■場面/四■
「ほら、しゃんとする!」 「お手数かけますー」 キリリとハリのある声と共に腰を叩かれ、は情けない心持で返事を返した。 不良少女の肩に何とかしっかりと手をかける。 特別筋肉質と言うわけでもないのに、少女は苦にもしない様子でを支えた。 不可解現象を目撃した後、は腰が抜けているにもかかわらず、怪我人を介抱すると駄々をこねた。 最初は渋っていた少女だったが、の必死の説得に、何とか腰を上げてくれた。 意外に親切かもしれない。 (――――怖い事に変わりは無いけど) 感覚のない足を引きずりながら、落とされないようは手に力を込めた。 「――――ッ!」 現場に到着したとたん、は喉の奥で声にならない悲鳴を上げた。 床に、点々と黒い跡が残っている。 その先には、一人の男性が壁にもたれかかっている。 意識がないのか、ピクリとも動かない。 始めて見る事件現場に、は軽いパニックを起こした。 「ち、血が出てます!」 「そりゃ、撃たれたもの」 上ずった声を上げれば、少女は冷たい反応を返す。 「どうしましょうか、不良さん!!」 「――――あんたの中で妙な呼び名が定着してるみたいだから今のうちに修正しておく。アタシの名前は。分った?、よ!」 念を押す少女――の剣幕に気圧され、先ほどの般若のような顔を思い出す。 は振り千切れんばかりに頷いた。 「お、憶えました!貴女の名前はさん!私の名前は!」 勢いで名乗ると、の顔から不穏さが消えた。 「ふぅん。アンタ、っての。んじゃ、アタシ今からアンタの事って呼ぶから、アタシの事はって呼んでね」 「は、はい!……さん」 「ん。いー子、いー子」 まるで子供にするかのように、頭をふわふわ撫でられる。 (け、結構いい人かも……) 「お前ら、なに和んでる!?」 「あァン?」 懲りずに銃口を向けた強盗に対し、が鬼の一睨みをくれてやれば、強盗は瞬間移動で壁に張り付いた。 (……やっぱり怖い人?) ――――もうどっちがどっちだか分らない。 はふっと視線を横に向けた。 と。 「わ、はわー!?さーん!」 「どしたのよ!」 悲鳴を上げると、が慌てたように振り向く。 「こんな所にも重傷者がー!」 「何ィッ!?」 少し奥まった場所に、人が倒れている。 上品そうな白髪頭の初老の男性は、顔中に痣が出来、人相が悪くなってしまっていた。 「だ、大丈夫でしょうか……?」 跪いて脈を確かめるに、おずおずと話しかければ、安堵の溜息と共に、 「大丈夫、気絶してるだけ。ここはアタシに任せて、あんたはさっきの人ン所行って」 「は、はい!」 は急いで撃たれた男性の元へ向った。 男性は相変わらず動かない。 は恐る恐るのまねをして、男性の手を取った。 暖かい。脈も感じる。 (――――よかったぁ……) 心底安堵の息を吐いて、はハンカチを手にした。 それを傷口に当てようとする。 が。 「あっ……」 ハンカチが手から滑り落ちた。 (何で) 落ちたハンカチを拾おうとするが、上手くつかめない。 (何。な、ん。何で……) 手が――――わなわなと震えていた。 (――――怖い!) 男性の姿に、自分自身の姿が重なる。 やっと分った。やっと思い知った。 コレは夢でも映画でもない。 現実だ。 曖昧でぼやけていた死の輪郭が、突然鮮明になった。 ジーンと頭の奥が痺れ、恐ろしさに身がすくむ。 死ぬ。死んだらどうなる。 もう動けない。笑う事、泣く事、起こる事、歩く事、走る事、生きる事。 何も出来ない。何も出来なくなってしまう。 ――――大事な人の傍にいる事も出来なくなってしまう。 (嫌だ……) 怖い。怖い。 (……死ぬのは怖い!) 「寝てろ」 突然低い声が聞こえて、はとっさにそちらを向く。 ちょうどの手が、初老男性の首根から手を放した瞬間だった。 「アー!?」 様々な絶叫の中、その犯人はいかにも『怒ってます』と言った顔でこちらに向ってくる。 「……怪我人に鞭打ってどうしますか」 「一人だけ逃げようなんて馬鹿、寝てろ!むしろ永眠推奨!!」 何があったか知らないが、考えに没頭している間に何か彼女の怒りに触れたらしい。 荒々しく隣に腰掛けられ、は気取られないように僅かに距離をとった。 「んで、アンタは何手間取ってんのよ」 「いやぁ、何だか上手く結べなくて……」 笑顔で誤魔化して、再度ハンカチを当てる。 しかし。 「手が……言う事利いてくれないんです」 体は震えたままだった。 「おかしい、ですよね」 喉から声を絞り出す。 「怖いんです」 手の中でハンカチが潰れた。 「撃たれて始めて、怖いって思った。心臓がバクバクいって、頭の中真っ白になって……。死にたくないって思った」 恐ろしくて、怖くて、逃げ出したくて。 ――――なのにどうして涙が出ない。 こんなに震えているのに、どうして泣けない。 どうして、それでも手は手当てをしようと動いているのだろう。 「アンタ……さぁ」 「はい」 「帰ったら、何したい?」 「はっ?」 突然の質問に、は瞠目した。 「どういう意味です?」 「コレ終わって、無事に家に帰ったら、先ず何する」 「……」 考えてなかった。 死ぬのが怖い。 そんな事ばかり考えていて、その先なんて考えてなかった。 帰ったら。 (ご飯の用意、かな) 食卓でひもじい顔をしている家族が眼に浮かぶ。 非日常な状況で、の一言が日常を思い出させた。 (ご飯の用意もして、お風呂の用意もして、宿題して……) でもそれよりも。 それより、やりたい事が見つかった。 家に帰ったら、先ず真っ先に、 「ごめんなさいって言います」 と眼が合う。 「帰ったら、お父さんやくーちゃんに"心配かけてごめんなさい"って言います」 「その人たち、アンタの大事な人?」 問う声に、は笑顔で答えた。 「はい。凄く大事な人です!」 帰んなきゃ。 あんなに大事で大好きな人達を残して、死ぬなんて出来ない。 帰らなきゃ。家に、帰らなきゃ。 そしてこの人達も帰るべきだ。 自分の家に。自分の日常に。 は決意と共に、きつくハンカチを縛り終え、気づく。 「ところでさん。どうして強盗はこの人を撃ったりしたんでしょうねぇ?」 「何言ってんの。理由なんてそんなん――――」 の発言を遮り、突然外からスピーカーの音が怒鳴り込んできた。 「君たちは完全に包囲されている!大人しく人質を解放して出て来たまえ!!」 刑事ドラマでよく聞くような科白を、まさか生で聞く羽目になるなんて思わなかった。 「――――コイツが警察への通報ボタンを押すのを見ちゃったからでしょ」 ――――の答えは、残念ながら左から右へとすり抜けていった。 |