9.案。
「お母さん、黒沢くんが住んでたマンションって大学からすぐのとこでしたよね?」
「ええ。2階の角部屋でした。あの子、一人暮らしができるってすごく喜んでたんです。
私にも『いい部屋だから今度遊びに来て』って言ってくれてて。
それなのにすぐ事故に遭っちゃって・・・結局私があの部屋へ行ったのは部屋を引き払う時で・・・」
「その部屋、いつ引き払ったんですか?」
北山がお母さんの言葉にすかさず食い付いた。
「事故に遭ってすぐです。大学に休学届を出しに行った時に一緒に。
医者から長引くと聞いてましたから、あの子が治ったらいつでも復学できる状態にしといてあげなきゃ、って思ったんです。
部屋はまたいつでも探せますからね、夫と相談してひとまず引き払いました。」
ふと俺は黒沢が言ったひとことを思い出した。
『ここしか帰るとこない』
あいつはあの部屋、すごく気に入ってたんじゃないか・・・?
あいつの意識があの部屋に戻った後、自分の部屋が他人の部屋に変わっていく様子をどんな気持ちで見てたんだろう。
「あのっ、お母さん!」
そこが夜の病院の廊下ということも忘れ、俺は大きな声を出してしまった。
「は、はいっ・・・なんでしょう?」
お母さんもビックリしている。
「俺、あの部屋に今住んでるんですよ。あの部屋、黒沢くんがいつでも戻ってこれるように、あいつが住んでた時の状態に戻してみませんか?」
「え・・・・・・?」
俺の提案に目を白黒させて驚いている。
「アンタ正気か?!」
酒井が呆れたように声を上げる。
「帰る部屋があったら、あいつ目ぇ醒ましてくれるんじゃないか?元気な姿で帰ってきてくれるんじゃないか?
俺、おかしなこと言ってるか?」
「う〜ん・・・理論的にはメチャクチャだけど、やるだけやってみてもいいかもしれないね。」
北山が賛成してくれた。
「・・・んまぁなぁ〜、俺たち医者じゃないし、非科学的な方面から攻めていくしかないからなぁ・・・。」
一度反対した酒井も、渋々賛同する。
俺はお母さんの方に向き直った。
「お母さん、彼の部屋にあったものは?」
「今、こっちの家のあの子の部屋に置いてあります。」
「あいつの物、あの部屋に運んじゃダメですか?もちろん、盗むための口実とか、そんなんじゃありませんから。
お願いします。あいつが治ってあの部屋に戻った時、あいつの喜ぶ顔見たいんです。」
俺は上手く伝えられないもどかしさを抱きながら、あいつのお母さんに頭を下げた。