガは次の言葉をじっと待った。待つには長すぎるほどの時間、サガはじっと待っていた。だが、それでもリウテスの口からは次の言葉は出て来なかった。

「あれほど重要な書類がどこにあるか即答出来ぬとは、全くあなたらしからぬことですね、リウテス殿」

 サガはこの質問を諦めたようだった。リウテスの額には、じっと脂汗が玉となって浮かんでいた。

「これらの金額の使い道が今ひとつ掴めぬのです。額からして不動産と考えるのが妥当です。が、聖域の持ち物としての不動産は15年前より何一つとして動きが記載されていない。これが、何を購入したものであるかあなたはご存知か」

 再びのしばらくの間の後に、リウテスはその重い口をようやく開いた。

「巨額、と言われましても聖域の買い物は様々なものがございます。調べてみなければ分からぬとしかお答えのしようがございません」
「では直近のものを。購入時期は半年前です。額は3億タラントン。これが一体何を購入したものであるか、ご教示いただきたい」
「ですから、調べてみなければ分からぬと申し上げているではありませんか」
「おかしいですねリウテス殿。たかだか半年前の出来事ですよ?2万3万の経費を問うているのではありません。あなた様が把握されていないはずはないと思いますが?」
「そうは言われても分からぬものは分からぬのです。わたしとて責任のある立場。当てずっぽうを答えて後に間違えましたと申し上げるわけにはいきますまい」

 リウテスの言い分にも確かに一里ある。だが、それも不自然だ。経費の使い途に関してうるさいことでリウテスは有名だった。聖域の貴重な財産である。放蕩な使い途はもちろん許されるものではないが、候補生の防具に使う小さな金属の部品の購入さえリウテスは口うるさく業者を指定してきていたはずだった。聖域の誰もが知る有名な話である。そして、必ず業者との癒着の噂がついて回った。これもまた、誰もが知る話であった。

「わかりました。わたしの質問の仕方が悪かったようだ。質問を変えましょう。ほんの少し前の話です。あなたは、ギリシャの街中でカノンの会いましたね?」

 突拍子もないサガの質問に、リウテスは絶句した。
 あのクスリの取引を打診した街のチンピラが連れてきた少年がカノンにそっくりだったのだ。彼は目深に帽子をかぶって、顔は見えなかった。だが体型も、その髪の色も、カノンと全く同じだった。小宇宙を探ったが、彼の小宇宙を読むことは叶わなかった。読むことが出来るほどの強さを持った小宇宙ではないのだとリウテスは判断した。そこまで考えて、リウテスは戦慄した。

 なぜ、さきほどカノンがわたしを殺そうとしたのか。

 あのときの少年がカノンだったとすれば全て辻褄が合う。
 聖域脱走は死罪だ。アテネの街中で自分に目撃されたとカノンが思ったのだとする。ならば、一番手っ取り早いのは口を封じることだろう。聖域の人間ならば誰しもが自分の立場に一目を置くが、ことカノンに関しては、自分をあからさまに軽んじて、はばからぬ言動が、かねてより目についた。カノンなら、リステスを殺してしまおうと思ったとしても何の不思議もない。
 しかも腹に据えかねることに、強さに関してはカノンは遥かにリウテスを凌駕していた。自分が青銅という階級であることに対し、カノンは黄金である。正式な聖衣こそ授与されていないが、兄サガとその実力に何ら遜色がないことは教皇が自分だけに語った内容からしても明白だ。

 要するに、この世界は最後には力の強さが物を言うのだ。弱肉強食、とは真理である。綺麗事でいくら言い固めたとしても、教育という名の洗脳を重ねたとしても、真に力のあるものが決意を固めたとき、弱い者には抗う術など何一つとしてない。

