:ヒーローレポート:
Case1緊急指令・連続通り魔事件を追え!
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「サインください!」 おずおずと羞じらいに面薄く染めた少年が、ノートと期待に満ちた笑顔を向けるのに、もはや第二の皮膚と言えるほどに馴染んだファン用の笑顔でバーナビーはそれを受けとる。 一瞬背に眼を転じれば、バーナビーを囲む小さなファン達の邪魔にならぬようにと配慮してか自身は数歩、離れた先であくび混じりに待つタイガーの姿にファンに対するものとは違う笑みが口元に浮かんだ。 ――――例の会議から一時間後、場は転じてシュテルンビルトの街中へ。 アニエスからどうにか解放されたタイガーの後を追い、やってきた休日のモール街はほどよく混んでいた。 太陽はそろそろ中天から西に傾き始めており、老若男女、はては人種にいたるまで様々な人が街のあちこちに賑わいの花を添える。 道端の砂利よりも人の頭の方が見やすい、たいした混雑振りであった。 たとえ知己であろうとも人一人見つけるには骨の折れる密度だが、残念ながらバーナビーがその恩恵を与ることはできない。 ただでさえ男性HEROには珍しい顔出しの、それも次期KOFに最も近いと噂されているランキング上位者で、さらにバーナビーは顔も愛想もよいのだ。 ジャスティスタワーから出てファンに声を掛けられることすでに五度。 そのたび律儀に立ち止まっては要求に応えるものだから自然歩みも遅くなる。 だが伴歩きするタイガーから苦情がでたことは一度もない。 "ファンは大事にすること" ほかならぬタイガーが、つねづね口にも行動にもだしているためだ。 今もこうして、タイガーは待っている。 バーナビーを置いて帰る、だとかこの隙に逃げる、だとかは微塵も思いつかず、いや考えていてもタイガーはきっと行動に移そうとはしない。 そもそも逃げるチャンスはいくらでもあった。 具体的にいえば、ジャスティスタワーを出た、その瞬間とか――――。 あの時。 会議を終えたタイガーとバーナビーは二人、歩きだした。 進行方向は同じ。されど隣に並ぶことはなくバーナビーはタイガーの後ろ。一定の距離を保ってついてゆく。 タイガーの歩度緩まれば自分も足数減らし、逆に足速めればこちらも同様につかず離れず迫らず開けず、影法師と添って歩むバーナビーへ、とうとう痺れきらしたかタイガーは、「偶然」とほざきつつ出先であれ旅先であれはては家の中であれ現れるストーカーへ向けるような、そんな胡乱で失礼な目で、 「バニーちゃん、俺になんか用?」 「いいえ、特に。それにしてもおじさん、こっち、アポロンメディアとは逆方向ですよ?」 「会議の後直帰するって会社出るとき言っといたから問題ねぇよ」 「そうですか。僕もです」 「ッ――――」 間髪入れずに追従すれば、タイガーは鼻先に酢を突きつけられた猫のごとく顔をくしゃりと歪める。 こちらを見つめる目に非難がかげろうが、バーナビーは気にしない。 タイガーの中で先程のアニエスとの問答――と呼ぶにはあまりに一方的な威嚇――がいまだか黒く重いモヤとなって胸中渦を巻いていることは、顔を見ずとも空気で覚れる。 《疑われている》 《自分が無鉄砲をしないか、警察との約定を破り独断で通り魔事件を探らないか、疑われている》 こちらにまっすぐ向けられたタイガーの琥珀の瞳が胸の内の不信を物語るように、ヤスリを掛けたかのごとくたわんで、歪んだ。 「……信頼は美しいな、バニー?」 「ええ。頭に"盲目"がつかなければ」 苦笑しつつの皮肉に、しらり言い返せば、タイガーはもうそれ以上なにも言わず歩みを再開した。 バーナビーは黙ってつき従いながら、こっそり頬を緩める。 ――――帰れ、と彼は言わなかった。 ――――逃げるそぶりなど微塵も見せなかった。 結局のところ、タイガーは自分に甘いのだ。 会社の命令云々を抜きにして、バーナビーに情を移している。 タイガーの懐は深い。 それこそ一度落としこまれたものは己自身、どれほど手を伸ばそうとも掬えぬほどに。かえって自身も呑みこみかねないほどに。 最近バーナビーにはそれが分かってきた。 