::世界冥作劇場::
人魚姫
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「ヤイ、とまれ!!」 スタンは男を大声で呼び止めました。 振り向いた男は、どんよりとよどんだ、うさんくさそうな目でスタンをみます。 「アァ? だれだ、おまえは。 オレさまになんのようだ!?」 「俺はただのとおりすがりだ。 それよりあんた、そんなにフラフラじゃ、そのうち池にでもハマっておぼれるぞ。 もう、家に帰ったらどうだ」 「なんだとッ!? 小僧がエラそうに!!」 「えっ? ウワッ!?」 スタンはおもわず後ろに飛び退きました。 注意を受けて、赤い顔をさらに赤くした男が、手にした酒瓶でスタンに殴りかかってきたのです。 その力の、なんと強いこと、恐ろしいこと! かなり距離をとって避けたはずなのに、ものすごい風圧で、スタンの前髪がぜんぶ浮きあがるくらいでした。 避けてなお、この威力です。 ちょくせつ殴られたなら、スタンの頭は床に投げつけられたトマトみたいに、グチャグチャのミンチになっていたことでしょう。 さすがに向こう見ずなスタンも、これには血の気が引きました。 「ワ、ワ、ワッ! ちょ、ちょっとおちつけ!!」 「うるせぇー! オレさまに指図するなーッッ!!」 「ウワー!!」 相手はもうこっちの言うことなんてききません。 まわりのことも見えていません。 暴れているうちに、さらに酔いがまわってきたのか、大男はフラフラヨロヨロ。 めくらめっぽうに酒瓶を振りかざすたび、あちこちで悲鳴があがります。 あわてて大男から逃げようとする人と人とがぶつかったり、怖い物知らずの見物人が野次をとばしたりと、公園は上へ下への大騒ぎ。 騒ぎをおさえるつもりが、よりひどい騒ぎになってしまいました。 このままでは、罪のない街の人から、けが人がでてしまいます。 そのなかには、後ろのベンチでなりゆきを見守っているエミリオもふくまれるかもしれないのです。 こんなとき、育て親のディムロスならどうするのか……。 考えている時間はありませんでした。 さらに騒ぎはおおきく、人もたくさんあつまっています。 「くそッ! こうなったら!!」 スタンは手近な屋台の、ノボリをかかげるポールをひっこぬきました。 ポールは伸縮式で、ちぢめるとちょうどスタンがふだんつかっている剣とおなじくらいの長さになります。 スタンは意を決し、大男に向かってポールを正眼にかまえると、吠えました。 「ヤイ! このアカゴリラ!! おまえの相手はコッチだ!!」 「ダ、ダ、ダレがゴリラだ!! 身のほど知らずのこぞうがッ、そんな棒っきれでどうするつもりだッ!!」 「教えてやろうか? 礼儀知らずのゴリラをしつけてやるんだッ! ヘンッ! ちょっと人間のマネができるようになったからって、ちょーしにのるなよ、アカゴリラ!!」 「に、に、に、二度もいったなああぁぁぁ〜〜〜!! もうゆるさん! その憎まれ口、つぶしてやるウゥゥゥゥッ!!」 鼻を鳴らして見くだすスタンに、大男は大激怒。 もともと真っ赤だった顔は、茹であがったタコのようにさらに真っ赤っかっか。 頭といわず全身から湯気をふいて、大男のまわりだけ、空気がゆらゆら揺らいでいるようにすらみえます。 「ウオオオオオオォォォォ!!」 あ、あぶない! 大男は酒瓶を放りなげると、両腕を大きく広げてスタンに襲いかかりました! 「うわっとぉ!」 スタンはかろうじて避けることができましたが、その勢いのすさまじさたるや、まるで怒り狂うイノシシ。 いいえ、早さと破壊力を考えれば、砲弾といいかえたほうがいいでしょう。 走るだけで地面は削れ、通りすぎる風圧で花だんの草花は無惨にちぎれて丸裸。 ますます手のつけられない暴れぶりです。 ああ、それにしてもスタンはいったい、どうしてしまったのでしょう。 相手をさらに怒らせるようなことをいって、これでは逆効果ではありませんか。 まわりの人からもあの青年はなにをしているのかと、とまどいの声が上がっています。 このままスタンは、怒り狂う大男につぶされてしまうのでしょうか? しかし、みなさん。 