 それはまさについ先刻のカノンではなかったか。

 リウテスは言葉を失い、その場に立ち尽くしていた。その額からはついに脂汗がしたたり落ちた。

 サガが言ったのは、単なる鎌掛けに過ぎなかった。
カノンからそんなことを聞く暇はなかったし、カノンとて自分にとって都合の悪いそんな話をサガにするはずがない。だが、サガはそれを感じ取っていたのだ。双子として生まれた者だけが持つ能力だろう。  言下にリウテスに否定されることも覚悟の上での鎌掛けだったのだが、脂汗を滴らせてまで黙っているリウテスの様子を見ると、これが恐ろしくも当たっていたのだと直感した。
 詰めまであと一歩のところまで来ている。そうサガは感じていた。

「カノンから報告があったのです。リウテス殿、要するにこういうことですね?あなたは聖域から貨幣、財産をかすめ取り、私腹をこやしていたと。半年前の3億タラントン…現在のアテネで使われている貨幣に換算するといくらなのか分からなくて申し訳ないが…の使い途は、アテネにある教会を買い取った金額であったと。あなたはそれを自分のものにしていた。これで間違いはありませんか?」

「………」

「お認めにはなられませぬか」

 ふたたびリウテスは長い沈黙の沼へと沈んでしまった。
 はいそうですと彼が答えなかったとしても、この行動は全てを認めたとしか思えない。もっとリウテスはあくどく、こなれた人間かと思っていたので、サガはむしろ拍子抜けしたほどだった。

「わかりましたリウテスどの。今日のあなたの行動を、そのまま教皇に報告させていただきます」

 そのとき、それまで立ち尽くしていたリウテスが急に拳を放った。
それは、キラキラと輝きながら空間を舞い、サガを包囲して壁を作った。

「こ…、これは……!」

 それは確かに見覚えがあった。

「そうだともサガ。これはクリスタルウォール。誰にも破ることは出来ぬ」
「な…、なぜお前がこの技を……!」

 かつて教皇が自らサガに稽古をつけたとき、サガに放ったのがこの技だった。教皇の強大な小宇宙は光輝く壁となってサガの前に立ちはだかった。

「お前もここまでだ。このわたしを誰だと思っておるのか。このわたしに逆らおうなど、愚の骨頂!」

 リウテスは先ほどまでとはまるで別人のように、高らかにそう言い放った。

「わたしこそ先の聖戦が終わってより初めて聖闘士となった男。わたしは教皇に師事したのだ。お前は黄金聖闘士かもしれぬが、お前などとは格が違うのだ!」

 サガは光のかべの中で、身じろぎ一つ出来ずに立ち尽くしている。 それを見たリウテスは高らかな笑い声を上げた。

「最期に教えてやろう。冥土のみやげだ。わたしは聖闘士になってより永らくの間この聖域のために尽くして来た。夜な夜な空を見上げ、星占いに没頭する教皇の傍らでわたしは現実世界と戦って来たのだ。今の聖域があるのも、このわたしの力と言って過言ではないわ。お前はわたしが私腹を肥やしていたと言ったな!馬鹿を言え。このくらい当然の報酬だ!働きに見合った報酬を得てどこが悪い?!わたしは今まで、それ以上の働きをして来た。昨日や今日現れたお前や射手座などと一緒にされては困る!」

 呆れる。これが聖闘士の長として、長年聖域を束ねて来た男の言うことか。サガはリウテスの小宇宙に苦しめられながらもリウテスに向けて言葉をぶつけた。

「女神に!教皇…お前の師に対して恥ずかしくないのか!」

 かつてリウテスを指導したシオンは、一体彼に何を望んだというのか。聖域を担って欲しい、自分の片腕として、そしていずれ起こる聖戦に備え、死することすらおそれず、立ち向かう勇気をもって欲しいと望んだに違いないのに。

 リウテスはサガのその言を言下に笑い飛ばした。

「愚問としか言いようがない。シオンなぞ!星ばかり眺めてメシが食えるか。この聖域を今まで保って来たのはこのわたしだ。哀れよのサガ!冥土で待つ冥王にでもお前の愚痴を聞いてもらえ!死ね、サガ!!愛しい弟もすぐに後を追わせてやろう。安心するが良い。二人仲良く、同じ墓に葬ってやるぞ!」

 リウテスはそう言い放つと、再び拳を高くかかげた。その拳に、小宇宙が放つ光が大きく宿った。





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