もっともその"甘い"が相棒としての信頼ゆえではなく、愛娘へ向ける肉親のものと近い質であることは業腹だが、今は目をつむろう。 じきそんなこと思わせなくしてやる。 ("こども"の成長侮ってると、泣きを見ますよ虎徹さん) 肩いからせ、ありありと不満燻らせる背中に向かうバーナビーの眼差しに挑戦的な光が宿った。 かくして思惑秘めた二人は伴歩き。休日の喧噪絢爛な街中を、ときおりファンとの交流を交えながら歩みゆく。 サインをねだる、最後の一人と握手を交わしながら、バーナビーはふっと穏やかな眼差し街へと向けた。 ――――平和だ。 復讐心に凝り固まっていたあの頃は、こんな風に街を見る余裕などなかった。 人混みへ向ける目は狩人の目。たった一つの手がかりを胸に、街全体へ蜘蛛の網のごとく神経行きわたらせ怨敵の影を探す日々は、ある意味では充実していた。 実際、仇を討った瞬間の達成感は長く続くことなく、かわりにこみ上げてきたのは喪失感だった。 復讐だけを軸として、己を支えて生きてきた。 ならばこの先、なんのために生きてゆけばいい? なにを思って人生を歩めばいい? ただ愚直に、純真に復讐の道を邁進していたバーナビーの足下を、生まれて初めての懊悩が足を捉える。 悩みの沼は深い苦しみの泥でバーナビーを引きずりこみ、呼吸も思考も塞ぎ堕とそうとする。 だがバーナビーは今こうして心朽ちることなく生きている。 煩悶するバーナビーに救いの手を差し出してくれたのは、いま背で静かにファンとの交流が済むのを待っている、他ならぬタイガーであった。 なにも言葉にして慰め、示してくれたわけではない。 彼は普段の行動で、いつもの姿で、バーナビーに問うた。 ――――この街の、この平和なんてどうだ? タイガーの無言の問い掛けに、それまで閉じていた耳目が開く。 目には人々の笑顔。耳には人々の笑い声。 いままでならばなんの感慨もなく通り過ぎていったそれらが、索漠たる砂漠に降り注いでは一面緑の野へと変じる暖かな雨のように心を潤し満たす。 この時、バーナビーはあらためてタイガーのヒーローとしての矜恃を知る。 そして、願い叶うならばその志に添える"相棒"になりたいと、バーナビーははじめてそう思った。 自分を慕ってくれる街の人との交流は、あの時の思いをさらに強くしてくれる。 小さないざこざあれど世は太平、事も無し。 空は晴天、街に流るるは和やかな街の人々の声と顔。 特に目につくのは、幸せそうに寄り添う恋人達や、家族連れ。 こちらでは友と笑いながら伴連れて歩く学生達の姿。その面は青い輝きに満ちて、そちらでは共に生きた月日を皺と刻んだ老夫婦が公園のベンチに並んで腰掛け、街行く人々の中に往年の自分たちの面影を見出しては穏やかに想い出を語り合う。 さらに額に汗した青年は、身に余るほど巨大な本マグロを引きずりながら、今まさに目の前の交差点を横断し―――― 「シュテルンビルトまちがいさがし<対象年齢・3〜5才>!?」 視界に違和感強制ログイン。 おかしいおかしくないを通り越してもはやおかしいがおかしいの毛皮をきておかしな表情でおかしなステップを踏みつつおかしく町を闊歩するおかしいのゲシュタルト崩壊。 自分でも何を言っているのか分からなくなってきた。まったくもって、いまさらだが。 「どうしたバニー。いきなり大声出して……子供が怯えてるじゃねぇか」 「僕の方こそ住民のスルーっぷりに恐れをなしてますよ! おじさん、おじさんはこの光景になにか不審な点を見いだせませんかッ!?」 古典劇に登場する役者のオーバーさで身振り手振り、食いつかんばかりの決死の形相で訴えかければ、男児をあやしていた手を止めタイガーは周囲を見回す。 こと、悪事悪人に対しては千里眼の神力備える琥珀の目に、猫ぶら下がる巨大まぐろを抱えた青年や睦まじく寄り添い歩く幸せそうな恋人、母娘の買い物に付き合わされて疲れた笑顔見せる父親やひなたぼっこを楽しむ老夫婦が映る。 一通りに目をやって、タイガーは巨岩に風穴開ける鋭利な錐の視線で問いかけた。 「――――どこにでもある、平和な街の風景じゃないか」 「おじさんいますぐ眼科でその節穴に詰まったイクラ外してきてください」 だめだ。役に立たない。バーナビーは今回の一件に関してタイガーから助言を仰ぐことをやめた。 