その日の夜、夢の中に背丈の大きな青年が現れた。
『何だ、今朝のアンタか。』
人間の姿だが、声でわかった。ユージェニックスだ。
「お前っ・・・ユージェニックスか?!」
『ああ。アンタ、背中に乗るのヘタだな。』
「へっ、ヘタだとぉ?!」
『ああ、厩舎の他のヤツらと全く比べものにならんぐらいにな。』
「お前なぁ!俺は・・・まがりなりにもプロのジョッキーなんだぞ?!」
『はぁ?!それでプロだと!?・・・冗談は顔だけにしてもらいたい。』
「顔はどうでもいいだろ、顔は!」
『顔も関係あるだろ。覇気のない顔してるし・・・何ていうの?闘志みたいなのも感じないし。』
「あ、あ、あるよ!闘志はあるってば!」
『ふぅん・・・?乗ってる時に今ぐらいの闘志を見せてくれればな、考えなくもない。』
「ぐっ・・・くっそ・・・馬のくせにわかったような口聞いて・・・」
『じゃあ訊くが・・・アンタに馬の何がわかるって言うんだ?』
ユージェニックスに問いただされ、俺は返答に詰まった。
『俺のことを信用していないニンゲンを乗せることほど、気分の悪いことはない。・・・もう二度と来るなよ。』
そう言い残し、青年の格好をしたユージェニックスは馬に姿を変え、走り去っていった。
目覚めた後も、もやもやしたものが心にずっと引っ掛かっていた。
俺は手短に身支度を終わらせ、北山のいる厩舎に向かった。
「あ、黒沢さん、おはようございます。」
「おはよう。ユージェニックスは?」
「いますよ。今、朝ごはんです。」
「そう・・・ユージェニックスのところに行っていいかな?」
「ええ、構いませんよ。」
一応北山に許可を取り、ユージェニックスの元へ向かう。
『・・・何だ。アンタまた来たのか。』
「食事済んだら、乗せてもらうよ。」
『ほぉ・・・好きにすればいいんじゃない?』
「じゃ、またあとで。」
ユージェニックスが食事を終えるのを待って、鞍をつけその背に跨った。
フン、という鼻息に『やれやれ・・・』といった呆れを含んでいる。
「あのさ、好きに走ってみてよ。」
『は?おかしなことを言うんだな。もし“今走る気がない”と言ったら?』
「降りて待つよ。」
『もし“アンタのことを乗せて走りたくない”と言ったら?』
「気が変わるまで待つよ。」
『・・・迷惑な話だな・・・』
「ごめんね、お前の背中に乗るのが仕事だから。お前が俺を乗せたくなくても、俺は乗らないといけない。っていうか乗りたいんだよ。」
『ふぅん・・・』
成績不振の俺にとって、“乗り役”に指名されるということは願ってもないチャンスだ。
このチャンスを活かせなければ、俺の騎手人生は終わったも同然だ。
ユージェニックスの反応を、判決を待つような気分で窺う。
ユージェニックスは、しばらくその場で考えを巡らせた後、再び呆れた鼻息をつき、一歩一歩と脚を前に進めた。
走るでもなく、ゆっくり歩く。
ある意味、俺の命令への反抗だ。
『・・・何をそんなに警戒している?』
「え・・・?」
『馬が・・・上に乗せたニンゲンを誰彼なく落とすとでも思ってるのか?』
「ど、どうして・・・そんなこと・・・」
真実を言い当てられて返事を言い淀む俺に、ユージェニックスはさらに言葉を続ける。
『手綱にしがみついてるだろ。震動がこっちまで伝わってくる。』
「・・・わかる、のか・・・?」
『乗るのが恐いんなら・・・辞めた方がいいんじゃないか?
恐怖心を抱いているニンゲンを乗せることほど、こっちの恐怖心が煽られることはない。今のアンタには・・・この速度で十分だ。』
握り締めていた手の力が抜け、手綱が手から滑り落ちる。
それでも、急に走り出したりせずゆっくり歩き続けるのは、ユージェニックスなりの気遣いのようだ。
『この前な・・・俺の友達が死んだんだ。』
「え・・・」
『生まれた時期が近かったからな、仲良くやってたんだが・・・ここで練習中に脚をやっちゃってな。
治らないと診断されて・・・後は言わなくてもわかるだろう?』
「・・・ああ・・・」
馬は、脚を大ケガしてしまうと、長くは生きられない。
何かと金がかかる世界だ。治る見込みがない馬を情けをかけてじっくり治すなんてことはしない。
安楽死という方法をとって、“サヨナラ”だ。
『その時騎乗していたのは新人の調教助手だったな。バランスを崩した時、上のヤツを守るように倒れたのがアダとなった・・・』
「そう、だったのか・・・」
『わかるか?恐いのはお前だけじゃないってことだ。』
「・・・ユージェニックス・・・」
『俺だって恐いんだ、友達の事故を目の前で見てるんだからな。
けれど俺は“恐い”なんて言ってられないんだ。命懸けで走っている・・・上に乗せたニンゲンをどうにかしてやろうだなんて余裕はない。
アンタは何度負けてもヌクヌクと生きていられるだろうけどな、俺たちは勝てなければ・・・死んだ友達と同じ運命を辿るんだ。
アンタらニンゲンとは違う。俺たちは勝つために・・・生きるために走ってるんだ。』
そう。
勝てない騎手は辞めれば済むだけの話。
けれど、競走馬は違う。
勝てない馬も・・・その先に待っているのは“死”だ。
今まで、勝てないことを馬のせいにしたりすることも多かった。
俺の命が・・・勝ち負けで左右されているワケじゃないから。
ユージェニックスの言葉で初めて気づく。
自分の不甲斐なさで引退していった馬たちの存在に。
俺がもっと頑張っていれば・・・そいつらの運命も少しは変わっていたかもしれない。
「・・・ごめん、“好きに走っていい”っていうの、撤回して。」
『は?』
俺の言葉の意味をまだ理解していない様子のユージェニックスの手綱を持ち、トンと腹を蹴った。
『おわっ、お、お前な!』
急に走るように急かしたしたもんだから、ユージェニックスが不満の声を上げる。
「今までの無駄な走り・・・お前で挽回させてくれ。協力してくれな。」
『・・・仕方ないな。』
不満そうな声で諦めの言葉を呟いたユージェニックスだったが、俺の出す指示に従ってくれた。