スタンはなにも、考えなしにあんな悪口をいったのではないのです。 これには、スタンなりの考えがありました。 「や。これはいったいどうしたことだ」 スタンと大男のやりとりを、木の上から見物していたやじうまのひとりが、すっとんきょうな声をあげました。 「どうしたどうした」 「おや、なんだかおかしいなぁ」 ほかの人たちも口々にふしぎだ、おかしいといいあっています。 みんなの視線のさきにいるのは、スタンと大男。 それはかわらないのですが、しかし、これはどうしたことでしょう。 二人の姿は、なぜだかだんだんとみんなの視界から遠ざかっていくのです。 スタンが身をひるがえすたび、大男が走るたび、ふたりはだんだんだんだん、人々の輪から離れてゆきます。 「このまんまじゃ、公園からでていってしまうわ」 「ほんとうだ。あ、もう公園の出口までいっちゃった」 「このさきは、たしか森につづいているはずだ」 「森を抜ければおとなりの国だ」 「そうだそうだ、たしか兵士の詰め所もあったはずだぞ」 「やっ、このまんまじゃ見失っちまう!」 「それ、おっかけろ!!」 「おぅい、だれか木からおろしてくれぃ!」 やじうまの何人かはそれっ、とばかりにスタンたちを追いかけます。 ですが、大部分の人たちは遠ざかってゆく大男の罵声を見送りながら、ほっと胸をなでおろしました。 ――――そうです。 これこそ、スタンがあんな悪口をいって、大男をさらに怒らせた理由だったのです。 (こんな大男を俺ひとりでつかまえるなんて、とてもじゃないけどムリだ。 野次馬はあてにならないし、そもそも街の人をあぶないめにはあわせたくない! だったら、このさきにある森の詰め所までうまく大男を誘いだせれば…… そこには、兵士がいる!!) 「ほぅら、こっちだゴリラ! 後ろ足だけじゃなく、前足も使わなきゃオレはつかまえらんないぞ!!」 「うぬッ!! こしゃくなガキめエェッ!!」 スタンの狙いはみごとに的中しました。 大男がじぶんを見失わぬよう、ほかの人に危害を加えぬよう、わざと男の目の前を横ぎったり、さらにからかいの言葉を投げかけたり、スタンはいろんな方法で男の気をひきつけます。 ひらりひらり。 サーカスの道化師のように、かるく身をひるがえしては人の少ない方へと大男を誘導する、スタンは顔こそ笑っていましたが、内心は冷や汗いっぱい。 なにせ、大男は酔っぱらっているにもかかわらず、突進するときには足取りはしっかり地面を踏んで、狙いたがわずスタンのいた場所にぶつかってくるのです。 一度など、スタンの胴ほどもあるポプラの木が、大男の突進を受けとめきれずボッキリおれてしまいました。 これには、さしものスタンもヘラヘラ笑いを消して、ゾォーッと震えあがってしまったほど。 しかも、ぶつかった痛みで我に帰るかと思いきや、痛みはただただ大男の怒りに油を注ぐばかり。 堅い木にぶつけた額は赤くなるだけで、かすりキズひとつ負っていません。 大男は、お酒も怒りも、まだまだ抜けきれていないご様子です。 スタンははずれた思惑にすこし焦りながらも、またひらり。 紙一重で大男を避けながら、ひらけた道をゆきます。 おいかけっこがはじまって、もう何分たったでしょう? うしろから大男の怒鳴り声といっしょにきこえていた野次馬の声は、いつのまにか途絶えました。 なにせ、ひらけているとはいえ森のなかの道。 舗装された道とちがい、ところどころ木の根っこがでっぱっていたり、ぬれた葉が落ちていたりと走るにはいろんなジャマがあるのです。 やじうまのみんなは、ついてこれなくなってしまったのでした。 スタンも、じつのところもうヘトヘトでした。 ふだんなら、訓練でもっと悪い道を、何時間も走ったりできるのですが、今日はこわいこわいおともがいます。 しかも、ただ走るだけでなく、うしろの大男をつかずはなれず、見失わせずに詰め所までリードしなければならないのです。 いつもの訓練より、もっとたいへんなことでした。 心臓がバクバクいって、喉もガラガラ干上がって、汗もダラダラ流れて……。 