あまくて、あまい

≫前/戻る/

「は……ぁ……んむ」
 口蓋のざらつきを舌でこすれば、鼻に掛かった声といっしょに蜜があふれる。
 一滴も逃すまいとすすりあげれば、つかんだ二の腕が震える。
 さいしょは拒むようにこちらの胸についていた手は、いつのまにか縋るかたちでリオンの後ろ身頃をつかんでいた。
 ぐい、と、背中に回った手に力がこめられ、胸が密着する。
 服越しにつたわる鼓動は、早鐘を打つようにはやかった。


(……甘い)


 かすみがかったリオンの脳裏に、いまさらながらに浮かぶ。

 甘い。この男は、どこもかしこも甘い。

 唾液など、ほんらいなら汚いもの。軽蔑を意味する言葉にもあるとおり、見ることさえ厭わしいもの。
 で、あるはずなのに、なぜスタンのものは別なのか。
 リオンはもっと、この蜜を味わおうと咥内だけではなく、躯にも刺激をくわえる。
 背に回した手で腰の線をなぞれば、とたんに跳ねる躯。
 塞いだ唇からこぼれるくぐもった抗議の声に、応じてやるつもりも義理もない。
 ほんとうにいとうならば、なぜ腕を解かない。
 リオンの背に回した手を外さない。

 どうせ、ただのポーズだ。

 男である自分が、年下の、体格でも勝っているリオンにいいように弄ばれているのをみとめたくないという、小さなプライドを守るためのポーズにすぎない。

(……不様だな)

 リオンは腹の底で嗤う。
 スタンの矜持を、声に出さずして嗤う。
(哀れなやつだ。いいかげん認めてしまえばいいのに)
 出会った当初から、スタンがリオンに勝てたことなどいちどもない。
 武力も、理力も、リオンが上回っていると、旅の始まりからいまこの瞬間でさえ思い知っているはず。
 なのに、スタンはこうしてムダな努力をやめようとしない。
 悪いのは頭か、あきらめか。

(……両方、だな)

 ならば、その悪い頭でも分かるよう、思い知らせてやろう。
 リオンは腹の底で含み笑うと、それまで腰をささえていた手で、スタンの後頭部をわしづかんだ。

「ぅう、ンッ!」

 スタンは急に深くなったキスに驚きの声をあげたが、外にはでない。
 のどから飛びでる前に、リオンがすべて吸い取ってゆくからだ。
 呼吸さえ奪わんとする荒々しさで、唾液もろとも言葉を呑みこむ。
「んっぐぅ、ん、く、んン――――!!??」
 阻むつもりか、スタンの手がリオンの両肩を強くつかむ。

「っぐ!」

 布越しにたてられる爪の痛みに、眉根をしかめるも、しかしリオンにやめてやるつもりはもうとうない。
 唇をはすかいにあわせ、さらに隙間ないほど密着させる。
 仕置きのつもりでつかんだ後頭部の髪を強くひけば、口の中でくぐもる悲鳴。
 触れあった頬が熱く濡れる。
 薄目を開いた先に、伏せたまつげの奥からにじむ青がみえる。
 ふだんは快活な光を宿す空色の瞳が、涙で色を濃くする。
 ふるえるまつげにせき止めきれなくなった涙が、もうひとしずく。
 こぼれ落ちるさまに、リオンはまた一つ、おのれの理性が崩れてゆくのを感じた。

「ンく……」

 唇のあわいから、淫猥な水音とともに唾液がこぼれる。
 口内でかき混ぜられ、もうどちらのものかわからない。
 こぼさぬよう飲んでいるつもりだが、しかしやはり漏れはでる。
 唇の隙間からこぼれる二人分のしずくが顎を伝い落ち、襟元を濡らす。
(ああ、もったいない……)
 リオンは思う。
 できるなら、あごを滴りおちる分もすべて舐めて拭いたい。
 地面に吸わせてしまうには、あまりに惜しい。
 欲望におぼれてとろけた頭のはしでそう思う。
 一滴だってムダにしたくない。
 すべて舐めて、すすって、飲んで、飲み干してやりたい。
(だって……こんなに……)

 甘い。

 スタンの甘さは、はじめて口にしたときから、リオンを強く魅了する。
 リオンの好みを知り尽くし、そしてそれを満たすためにつくられたとしか思えない、リオンだけの甘露。
 スタンの唇を犯すごとに思う。
 ほんとうに侵されているのは、自分のほうだ、と。
 それこそ、裏路地とはいえ、こんな屋外。
 耳を澄まさずとも生活の音がそこかしこから漏れ聞こえる場所で求めるほど、リオンの理性は蚕食されつつある。

