安岡と飲み明かした翌日。
俺は早速安岡に教えてもらった調教師の元を訪れた。
厩舎に足を踏み入れると、俺の気配を感じ取ったのか、馬房を清掃していた男が立ち上がって顔をこちらに向けた。
「黒沢さん・・・?」
勝ち星に恵まれていない三流騎手だが、この世界では一応名前は知られているのだ。
「北山さん、いらっしゃいますか?」
「はい、僕ですけど。」
「はじめまして、黒沢です。」
「北山です、はじめまして。」
「安岡に紹介されてきたんですが・・・」
「・・・そうですか。」
そう言った北山は俺の首のペンダントトップに目を留めた。
「あっ、これ、安岡がくれたんですよ。『俺にはもう必要なくなった』って。」
「なるほど・・・そうだったんですか。わかりました。・・・こちら、来てください。」
北山の後ろをついて行くと、北山はある馬房の前で足を止めた。
中には栗毛の馬がいる。
「もうすぐデビューするんです、こいつ。誰に乗ってもらおうかと思ってたんですが・・・デビュー戦、あなたに乗ってもらいましょうか。」
「お、俺に?!」
たいてい贔屓にしてもらっている厩舎からの依頼を受けて乗るのが通例だが、初対面でロクに話もしていない北山から突然馬を任される話が出て、思わず驚きで声が裏返る。
「乗っていただけますか?」
「そ、そりゃもちろん依頼があれば乗らせていだだきますが・・・ホントに俺なんかでいいんですか?」
「ははっ。そんな深刻な顔しないでください。今回はテストみたいなもんです。負けても構いません。・・・乗っていただけますよね?」
「は、はぁ。わかり、ました・・・」
「名前はユージェニックス。少々、気難しいですよ。」
早速、ためしに乗らせてもらうことになった。
ユージェニックスの背に鞍を装着して、場内を走る。
北山の助言どおり、ユージェニックスは俺の指示に反して、まっすぐ走らず横へと逸れてしまう。
「こらっ!・・・まっすぐ!ほら!どこ行ってんだよ!」
『何だ、こいつは。オレの背中の上でイライラして。』
「へ?」
『降りてもらおうか・・・よっ!』
謎の声がした後、ユージェニックスは前脚を浮かせて立ち上がった。
落馬したあの日の恐怖が蘇った俺は、落ちまいと必死にユージェニックスの背中にしがみついた。
「こら!ユージ!暴れちゃダメだろ!」
北山が駆けつけ、何とかユージェニックスを落ち着かせてくれたが・・・
『ま、ヨウイチがそう言うなら今回は許してやるとするかな・・・。』
ユージェニックスはフフンと鼻息ひとつ吹いて、さっきの荒れっぷりが嘘のようにおとなしく立っている。
「黒沢さん、大丈夫ですか?」
「え・・・えぇ、何とか・・・」
大丈夫、のような・・・
大丈夫じゃない、ような・・・
だって今、俺にはユージェニックスの心の声が聞こえているのだから。
「ユージ・・・もう・・・驚かせないでよ・・・」
北山が安堵のため息をついて、宥めるようにユージェニックスの首を撫でた。
『俺、こいつ苦手だな。他のニンゲンはいないのか。』
「に、苦手・・・?」
「どうしました?黒沢さん。」
「い、いえ・・・別に・・・」
「そのうち慣れますから、ね、心配しないでください。」
「はぁ・・・」
家に帰った後も、俺は今日の不思議な体験をずっと思い返していた。
馬の背に乗り、その馬が拒否反応を示すことはよくあること。
物言わぬ馬のことだ。
単に機嫌が悪いだけの時もあるだろう。はたまた乗られること自体が嫌な場合もあるだろう。
しかし今日の場合、ユージェニックスは鞍上の“俺”のことを『苦手』だと言った。
他の人間がよくて、俺がダメな理由・・・これを解決できなければ、俺は一生勝ち星にたどり着けないような気がした。
どうすれば、ユージェニックスは俺を乗せてくれるだろうか。