あまくて、あまい

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 スタンから手渡されたアイスクリームは、名物というだけあって、たしかに美味かった。
 口の中を麻痺させるような冷たさのあと、濃密なミルクの味が舌の上でほどけて、拡がる。
 香料、人工的な甘味は最小限に抑えられ、ミルクがもつ本来の甘さを存分にいかした味は、たしかに新鮮な牛乳がいつでも手にはいる牧場直営でなければ出せない味わいだと、リオンは感心する。
 王都でも繁華街でもお目にかかれない、ここだけの贅沢。


(……正直なところ、このアイスクリームのためだけに山を越える者がでてきてもおかしくはないな)
 リオンは舌を喜ばせる至上の口福にたいし、脳内で製造者に最大限の賛辞を贈った。
「んっ……」
 と、アイスに夢中になっていたリオンの耳が、ふいに声を拾った。
 リオンの真正面。足の低いラタン椅子に腰掛けたスタンがいる。
 カップを選んだリオンとは違い、スタンはスティックタイプをとった。
 イチゴフレイバーを、ミルクアイスでできた薄膜が覆っている。
 なかの部分がほんのり透けて赤みがかってみえる、円筒形のアイスクリームだ。
 スタンは、舌を出してその先端をなめている。
 なかのアイスよりももっと紅い肉厚の舌で、先端をこすると、ミルクの層が溶けだして白く側面を流れた。

「あっ……」
 指にかかる前に、慌ててスタンの舌が垂れるしずくをひろう。
 持ち手から、ぬろりと、先端に向かって舌が全体を舐めあげる。
 赤い舌の上に、粘性を持ったミルクアイスの白が広がり、口内へと消える。
「……んん、んく」
 そのうちチマチマと舌先で舐めていくのが面倒になったのか、スタンは唇を開くと口内にアイスを招き入れた。
 だが、アイス全体を口の中に納めるのはさすがに難しいらしい。
「うぐ、ぷはッ!」
 いちど喉奥までつっこみかけて、あわてて引き抜く。
 しばらくけほけほと咳きこんだあと、こんどは慎重に、ゆっくりと半分までアイスが口に収まる。
 ぽこり、と頬がアイスの形に膨らんだのもつかの間、スタンはゆっくりとアイスを上下に動かしはじめた。

 すぼめた薄桃色の唇を割って、ほの赤い棒状のアイスがなんども出入りを繰り返す。
 ときおり、隙間からアイスの下部に添えられた舌がのぞく。
 唇のはしに、白いミルクの玉が浮かぶ。
「んん……む」
 くちゅ、ちゅる……。
 と、アイスが口内を出入りするたび、仔猫がミルクを舐めるような水音が控えめに、けれどもしっかりとリオンの耳に届く。
 くち……くち……ちゅぷ、じゅる……ぐちっ。
「んっ!」
 ふいにスタンが動きを止めた。
 唇のあわいからこぼれた汁が、アイスを伝って手首を汚す。
「あぁあ……」
 こぼれちゃった……。
 溜め息交じりにスタンは、アイスの持ち手から手首まで滴る唾液混じりのミルクを下から舐めあげた。
 しかめられた眉と、伏せたまぶたが表情に陰を作る。
 普段のスタンからは、想像もつかないような艶帯びた表情に、しらず、リオンは喉を鳴らした。


「……リオン?」
 視線に気づいたか、スタンが顔をあげる。
 リオンはベッド。スタンは腰の低い椅子に掛けているため、普段とは違いスタンがリオンを見上げる形になる。
 下から、ぐぃ、と首だけ伸び上がらせて、スタンはリオンの顔色を窺う。
 スタンは半分まで減ったカップの中身をみると、ぱぁっと顔を輝かせた。
「よかった!
 ルーティのいうとおり、リオンって甘いもの好きなんだな」
「……べつに、特別好きじゃあ」
 子供のようなスタンに子供っぽいと指摘されたようで、無性に腹が立つ。
 それでもなお、アイスの魅力には抗いがたく、スプーンを運ぶ手は止まらなかった。
 それを見つめるスタンの目に、なにか暖かいものが宿る。
 スタンは、紅潮した顔をさらにリオンへと近づけた。

「いいじゃないか。好きなものは好きでさ。
 なぁ、なぁリオン。
 リオンのいちばん好きな甘いものってなんだ?」
 振り切れんばかりに振られる犬の尾のまぼろしがスタンの背後に見える。
 ふだんなら、ここで――――いや、もっと前の、顔を近づけてきた段階で電撃が飛ぶのだが、その時はちがった。
 好きなもの。
 そう問われたとき、リオンの鼻がある香りを拾った。
 キラキラと眸輝かせて近づくスタンから、発せられる匂い。
 温泉の湯の花とはちがう。
 ボディーソープともちがう。
 アイスを差し出されたときに、いや、日常的にスタンから発せられる、リオンをいらだたせる原因。
 リオンが近頃とくにスタンを遠ざける理由。
 匂いが鼻を伝い、口の中まで通る。味蕾が刺激される。
 とたん。