 ……以前の自分はこうではなかった。

 王の信頼を得るにふさわしい、心の強い人間だった。
 だが、いまはどうだ。
 スタンを前にすれば理性は火にあぶられた飴細工もおなじ。形も残さず溶けてゆく。
 歯止めがきかない。衝動が抑えきれない。
 ――――リオンは、スタンの"甘さ"に文字通り溺れていた。






 ――――リオンがスタンを求めるようになったのは、ごく最近のことだ。
 いまでもはっきりと、覚えている。






 神の眼を追い求める旅の最中、立ちよった山村。
 旅人の訪れもめったにないらしい小さな村だが、さいわいなことに宿は存在した。
 一見して関係も目的もよくわからない集団に宿の主人が向ける目は懐疑的だったが、宿泊料に色をつけて手渡したとたん、態度は一変。
 夜も遅いため、ろくなもてなしもできないが……と恐縮しきりの主人だったが、リオンたちとて、はなから王立御用達ばりの歓待は期待していない。
 そもそも、建物じたい、外観、内装、ともに民家に毛が生えた程度のものだ。
 むしろ、男女で別けられるだけの部屋数があったのが幸運、というのが一行のうそいつわりない評価。
 ルーティなどはあからさまに安堵のジェスチャーを披露した後、さっさといちばん上等の部屋に引っこんでしまった。
 いつもならばルーティの勝手をたしなめる側にいるフィリアだが、今日ばかりは引きずられるまま部屋へと消えたあたり、よほど、綿の詰まったふとんが恋しかったとみえる。
 ずっと神殿暮らしで潔癖症の気がある彼女にとって、ここ数日の野営はとくに堪えたのだろう。
 なしくずしにリオンとスタンは、ふたりより一段狭い部屋をあてがわれた。


 二人の部屋は、広さをのぞけばルーティたちの部屋とおなじ間取りだった。
 ドアを開けば真正面に、今日超えてきたばかりの山脈を望む窓。
 その窓に枕を向ける形で、左右の壁にシングルサイズのベッドがひとつずつ。
 昼間にシーツを干したばかりとのことでシラミの心配もなく、同行者スタンの存在に目をつぶれば今日は久々にゆっくりとできそうだ。
 当初、リオンはそう思った。
 しかし部屋に荷を解いたものの、なぜか落ちつかない。
 山から直接ひいているという宿ご自慢の温泉で疲れを洗い流しても、上等とはいえないが清潔なベッドに寝転んでも、眠気はいっさいやってこない。
 神経が高ぶって、目が冴える。


 ――――思い当たる原因は様々にあった。


 ようとして行方がわからない神の眼とグレバム。
 遅々として進まぬ任務。
 あげく、今回の旅にはやっかいな同行者おにもつまで抱えている。
 なにひとつ、思うように進まない苛立ちばかりが積みかさなって、リオンの心をいらだたせる。

(そうだ、こんなにもイライラするのはヤツらの――――ヤツのせいだ……)

 リオンは自分とは反対側のベッドを打ち見る。
 他の同行者よりも格段にリオンを苛立たせる率の高い荷物の主は、まだ風呂からあがってこない。
 いつもは烏の行水のくせに、今日はずいぶんと長湯だ。
 宿の温泉は名物の名に相応しい、熱すぎず、かといって温くもないほどよい加減だった。
 リオンでさえ、湯船のなかで眠気を誘われたのだ。
 スタンならいまごろ、本格的に寝入っているかもしれない。

(……いっそ、そのまま沈んでしまえ)
 リオンはいらだつ気持ちをはきだすように、舌打ちをひとつ。
 ごろりと壁側に寝返りをうった。


「――――あれ? リオン?」



 同時に、いまいちばん聞きたくない声が、足元の方角。ドアから。
「よかった。まだ起きてたんだ」
 なにがうれしいのか。
 リオンを目にとめたとたん、スタンの声が弾む。
 暗闇に沈んだ廊下を背にしたスタンの、湯上がりで水気を含んだ金の髪が、室内の乏しい灯りを受けて、あえかに光る。
 パジャマの襟元から覗く健康的な色の肌が、いつもより赤みを増しているようにみえて、リオンは内面の苛立ちが高まるのを感じた。
 自然、口にする言葉がトゲをふくむ。