スタンが目に入った汗を、グイと拭った、その時でした。 「ワッ!」 木の根に足をとられたスタンは、その場でバタンと倒れてしまいました。 慌てて立ちあがろうとするスタンの頭上に差す影。 「ウワアッ!」 スタンは悲鳴をあげて、とっさに転がりました。 そして、さっきまで自分が伏していた場所をみて、ぞぅっと青ざめました。 なんということでしょうか。 スタンの頭があった場所に、大男の足が突き刺さっていたのです。 すぐそばに生えている木とおなじぐらい太い足。振りおろした風圧に舞いあがった木っ端がスタンを襲います。 (逃げなきゃ!) スタンは立ちあがろうとこころみますが、大男がそれをゆるしません。 「うぬぅ、ちょこまかと!」 ギリギリ歯ぎしりしながら、大男はなんども地面に足をたたきつけます。 「ワ、ワ、ワッ!!」 身を起すヒマなんてありません。 たちあがろうと転がるのをやめれば、たちまち大男の足がスタンのおなかめがけて降ってくるのです。 とにかくいまは、ゴロゴロ転がって足を避けるくらいしかできませんでした。 ときに転がり、ときには這い、スタンはなんとか大男のスキをつき、また走りだそうとしますが、どうしてどうして。 大男の動きはすばやく、かつ、正確でした。 起きあがるために距離を取っても、大男は一瞬で距離を詰めてしまいます。 まるで両脚にバネでもしこんでいるかのように、スタンが必死で稼いだ距離なんてひとまたぎです。 (いっそ、このまま、ころがって詰め所をめざそうか……) 焦るスタンはそんなことを考えてしまいます。 けれども甘い考えを、それを大男が許してくれるでしょうか? 「クソ……ガフッ!?」 スタンがなおも振ってくる大男の足を避けようと勢いよく転がろうとした、その時でした。 ドン、と背中に固い衝撃。 とっさに振り向けば、行く手を阻む、汚れたブーツからにょっきり生えた大木のような足。 (ジャンプで追い越された!) 衝撃の正体に気づいたのと、躯が浮いたのは同時でした。 「……ッ、ガッ!?」 大男が、その丸太のように太い足を振り上げ、スタンの背中を思い切り蹴りあげたのです。 一瞬、スタンの躯は地面を離れ、浮かびあがりました。 受け身をとる余裕もありません。 ズシャアッ! 小石を跳ね上げ、スタンの躯が地面に打ちつけられます。 たたきつけられた衝動が気道をふさぎ、いっしゅん息が止まりました。 空気をもとめて痙攣する肺。えづく喉。ミシミシと痛む背。 躯を丸めて、こみ上げる痛みに耐えるスタンの頭上に、影がさします。 涙でぼやけるスタンの目に飛びこんできたのは、 大男の、 大口ねじ曲げた、 ニタリと、 イヤらしい笑い顔、 で。 (にげ、なきゃ……) スタンは爪も剥がれんばかりに地面を掻いて動こうとしますが、躯はちっとも言うことをきいてくれず、ビクビクと陸に上がった魚のようにただ痙攣を繰り返すばかり。 大男が吠えるように笑いながらなにか言っているようですが、いまのスタンにはなにも聞こえません。 男から食らった蹴りは予想以上に重く、いまだスタンの躯の内で痛みの反響を繰り返しています。 (にげなきゃ……おきて、はしって、つめしょ、に、いけ、ば……) 足掻くスタン。砂利の浮く地面を掻く指から滲む血。 (つめしょ、には……が……) 下卑た大男の含み笑い。ふたたびせまる足。 (――――でぃ……む……が) スタンの意識はそこでプツリと 「な、なんだ、テメェ!?」 途切れませんでした。 踏みつぶすはずの足は下りてこず、かわりにスタンの頭上へ降ってきたのは大男の、うわずったとんきょうな声。 のろのろと重いまぶたを引き上げた先でスタンが見たもの。 それはみなれた、 まもれなければならない、 けれどもここにあってはいけない、 せなか。 「エミ、リ、オ……?」 そこにあったのは、公園で待っているとばかり思っていたエミリオでした。 まるで大男の目からスタンを庇うように、仁王だちしたエミリオに、スタンはいっしゅん呆気に取られます。 が、それもつかのま。 「エミリオ……逃げ、ウッ!」 スタンはすぐに起き上が――――ろうとしましたが、地面にヒジをついたはずみに、ズキリ、背中から頭のテッペンまで痛みが走ります。 