ユージェニックスの騎乗を含む土日のレースを終え、俺は再び北山の元を訪れた。
「黒沢さんに乗っていただきたい馬がいるのですが。」
北山は挨拶後早々に騎乗を依頼してきた。
「はい、構いませんが・・・」
「こちらです。」
案内された馬房の前で、足がすくんだ。
「あ・・・わかっちゃいましたか・・・。」
こいつなら俺も名前を知っている。
テツリンセイオー。
デビューから破竹の勢いで勝ち続けていたが、気性が荒くて練習やレースで落とされる関係者が続出。
そのせいで誰も乗りたがらず、最近は出場機会がめっきり減ってしまった。
そして、何を隠そう・・・俺が落馬した時に乗っていたのが、こいつの父親なのだ。
「父親譲りの・・・いや、それ以上かな、負けん気が強くて。なかなか乗ってくれるジョッキーがいないんですよ。
何度も引退させる話が出たんですが、オーナーが“もう一度チャンスをやりたい”と強く希望されてるんです。」
父親そっくりの体型と青鹿毛。
風格も生き写しだ。
「ゼヒ黒沢さんに乗ってもらいたいと思ってるんですが・・・やはり酷ですかね・・・」
「・・・あ、えっと・・・も、もう少し考えさせてもらえませんか?」
「ええ、もちろん。無理強いはしませんので。ゆっくり考えてください。」
『あ?何だお前。見ない顔だな。』
ギロリと鋭い視線。
まさか馬に睨まれることになろうとは・・・。
「北山先生〜、お電話です〜。」
「は〜い、今行きます。・・・ちょっと失礼しますね。」
北山は事務所の方に向かって行ってしまった。
俺は、恐る恐るテツリンセイオーに近づく。
『何だよ?あ?』
「噂どおり、恐いね。」
『うっせ。』
テツリンセイオーは、鼻の上を撫でようとした俺の手を嫌がるように、首を横に振って逃げた。
「・・・俺を乗せてくれるか?きっと最後のチャンスだよ、俺とお前の。」
『最後?』
「そう、“最後”だ。・・・わかってんだろ、ホントは。」
『・・・ああ、そのこと?別に構わねぇって思ってる。』
「な、何でだよ?!」
『俺はニンゲンの命令で走るのが嫌なだけだ。』
「そんな・・・」
『“俺に乗れ”って言われたってことは・・・お前も優秀なニンゲンじゃないんだろ?
お前が終われせてくれてもいいんだぜ?俺をさ。』
「そんなこと・・・!させるかよ・・・、これ以上、無駄死にさせるつもりはない!」
『ほぉ、感心だな。そう思っていられるのも今のうちなんじゃない?』
テツリンセイオーはザッザッと派手な音を立てて、下に敷き詰められた干し草を前脚で掻いてみせた。
言うなれば、威圧。
ユージェニックス騎乗後徐々に消えかけていた恐怖感が再び蘇る。
俺が落馬したあの日、こいつの父親がレース直前に暴れた時と同じ仕草だ。
ほんの少し、後ずさりしてしまった俺を見て、テツリンセイオーが笑った、ような気がした。
「すいません、電話が長引いちゃって・・・って、黒沢さん?大丈夫ですか?」
小走りで戻ってきた北山は、俺の曇った表情が気になったのだろう、様子を窺うように俺の顔を覗き込んできた。
「あっ、だ、大丈夫です!・・・ためしに乗せてもらっても?」
「わかりました。」
北山がテツリンセイオーを馬房から出し、鞍などをセッティングした。
「どうぞ。」
「ありがとう・・・」
『たりぃ〜。』
「・・・」
背に跨ると、テツリンセイオーは嫌々ながらも脚を一歩一歩前に進めた。
しかし、数十メートル前を優雅に歩いていた芦毛の牝馬(ひんば)を見つけた途端、テツリンセイオーはそっちに向かって走り始めた。
『うっわ!あんなとこに芦毛のメスいるじゃん!・・・お〜い!!』
「ちょっ・・・?!いきなり走んなってば!」
『ねぇねぇ、君かわいいね〜☆なんて名前??』
この時ほど、馬の言葉がわかることを鬱陶しく思ったことはなかった。
「北山ぁ〜、こいつ早く種牡馬(種馬)に上げちゃえばぁ〜?」
「僕もそう思うんだけどね、オーナーが、ほら・・・」
不満顔で振り返った俺の言葉に、北山は苦笑していた。