 衝動がリオンの背中を押した。

 いつもならばティアラの起動スイッチを押す手が、スタンの肩に回る。スタンの手首をつかむ。
 リオンはほとんど倒れこむような形で、スタンに組みついた。
 堅い木の床はそのまま倒れこめば、いかに頑丈なスタンとはいえ頭を打ちつけ失神は免れなかっただろう。
 だが、身についた習性か、スタンは拘束されていない左腕でとっさに受け身をとった。
 リオンの下で、スタンが一瞬身を固くし、呼吸を止める。
 食いしばった口端からこぼれた、うめきと白い液。

「あ、ぅ」
 苦しげに吐き出す息を嗅いだ瞬間、リオンの理性は焼き切れた。

「んんぐ、んん――――!?」
 リオンはスタンの唇にかみついた。
 予期していなかったらしい、スタンは無防備だった。
 あげようとしたのは制止か、それとも痛罵か。
 リオンの唇が覆い被さっているにもかかわらず、大きくひらいた口にリオンは自分の舌をねじこんだ。
 万力の要領で、逃げようとする顎をつかみ固定する。
 押しだそうとするスタンの舌を無視して、リオンは口内をねぶる。
 舐る唇の隙間からのぞいていた白い犬歯。
 歯列の内側。
 段になった上顎。
 先端を擦り溶かした舌先。
 それを支える舌の付け根。
 アイスを押しつけて膨らんでいた頬の内壁。
「ふぐ、んぐ、んんんうぅ――――!!」
 スタンは唇を塞がれたまま声をあげるが、それさえリオンは息ごと呑みこんだ。
 舌を突き入れた当初こそ冷たかったスタンの口内は、いまやすっかり熱を取り戻している。

 口内だけではない。

 組み敷いて密着した体が、焼けるように熱かった。
 まるで太陽を抱いているかのようだ。
 重なった胸の鼓動がうるさい。
 リオンは耳を塞ぎたくなった。
 だが、それよりいまは暴れるスタンの体を押さえておくので手一杯だった。
 体格差ゆえ、すこしでも気を抜けばスタンは容易にリオンを跳ね飛ばしてしまうだろう。
 この体から、唇から、一時も離れたくはなかった。
 だからリオンは、全体重をかけてスタンを床に縫いつける。
 暴れる足に自身の足を絡めて縛し、折れんばかりに手首を握りしめる。
 そのあいだも、リオンの舌はスタンの口腔を無遠慮に暴きつづける。
 ジュル、ジュプとぬめった音をたてて溢れる、どちらのものかわからぬ唾液がたがいの肺から空気を追いやる。

「……ぅぅ……んぅ……」
 やがて、抗議の声はじょじょにかすれて小さくなってゆく。
 つかんだ手首のこわばりが溶けて、くなりと、力が抜けてゆく。
 押し返そうとうごめいていた舌の動きが鈍くなりはじめて、ようやくリオンは唇を外す。
 リオンの肺も限界だった。
「グッ、ゴホッ……ゲホッ!」
 ゆっくりと息を吸いこんだつもりだった。
 だが、絶息寸前までいった肺ははやく新鮮な空気を取りこもうと、急激なけいれんを繰り返す。
 スタンの手首を、顎をつかんだ手が震えて、力が萎える。
 リオンはスタンの肩に顔を埋め、覆い被さった。
 さきほどのように、スタンの体を縫いとめるためではない。
 自分を支えるための腕力さえなくなったためだ。
 ハァハァと、リオンはみっともなく喘鳴を繰り返す。
 おなじく酸素不足にあえぐスタンの荒い呼気が耳にふれて、くすぐったい。
 組み敷いた体は、変わらず熱いのに、つかんだ手首だけが妙に冷たかった。
 リオンは、ゆるゆると体を起こす。
 つかんだ片手から、リオンは少しだけ力を抜く。
 指の隙間から見えた手首に、赤黒い輪ができている。
 スタンはまだ息が整わないのか、目を閉じて呼吸に集中しており、抵抗する様子はない。
 弛緩した五体を床に投げ出すさまは、理由も知らされず磔刑に処された無辜の民のようでさえある。


 ――――だが、見る者の憂愁さそうそのすがたにリオンが覚えたのは、哀れみなどではなかった。

(ああ……また……)