体の中をイカヅチが通ったような痛みに、ついたヒジはすぐにくずれて、ふたたびスタンはベシャリと地面に突っ伏しました。 ズキン、ズキン。 痛みが音になって、耳をふさぎます。 ズキン、ズキン。 痛みが鎖になって、体をしばります。 いっそこのまま気を失って、楽になりたいくらいの痛みです。 けれども、スタンはひとり楽になるのをよしとはしません。 スタンには、戦わねばならぬ理由があるのです。 (にがさ、なきゃ……。 エミリオを、逃がさなきゃ……!) 目の上の、華奢な背中。 ほんとうだったら、スタンが守らなければならないエミリオが、スタンの戦わねばならぬ相手との間に立っています。 エミリオはまだ杖に縋らなければ歩けない体のうえに、対峙する相手は雲つくような大男。 乱暴されれば、エミリオのやわい体など、さながら木っ端のように吹き飛んでしまうでしょう。 「逃げろ……エミリオ、逃げろ……!」 せめてエミリオだけでもと、スタンは痛みに呻きながら、懸命に叫びます。 けれどもエミリオは聞こえているのかいないのか。 いっこうに逃げる気配はありません。 大男も突然の乱入者に戸惑っているようでした。 「なんだ、チビ。 ケガしたくなけりゃどいてろ」 『……』 「オイ、足だけじゃなく耳まで悪ィのか。 どけ! どけッてんだよこのガキィ!!」 『……』 大男は声を張り上げ、エミリオに退くよう指図しますが、エミリオは微動だにしません。 まさか、大男の怒りに気圧されて、足が竦んでいるとでもいうのでしょうか? 背を向けられているため、スタンにはエミリオの表情がみえません。 見上げるエミリオの背中は大男に威圧されただけで吹き飛んでしまいそうなくらい、華奢ではかなげです。 とてもではありませんが大男相手に大立ち回りができるようには見えません。 (そうだよ……、 だから、そのために、 俺がいる……ッ!) 痛みなどに負けてはいられません。 スタンは砕けんばかりに歯を食いしばり、あらん限りの力でたちあがろうとします。 しかし。 「ええい、うっとうしい!」 「ッ! エミリオ!」 エミリオに迫る大男の平手。叫ぶスタン。伸ばした手はエミリオの背中 いいえ、影にさえ届きませんでした。 ふ、とスタンの目の前でエミリオの背中がゆらいだと思ったら、次の瞬間には姿が消えていたのです。 まさか大男の平手の威力を前に、木っ端のごとく吹っ飛んでしまった、とでもいうのでしょうか? いいえ。いいえ、ちがいます。 エミリオは無事でした。 いつのまにか、スタンの視界の外、大男の背後にいたのです。 むしろ、無事でないのは大男のほうでした。 「ぐぉ……」 大男はちいさくうめくと、驚いた顔のまま、バッタリとうつぶせに倒れてしまったのです。 いったいどういうことか。なにが起こったのか。 ぴくりとも動かない大男を見つめるスタンの耳に、カサカサと枯れ葉を踏む音が聞こえます。 音のほうに目をやれば、近づくエミリオの姿。 ふらふらと頼りなく揺れるように歩み寄るエミリオに、やはりケガでもしたのかと、スタンはあわてて体を起こそうとします。 けれども、いったいどうしたことでしょう? 体に力が入りません。 指を動かそうとするだけで、静電気のように体に痛みが走ります。 動くのはせいぜいが目玉くらいのモノ。 けれどその目も、どこかかすみがかって、ゆらゆらゆれて、エミリオの顔がまともに見れないのです。 (エミリオ……エミリオ……) 彼は大丈夫だろうか。無事だろうか。 どこかケガなどしてはいないだろうか。 近づく彼に聞きたいことはたくさんあるのに、声さえでません。 (エミリオ……エミリオ……) とうとう顔の前まで近づいた彼は、その場にヒザをつきました。 けれどもスタンにわかるのは気配だけ。 目はかすんでほとんど役にたちません。 目が見えないなか、ふいに大気が揺れて、感じられる近づく気配と、そして―――― (これ……潮の……) 「リ……オ……」 そこで、スタンの意識はぷっつりと途切れました。 |
あとがき
予想以上に大男が目立ってしまった。