■場面/三■

――――世界が横倒しになった。
なぜ、植物の葉が天井にあるのか。
なぜ、銀行のカウンターが地面に直立しているのか。
なぜ、ぬいぐるみの虎が重力に反して浮かびながら横になっているのか。
なぜ、虎の持っている銃から煙が横に流れているのか。
何も分らなかった。
しかしぽたり、と冷たいものが頬にあたって我に帰る。
あ、そうだ。
固まっていた脳が、ようやく機能を再開しはじめた。
ここは銀行。
虎は強盗。
……自分は撃たれた。
なのにどうして痛くないんだろう。
ひょっとしたら、すでに自分は幽霊で、だから痛みがないのかもしれない。
(すごい。幽霊って、匂いも感じるんだ)
「無茶やんないでよね」
「は……あっ?」
上から声が降ってきて、錆びついた首を無理やり仰向かせる。
そこには、笑っているような、怒っているような難しい顔をしたさっきの不良少女がいた。
額には、脂汗のようなものが滲んでいる。
(ひょっとして……)
ずっとソファーだと思っていたのは、彼女の膝の上。
(えっ……どういう事?)
「テ、テメェ!」
「……うるっさいなぁ」
上ずった声が虎のほうから聞こえ、不良少女はその声の方を向いた。
下から見上げた顔の、なんと不機嫌そうな事か。
は、その表情の原因を調べようと、少女と同じ方角を向く。
(ぎゃあぁッ!?)
そこには、先ほど自分を撃った黒い筒がこちらへ一斉に向いていた。
その数、ざっと四つ。
いくら混乱から解けた直後の鈍い頭だって、この状況がマズイ事ぐらい分かる。
(どうしよう!どうしよう!どうしよう!?)
は頭の中で大いに慌てた。
しかし体はイメージとついてゆかず、じっと静かに寝そべったままだ。
(どうしようー!?)
「あのねぇ。アンタ達、今の状況分かってんの?」
(イデッ)
声と共に、の頭は膝からソファーへと移動した。
少女が勢いよく立ち上がったのだ。
背を向けられているため、表情は伺えないものの、雰囲気が十分、今の彼女の顔色を表している。
はゴクリ、と喉を鳴らした。瞬間。
今この子に当たって、死んだらどーする気だったのよ!強盗の上に殺人なんて、自分で自分の首絞めてるだけじゃない。いい。強盗だけだったらまだいいわよ。大人しく捕まりゃあ、死刑までいかない。でも拳銃なんて使ったら、音で気づかれるは、弾痕残るは、硝煙残るはで証拠残しまくりじゃない!挙句に人殺しだぁ!?ふっざけんな!曲がりなりにも計画立ててたんだとしたらもっとよく考えな、この単細胞!外見だけじゃなくって頭ン中までドーブツな訳!?
この小柄な体のどこにそんな肺活量があるのだろう。
窓ガラスさえもびり付かせるような怒声に、は一瞬目を瞑ろうとした。
が、目蓋はまるで固定されたかのように下りない。
風が。風が少女を取り巻いていた。
ありえない光景である。
引力に惹かれるかのように、形無き風が少女の体を、まるで鎧のように取り巻いている。
少女の髪が、心境を表すかのように逆立った。
その顔を真正面から直視したであろうぬいぐるみ達が、気圧されたように一歩。後退る。
は殺されかけたにも関わらず、犯人たちに心の底から同情した。
なぜなら、今の彼女はたとえるならば――――怒りに荒れ狂う風神。
嵐や台風に人力で立ち向かおうなど土台無理な話だ。
「わ、分った!!」
ピンクのウサギが悲鳴を上げた。
少女の纏っていた風が、僅かずつ崩れてゆく。
「ケガの手当てだろうがなんだろうが、勝手にやれ!!」
「はっ?」
少女が頓狂な声を上げた瞬間、嵐は完全に過ぎ去った。
(助かった……)
は、ほぅっと長く息を吐いた。
「ちょっと、アンタ」
「あい!な、何でしょうか!?」
突然声をかけられ、は間の抜けた返事を返す。
少女は、わずかに眉を顰めたが、すぐにカウンターの方へ顎をしゃくると、
「お許しがでたわよ。とっとと行って、治療してきたら」
「あ、はい。う……あ、あれ?」
「……何やってんのよ」
少女が怪訝な声を出すのも無理はない。
さっきから起き上がろうとしても、手が動くだけで腰から下はさっぱり動かない。
胴体も多少、揺れるだけだ。
(な、何で!?)
「か、体が動きません〜」
――――半分泣きながら自己申告すると、少女は呆れたように長い溜息を吐いた。