「例の、家出した犬、ですか?」
「うん。俺が小学校上がってすぐに公園で拾ったんだ。
小さくて可愛かったから頭を撫でてやろうと思ったら、手を思いっきり噛まれちゃってさ。
たぶん前の飼い主からひどい目に遭ってたんだろうな・・・なんだか可哀想になってきて。
『危害を加えないよ』って伝えるために、噛まれても噛まれても我慢してずっと撫でてやった。
俺の言いたいことがわかったのか、俺を噛まないようになった。だから連れて帰って飼うことにしたんだ。」
「へぇ〜。そんなことが・・・。」
「うん。寝るのも風呂入るのもいつも一緒でさ。すっごく可愛がってし、俺に懐いてくれてたんだ。
なのに高校の時に突然いなくなっちゃって・・・。
その当時ヨウイチに『動物は死に際を見せないように消えることがある』って言われたけど・・・今もどこかで生きててほしいって思う。
みんなさ、『いつまでも出て行った犬のことで感傷に浸ってないで、代わりに新しいペットでも飼えば?』なんて簡単に言うけど・・・
あいつの代わりなんていない。あいつの代わりに飼われた側も嫌だろ?そんなの。」
カオルの話は正論だと思った。
だが、さすがに今でも生きているとは考えにくい。
ユタカは返答に困ってしまった。
「わふ。」
「励ましてくれてるのか?ありがとうな。」
会話は成立しているのかどうかは不明だが、カオルはテツヤの頭を撫でて礼を言った。
「ユタカ君、今彼を飼ってるんだね。」
カオルはユタカの方に視線を上げて聞いてきた。
「え?何でわかるの!?」
「だって。彼を病院に連れてきた時、お風呂入れた形跡なかったのに、今は毛並みピカピカだもん。
見ればわかるよ、一応プロだもの。」
そう言ってカオルは胸を張ってみせた。
「名前は?」
「テツヤだよ。」
「テツヤか。いい名前つけてもらったね〜。」
ユタカとテツヤは、カオルに気づかれないように目配せして笑った。
「あっ、そうだ。今から定期的に往診してる動物園に行くんだ。一緒に行く?」
「動物園?いいんですか?」
「もちろんだよ〜。テツヤ君も一緒に行こうね。ちょっと準備してくる。待っててね〜。」
「あ、は〜い。」
カオルはまた派手に足音を鳴らしながら診察室から出て行った。
「カオル先生の飼ってた犬、生きてたらいいのにね・・・」
「俺はヨウイチと同じ意見だ。生きてるとは考えにくいな。
ちなみに俺は何百年も生き続けるから、ユタカも頑張って生きて俺の面倒見ろよな?」
「いや、無理だから!」
「なんだよ〜。根性ねぇなぁ。」
「スポーツじゃあるまいし、根性論でなんとかなるもんじゃないから!」
コソコソと話していると、カオルが黒い診察カバンを持って戻ってきた。
「お待たせ〜。じゃあ行こうか。」
「車ですか?」
「俺、免許持ってないんだよね〜。」
ヘラヘラと笑うカオル。
「え?じゃあ自転車?」
「徒歩だよ。」
「とっ、徒歩ぉ?!」
「うん。」
「自転車で行けば楽・・・」
「いいの!徒歩でいいの!ほら、行こうっ!」
急にカオルの語調が強くなった。
「もしかして・・・自転車も乗れねぇんじゃね?」
テツヤがユタカにだけ聞こえるように呟いた。