 ドクリと心臓が高鳴る。舌の根が引きつれる。腹の底が焼いた石を飲んだように熱い。
 薄く開いた唇のあわいからのぞく舌に、喉が鳴る。
 つい先ほどまで味わっていた、あの甘露が味蕾によみがえる。
(足りない。まだ足りない……!)
 リオンはスタンの息が整うのも待たず、ふたたび唇に噛みついた。
 ジュブ、ジュル……ジュゥ。
「ぁむ……ん、ん、んぅ……」
 さっきよりも柔い抵抗に気をよくして、唾液をすすり上げる。
 喉を甘露が通ってゆくのが熱でわかる。
 唇を奪った当初、口内に満ちていたアイスクリームの風味はすでになく、スタン自身が持つ甘みだけを感じる。
 さきほどまで賞味していたアイスもたしかに賛美に値するものだったが、口にしたときの感動の純度はこちらのほうが断然上だった。
 横目に、床にこぼれて乾いてゆくアイスクリームが映るも、もうリオンには味が思いだせない。
 舌から嗜好が塗り替えられてゆく。
 万人のためではない。
 リオンの舌にあわせ、リオンを喜ばせるためだけに作られた逸品を、いままさに味わっている。

(ああ……これか。
 これだったのか――――)

 リオンは、このときはじめて自分がスタンに感じていた、ほかの同行者にはない腹立たしさの正体を知った。




 ――――リオンはちかごろ、正体不明の焦燥に襲われることがあった。
 いつからかは覚えていない。
 さいしょは、慣れぬ同行者おもり付の旅のストレスからくるものと思っていたのだが、時を重ねる毎に焦燥の発作にはきっかけがあることが分かった。

 きっかけとはそれ、スタンである。
 スタンがそばに寄る。スタンの姿を視界に写す。
 それらが引き金となり、リオンを焦燥の渦へと叩きこむ。
 おそらく、ほかの同行者よりも断然、スタンの態度が馴れ馴れしいのが原因だろう。
 理由がわかってから、リオンはスタンを遠ざけることにした。
 話しかけられても無視は基本とし、ときにはティアラによる実力行使も辞さない鉄壁の構え。
 だがそれでも、焦燥を完全に消すことはできなかった。
 気がつけば、スタンの姿が目に映る。スタンの声が耳にはいる。
 まるで磁石が引かれあうように、スタンの姿はリオンの知覚内にあった。
 苛立ちの原因はスタンがそばにいること。
 なのに、いなければ、それはそれで息苦しい。
 自分でも制御できない焦燥に、日々スタンへの態度は辛辣さを増す。
 このままではさすがに旅に差し支えがでる。

 ――――そんな危懼は、いまこの瞬間雲散霧消した。

「んんむ……ん、ぷは……」
 リオンは散々スタンの口内を舐り倒してから、体を離した。
 スタンの唇とリオンの唇のあいだにしずくの橋ができて、ぷつり、と途切れる。
 見下ろすスタンの顔はとろけていた。
 口のまわりをどちらのものとも知らぬ唾液でべとべとに汚して、パジャマの襟口からのぞく首まで真っ赤に染めて。
 荒く上下する胸にあわせて、喉が震えている。
「あ……り、おん……」
 震える声が紡ぐ、リオンの名前。
 放たれる芳香が、馨しさを増す。
 縋るように見上ぐる視線を受けとめた瞬間、リオンは自身のなかにあった焦燥が――――“餓え”が満たされてゆくのがわかった。

 リオンがスタンに感じていた、焦燥の原因。
 すべては、このスタンから発せられる香りと、そこから想像される甘露にあったのだ。
 スタンから発せられる甘い香りは形のないものゆえに、口へ通っても舌に残るのはぼやけた影ばかり。
 餓えを誘惑するだけしておいてお預けなんて、こんな残酷なことがあるだろうか。
(ああ、けれども、もう……)
 けれどももう、そんな不毛な日々はおしまいだ。
 解決策は見つかった。
 いままでどうして思いつかなかったのか不思議なくらい簡単で、安価で、なによりとびきり“おいしい”。

「……」
「ふわぁっ!?」
 床に散らばる金糸の一房を掬い上げれば、まるで髪にまで神経が通っているかのように、大袈裟にスタンの体が跳ねた。
 涙の幕が厚くなって、さらに蒼眼が色を深める。
「リオン、あの……」
 スタンは阿(おも)ねる音を含ませ呼びかける。
 それが、さらにリオンを煽るとも知らずに。
「……」
「リ、リオン、ちょっと、離れ、リオ、ンんぅ!」

