かわらないもの
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離れていたこの六年間、ただの一度も会いたいなどと思わなかった。 そう言えば嘘になる。 いや、一度なんてものではない。 何度も何度も繰り返し、会いたいと思った。帰りたいと願った。戻りたいと泣きたかった。 しかし、自分が帰ると言うことは取りも直さず母を一人にすると言うことだ。 の母は家事能力が欠落している。――――というか、壊滅的に絶無である。 はっきり言って一人で生活させたが最後、その翌日には病院のベッドの上で再会と相成る事だろう。 二人も大事だが、母も大事だ。 ――――逡巡の末、は母をとった。 手塚と跡部の二人ならば、自分がいないからと言ってどうこうなるまいと思ったからだ。 ずっと連絡を取らずにいたのは、万が一手紙の一文字、声の一つでも聞けば、きっと会いたくなってしまうから。 そうなれば、自分は見捨てられぬはずの母を見捨て、二人の元へ帰っていたことだろう。 二人への執着心は、自身が思っていたよりもずっとずっと強いものだった。 殺しても殺しても疼く郷愁を押し殺し、そうして二人の存在を絶って一年。 今度は不安から、二人に連絡を取れないでいた。 果たして二人は、自分のことを覚えていてくれているのだろうか、と。 そんな黒い不安が腹の底にわだかまる。 人間の記憶というものは思っている以上に脆く、不確かなものだ。 は二人と別れてから嫌という程それを思い知らされた。 完全に連絡を絶ってから一年も経っている。元々は、自分が目立つようなタイプではないことを知っていた。 いくら母親の腹の中にいる頃からの知り合いとはいえ、これだけの長い間まったく音沙汰なしだったのだ。 子供の一年というものは、大人の一年に比べ遙かに変化に富んでいる。 目まぐるしく移りゆく毎日の中、自分という小さな存在が日常に埋もれ忘れられてもしょうがないと、は遅まきながらに気がついた。 気がついてしまったらもうだめだ。 二人に連絡を取ることが、怖くて怖くてどうしようもなくなってきた。 もしも万が一、二人に手紙を出しても思い出してもらえなかったらどうしよう。 電話をかけて、二人から直接「お前は誰だ」などと言われたらどうしよう。 そんな不安ばかりが風船のようにふくらんで会いたいという気持ちを押しつぶしてゆく。 ぺしゃんこになった二人への思いを抱えてさらに五年。 時間の流れに晒され執着心は薄れたが、無くなったわけではなかった。 いつだって、心のどこかで逢いたいと思っていた。逢うことが出来ないのならば、せめて一目だけでも姿を見ておきたかった。 ――――母の海外転勤の話は、踏ん切りをつけるのにいい話だった。 これまでは国内ばかりだったが、今度の行先が海外なら、今まで以上に気軽に帰ってくることなど出来なくなるだろう。 それに。 「私は、ずっと君たちに合わせる顔なんて無いと思ってたんだ」 六年間もの間、身勝手な理由で音信不通だった自分を、手塚達はきっと許しはしないだろう。 いや、の事なんてとっくに忘れ去っているかも知れない。 何より、いまさら手塚達に会ってどうする。再会したところで、過ぎ去ったこの六年が戻ってくるわけではないのだ。 いまさら再会したところで、いったい何になる――――。 そう自らに問う。 ――――そんなこと、十分分かっているつもりだ。 もう何年も繰り返している自問に、もう一人の自分が答えた。 今更合わせる顔なんて無い。 ならばせめて――――だからこそせめて。 もう一度だけ、幼馴染み達が暮らす、この思い出の地を踏みたかった。 何もこれが今生の別れというわけではないが、母親の転勤先は遠い海の向こう。 しかも任期は不明で、いったいいつ帰ってこれるのか分からない。 もしかしたら十年、いや二十年くらいは向こうにいったっきりかも知れないのだ。 その頃にはもう幼馴染み達も大人になって、この町を離れているかも知れない。 なにより――これがもっともたる理由なのだが――目の前にぶら下がったチャンスに目が眩んで、"次のチャンスを待つ"なんて悠長なこと、出来そうになかった。 幼馴染み達の生きるこの町の空気をしっかり肌で覚えて、ついでに遠くからでも成長した彼らの姿を拝むことが出来れば上々だ ――――そう考えながら、町を一回りして(残念にして喜ばしい事ながら、幼馴染み達に出会うことはなかったが)家に帰ってきたを出迎えたのは、その"遠くから姿を見られれば上々"で、"でも見ることはできなかった"、"合わせる顔がない"はずの幼馴染みの片割れ、跡部だった。 客だという父の言葉に従って居間へ行く途中の廊下で再会した幼馴染み。 六年経っていた。成長していた。姿も変わっていた。 だが分かった。 目の前にいる少年は、自分が会いたくて会いたくてけれど会ってはならない幼馴染みである、と。 突然の事態に体は硬直。思考は氷結。 しかし、目の前の跡部が何か言おうと口を開いた瞬間、凍り付いていた意識の一部が解凍された。 解凍された意識は"会ってはいけない" その意識が脳を巡りだし、次いでに血も再び体を巡りだし――――た、刹那。は悲鳴も上げられず逃げ出した。 思えば、会いたい相手に会えて、会ってはならない相手に出くわして、混乱していたのかも知れない。 は逃げた。あれほどまでに恋しかった幼馴染みから。あれほどまでに会うのを怖れていた幼馴染みから。 逃げて。逃げて。逃げて。 ――――しかし結果はご覧の通り。 逃亡劇は五分と続かず、もう一人の幼馴染みの登場によって幕を閉じた。 もはや諍う気も逃げる気もない。 そんなもの、ここまで説明している内に霧散してしまった。 霧散したのはそれだけではなく、どうやら今まで感じていた不安や焦りも一緒に消えてしまったらしい。 思いを言葉に直し、外に吐き出した事により、心に巣くっていたもやもやと黒いものが晴れてゆく。 変わりに満ち始めたのは、例えるなら背負った重い荷物を無責任に放り投げてしまった時のような、安堵とやけっぱち感。 これなら、手塚達から罵倒なりなんなりが降ってこようともあまり取り乱さずに済みそうだ。 手塚達の反応が返ってくるのを待っている今、信じられないくらいの心は凪いでいる。 いや。凪いでいると言うよりは、多分放心状態に近いのだろう。 死刑執行前の囚人というのも、案外こんな心持ちなのかも知れない。 はそんなことを思いながら、今の自分と同じく無に近い表情の手塚と跡部をまっすぐ見つめ、 「これが、一切の顛末だよ」 そう、短く締めくくった。 |
あとがき
今の主人公の心境を表すなら 無 責 任 一 代 男 (By植○等) お次は跡部のターン。 |