「とっととドアを閉めろ。せっかく暖めた部屋が冷えるじゃないか」
「あはは、わるい、わるい。
 あ、でもこの部屋、暖炉きかせすぎだし、ちょうどいいじゃないか」
「風呂上がりのオマエはそうでも、僕はそうじゃない。
 なんでも自分を基準に考えるな。身勝手な」
 へらへらと癇に障る間抜け面で笑うスタンにまた舌打ちしつつ、リオンは足元の掛けぶとんに手を掛けた。
 こんなバカを相手にしていては、夜が明ける。

「さっさと寝ろ。
 任務が遅れているぶん、明日ははやく宿を出て、グレバムを追う」
「あ、ちょっとまて、リオン」
「うるさい。寝ろ」
「ちょっとだけ。ちょっとだけ!」
「それとも、いつものように”寝かしつけ”られ「あ、アイス一個食う時間くらいあるだろ!?」
「……アイス?」
 切羽詰まった声ととんきょうな内容に、ティアラの起動スイッチから手を離しふとんから顔を出せば、のぞきこむスタンの困り顔が大写し。
 驚いて身をひけば、突きつけられた紙袋から、ひんやりとただよう冷気と、スタン自身から発せられる温気おんきが交ざりあって頬をなでる。

「風呂から上がったら、宿の人に渡されたんだ。
 ルーティたちにも渡したんだってさ。
 ノイシュタッドの店で修行した人が作った、この村の牧場の名物なんだって。
 リオン、甘いもの好きだろ?」
「……好きかどうかはともかく、処理に困るものをもらってくるな。
 僕が眠っていたら、叩き起こしてでも食わせるつもりだったのか?」
「いいや。
 リオンが寝てたら、アイスは明日に持ち越そうと思ってた。
 《もうふぶき》をつけたディムロスといっしょに、金庫にでもしまっておけば溶けないだろ?」

 あっけらかん顔の提案をディムロスが聞けば、
 『我を保冷容器あつかいするな!』
 と、さぞや憤慨したことだろう。
 しかし、幸いなことに、ディムロスは現在シャルティエとともに、部屋のすみに設置された金庫のなかに納められている。
 よって、スタンの発言はただリオンだけが聞いている。

 ――――ついこのあいだ、ルーティにまたしても金持ち相手に売り払われかけた(ルーティ弁明するに、"売った"ではなく、"レンタル"らしいが)のがよほど身に堪えたらしい。
 いつもならば物扱いするなと怒っただろうに、今回はみずから金庫行きを望んだあたり、ディムロスが負った心の傷の深さがうかがいしれる。
 おなじくルーティの魔手にかかったシャルティエもおとなしく、夜半は金庫で過ごすことを承諾した。
 取り返した後、アトワイトが厳重にお説教してくれたので、今後、こんなことはないと思いたいが……いかんせん相手は"あの"ルーティ・カトレット。
 もう一週間ぐらいは、用心の日々が続きそうである。


「……しょうがないやつだな」
 リオンが、上掛けを足元に追いやって座り直すと、スタンはあからさまにほっとした様子をみせた。
 まだ近い顔が、笑みに崩れる。
 とたん、ふわりと鼻先に薫るものがある。リオンはどくりと脈打つ首筋を我知らず押さえた。
「よかったー!
 あ、アイスは二種類あるんだ。
 リオンはどっちにす……リオン?」
 はしゃいだようすで紙袋を探るスタンの手が止まる。
 スタンの眼がリオンの顔を真正面にとらえる。
「リオン……どうした。
 どっか、苦しいのか?
 俺、宿の人に言って水貰ってこようか?」
 いつもは鈍いくせに、不必要なときにだけスタンは聡くなる。
 いまがそうだ。
 澄みきった初夏の蒼穹を思わせるスタンの眸が不安を見やすくやどして、首を押さえるリオンの手をみる。
 眸がたわむ。青がくもる。
 目にしたリオンの喉の渇きが、よりいっそう激しさを増す。
 香りが強くなる。

 ――――耐えきれなくなった。

「オイ」
 リオンはほとんど突きのいきおいで、首元を押さえていた手をスタンの眼前に差しだす。
「とっととアイスをよこせ。
 溶けるだろうが」
 ことさら不機嫌に低めた声に返ってきたのは、ふにゃりととろけるようなスタンの笑顔だった。

あとがき

ぷんぷんリオン。
カルシウム以外にもなんか足りない模様。

≫前/戻る/