 ――――リオンはスタンの呼びかけに応じない。

 ただむさぼる。
 獲物スタンの言葉に応じてやるつもりはなかった。
 それよりなにより、いまだこの心身には餓えが巣くっている。

「ぅく、ん、ん、ん、んん!」
「……たりない」
 まだ唇が触れあったまま、したたるささやきに、敷いたスタンの体が大きく震えた。





 ――――爾来、リオンは正体不明の焦燥から解放された。
 いや、正確には解放されたわけではない。
 いまもなお、リオンは数日にいちど――――ひどいときなど一日になんども胸を塞がれるような発作に襲われる。
 いまひとつ思うがままにならぬ我が身を厭いつつも、心のどこかでリオンは発作の訪れを……



 ――――“薬/毒”を喰らう時間を餓えた犬のように待ち望んでもいた。



「ンンンッ!」
 ひときわ強くすすりあげた舌を甘噛みすれば、とうとうスタンの足はがくりと崩れた。
 腕にかかる重みが増す。
 支えきれずにリオンはスタンの背から手を離した。
 互いの唇が外れる。未練を示すように、二人の間にしずくの橋ができて、すぐにとぎれる。
 リオンは、視線をスタンに据えたまま、濡れた唇を袖口で乱暴に拭った。

「あ……ぅぅ」
 繰り返される咳と、荒く上下する肩。
 見下ろした耳はおろか、髪の隙間からのぞくうなじさえ、赤い。
 地面に臀をついたスタンは、ちいさなうめきをひとつ。
 こぼして面を上げる。
 その目には、炯々とした強い光が宿る。
 力の差をはっきりと思い知らされながらも、スタンの眸はあきらめてはいなかった。
 はじめて襲いかかったときにあった怯えはもうどこにも見受けられず、空色の眸には怒りだけがみやすく宿る。

 ――――これは、獣の目だ。

 安寧に惰眠をむさぼっていたら、とつぜん現れた人間の鉄砲に追いたてられてねぐらを逃げ出す羽目になった、狼の目だ。
 しかも相手は生業とする殺生の罪深さ、業深さを知る猟師でなし。
 スポーツ感覚で銃をとり、犬けしかける素人という二重の不条理。
 だが、獣は屈するをよしとはしない。
 観念してみずから銃のまえに姿をさらし苦痛少なき一発をえらぶよりも、犬にどてっ腹引き裂かれようが、かならずや害敵にんげんの喉首喰いちぎってやろうという憤怒の炎を、リオンはスタンの眸にみる。

 ――――眼下の光景に、ずくり、と、腹の底で重い熱がふたたびわだかまるのを、リオンは感じた。
 視覚が、舌先にふたたびよみがえさせる、甘露。

 ――――視線だけでは、足りない。

 口内が一気に乾いて、喉まで痛い。
 情動に急かされるがままに、リオンの手が、ふたたびスタンに伸びる。
「ッ、この!」
 リオンの思惑を悟ったか、スタンはリオンの手から逃れようともがく。
 だが、やはり立ち上がるにはいまだダメージが残っているようだ。
 壁に手を当て、踏ん張ろうとするも、足はただふるえるばかり。手はただ滑るばかり。
「クソッ!」
「まったく、オマエはどこまで学習しない」
「うるさ、いツッ!」
 リオンは振り回されるスタンの手をたやすくひねりあげると、頭上で固定してしまう。
 ギリ……と手の甲に爪を立てれば、スタンの唇は痛みに開く。
 リオンはその隙を逃さず、覆いかぶさった。
 なんど味わっても、スタンの唇は美味のまま。
 変わることなくリオンを喜ばせる。

(そうだ、こいつは変わらない。最初から変わっていない……)

 スタンは、どれほど蹂躙されようが、本当の意味でリオンを拒絶することはなかった。
 スタンが死にものぐるいで暴れれば、リオンをはじきとばすくらいはできるだろう。
 呼吸さえ脅かし、口腔を好きに暴く舌を噛みきってしまうくらいかんたんだろう。

 だが、スタンはしない。

 リオンは確信を持って断ずる。

 スタンは、リオンを真実拒めない。突き放せない。
 理由はリオンにもわからない――――ことにしておこう、いまは。
 どうしてリオンがスタンのそばにいると”発作”に襲われるのか。
 どうしてリオンがスタンに”理性がかき消えるほどの甘露”を覚えるのか。
 どうしてスタンがリオンに、医者へゆくことを諭そうとはせず、されるがままに襲われているのか。
 ぼんやりと見えている答えを明確にするのは、もっと後がいい。
 認めるにはまだ、心の準備というやつができていない。
 いまはただ、
 ”発作に襲われる自分と、そんな自分に襲われる薬役”
 でいよう。

 リオンは、こぼれはじめたスタンの嬌声を耳に感じ取り、貪る舌を振るわせ笑う。




 ああ、まったく――――



(どこまであまい……)

あとがき

あまあま。
自分にしては、甘々。

エロくなるようにと途中、オノマトペを入れてみたが、さほど効果が見受けられない。

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