バーナビーは周囲に「?」撒き散らして首を傾げるタイガーを横目にケータイを操る。 「――――おじさん」 片手でケータイを操作し、もう片方の手はずい、とタイガーの眼前に突き出して。 「アイパッチ、余っているのなら貸してください。今からあの人を尾行します」 ――――かくて舞台はふたたび転じて、ここはブロンズステージ、ノース地区。 ダウンタウンにもほど近いこの区域は、さきほどまでバーナビー達が身を浸していた休日の賑やかさとは反比例して人の気薄く、ときおり歴史ある聖堂の鐘の音のように重い機械の駆動音が、イーストリバーを隔てた工業地区から流れてくるばかりである。 二人は建物の影に身を溶かしながら、尾行を続けていた。 タイガー愛用するアイパッチの威光か、ここにくるまであれほどバーナビーの足を留めてきたファンの攻勢はぴったり止んで、そうするとこんなうすっぺらいアイパッチのどこに人目欺く魔力が備わっているというのか、シュテルンビルドの住人はいったいなにを基準に人の顔を見分けているのか、よもやこのアイパッチ斎藤さん謹製かそれならばいくらか納得も……いやいくものか? との疑問が再び鎌首もたげてくるが今は脇において、目下究明せねばならないのは眼前の尾行相手、その正体だ。 標的の青年、身の丈おおよそ折紙と同じなれど、その体躯といったら普段穏やかだが一度怒り狂えば百獣の王ライオンさえも容易に踏み殺す巨象のよう。 首から肩から胴から腕から足から、何から何まで太いがそれは贅肉のこびりついた太さではなく、鍛えあげた筋肉もさりながら、その上をさらに脂肪が緩衝材として覆っているゆえの太さであった。 普通に街を歩いていても目を引く魁偉な容貌であったが、いま、さらにその姿を特異にしている小道具というのが、目の荒いネットで包み、背に担がれた丸ごとのマグロ一本。 目測でも100kgは優に超える巨体はここにくるまで散々猫やら鳥やらの襲撃にあったらしく、その身弾丸と化して海の中を悠々泳いでいた王者の風格は、ぼろぼろに削られた銀の皮からすでにこぼれ落ち、濁ったま白い目で海の代わりに青い空仰ぐさまは、ただただ寂しく、哀れの一言に尽きる。 しかし青年を追うバーナビーの、アイパッチと眼鏡の奥から覗く瞳に浮かぶのは惻隠よりも疑念の色。 なぜあの青年はマグロなんぞ抱えているのか。こんないまは人気の少ない地区になんの用なのか。 疑念の矢は尾行相手だけではなく、街の者にも向けられた。 なぜ住人達はあのような異様を放っておくのだろう。すぐさま警察なりヒーローなりに通報しようとは思わないのか。これがこの街の日常なら、いままで自分が見てきたあの平常なる日々は、復讐にささくれだった心が見せた対岸の、儚き邯鄲の夢だったとでもいうのか。 不可解な事象を前に、普段怜悧なバーナビーの灰色の脳細胞も惑乱の渦に絡めとられ溺れかけ、そんな懊悩する同僚の耳元にそっと、数多ある将来の選択肢を選びあぐねるあまり七転八倒する生徒へ向ける教師の慈愛でタイガーは窘める。 「……やっぱ誰彼疑うのはよくねぇぞ、バニー。あの人はこれから流行るフルスケールケータイストラップを先取りし過ぎちゃった人かもしれねぇじゃねぇか」 「なに洋堂が造るんですか、あんな猫釣りあげた磯臭い超重バーベルストラップ……ッ」 ほざくタイガーを氷河の冷たさで睥睨したバーナビーが、一瞬ビクリと体をすくませる。 すぐさま懐から取り出したケータイのフラップを開き、耳押し当てて一言二言。 先ほどとは違った緊張感に顔こわばらせるバーナビーを見つめるタイガーの顔は、寝起きのごとくぼんやりだらしないものから見る間に引きつり――――やがて。 「おじさん」 「――――分かった」 通話を終えると同時に、目と目で交わすスタートの合図。 なにを、と言わずとも応、と返す小気味良いやり取りと、さきほどまでの腑抜けを霧散蒸発。面にヒーローの使命感と気炎漲らせ青年の背に箭(や)の視線向けるタイガーの姿に、己の目指す"ヒーロー"を見る。 雄々しくかつ慎重に進む背に胸中唇を緩ませつつ、バーナビーもまた動き出した。 第三話〜未知(まぐろ)との遭遇〜 |
あとがき
やっと話が先に進む。
次回「めいたんていバーナビー」ご期待ください。