Welcome To Hard Luck!

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 結局が依頼人との待ち合わせ場所にたどり着いたのは、日付も変わろうかという真夜中のことであった。


 ホンキートンクを出た後も、不運に襲われ続けたためか、夏実に借りた服も、はや第二のぼろ雑巾に替わってしまった。
 今のの姿を見たら、十人中八人はお巡りさんを呼びに走り、残り二人は危険な獣と勘違いして猟師を呼びに走ったことだろう
 手にしたバッグ以外無事な所などどこにもない。
 このままいけば本気で「性はぼろ。名は雑巾」に改名する必要がある。
 それほど、の姿はすさまじかった。




 本当なら依頼人に会う前にまず身なりを正すべきなのだが、この辺は人気のないゴーストタウンなので銭湯やらコイン式のシャワーやらはない。
 何より、銭湯に入っている間にまた災難に巻き込まれないとも限らないではないか。
 まんざら杞憂でもない想像をしてしまうほど、今日のは不幸のドツボにハマっていた。
 今は何より依頼を終えるのが先決だ。
「……アタシ、今なら真冬の噴水にでも飛び込めそう」
 己の腕に鼻を近づけたは、こみ上げる吐気に顔をしかめつつ依頼人との待ち合わせ場所、廃ビルへと足を進めた。












「いやぁ。無理なことをお願いしてしまって申し訳ありません」


 倒壊しかかった地下駐車場。明かりと言えば天井の亀裂からわずかに覗く月明かりと依頼人の足下に置かれた懐中電灯だけの中。
 出迎えてくれた依頼人は、まずにこやかにの労をねぎらった。





 品のいい三つ揃え。丁寧になでつけられたオールバックには、白髪など一本も見あたらない。
 背広のボタンがはじけ飛んでしまいそうなほど腹の出た、恰幅のいい紳士だった。
 の悲惨な姿を見てもまったく動じていないあたり、ただ者ではない。
 いくつかの社交辞令を交わしあった後、紳士はが手にしたバッグをひったくるように受け取った。
 そしてその場で、まるで赤ん坊でも扱うみたいに優しくバッグのファスナーを開く。


 そぅっと人形を目の高さまで持ち上げた途端、紳士は歓喜のうめきをあげた。


 鼻息が荒く、弛んだ頬が紅潮している。
 懐中電灯の頼りない灯りの中照らし出された男性の瞳は、どこか病的な色に輝いていた。
「おぉ、おぉ……。確かに。確かにこれだ……ッ!」
 震える手が高々と人形を掲げる。うめきの止んだ唇から、代りに低い笑い声が零れだした。
 人形を舐めんばかりに見つめる中年男性の姿に、はうわぁと頬をひくつかせた。
 あんまり気色のいい光景ではない。
 と、いうかむしろ気持ち悪い。これまで歩んできた人生における「気持ちの悪い光景」上位五以内に入る姿だった。
 正直長々と見てたくない。
 おもわず、こんな変なオッサンに渡すくらいなら……とはじめに封印した人形への執着心が甦りそうになる。
 はとっとと依頼料をもらってとっととこの依頼人から離れようと、いまだ人形に夢中な依頼人に向かって口を開こうとしたその時――――。





 いつの間にか紳士が手にしていた大降りのナイフが、亀裂から差し込む月あかりにきらりと光った。







 ――――突然の出来事に悲鳴も出なかった。




 男が、今まで頬ずりせんばかりに愛でていた人形の背を持っていたナイフで一気に切り裂いたのだ。
「あった……あぁ、これだ!」
 破れた人形の背に手を突っ込んだ男は、次の瞬間歓声を上げながら手にした大きな宝石を掲げた。


 それはの手のひらほどもある、黒い宝石だった。
 鑑定眼のないには、それが水晶なのか。はたまたダイヤなのかすら分からない。
 だが、有るか無しかの月明かりを浴びて凶器のごとくぎらりと光る石を目にした瞬間、何か背に禍々しいものを感じた。


 目に見えない獣の舌でざらりと背筋をなめ回されるような、そんな得体の知れない気味悪さ。
 が言いしれぬ恐怖に足をすくませている間も、男は宝石を眼前に翳し、うっとりとそれに魅入っている。
 男が手にした人形を地に投げ捨てた。
 は一瞬息を呑む。





「さすがは世に名だたるブラックダイアモンド……。どうです、この美しさ」
 男は視線を宝石に固定したまま、興奮しきった声で語り始めた。
「この石はね、加工済みのダイアとしては他に類を見ない大きさを誇るのです。それだけではありません。この石には伝説があるのです……」
 男はいったん口を閉じると、もったいつけるように声を低めさらに続けた。


「"この石は手にしたものの血を吸いさらに黒く輝く"……。所有者を不幸へと陥れる呪われたダイア。故に付けられた名は"ダーク・ブラッド"……。ははは、まるで映画に出てくるような洒落た名前だと思いませんか」
 熱に浮かされたかのような声で男は矢継ぎ早に語る。
 言葉の合間合間で何度も唾を飲み込むためか不自然な間が開き、うわずった声と相まって聞き取りづらい。
 だが、そうでなくともは男の声を聴いていなかった。
 見開かれた赤い目が、射貫くように見つめる。その先には――――。






「あぁ、そう言えば報酬に関してまだ何も申し上げておりませんでしたね」






 やっと興奮から冷めた男は、声を震わせ指を鳴らす。
 その音に導かれるように柱の影から屈強な男達がぞろぞろとわいて出た。
 いずれもスキンヘッドに妙なゴーグルを付け、迷彩服を着込んでいる。
 それぞれ手に物騒な獲物を携え、にやにやとに向けた顔を笑みにゆがめていた。
「申し訳ないですねぇ、"運び屋"さん」
 依頼人は手にした宝石を大事そうに箱へと収めると、が人形を運ぶのに使っていたバッグにしまい込んだ。
 そして、固まったまま動かないに向かって丁寧に腰を折る。
「私は臆病者でしてね。あまりこの石を所有していることを人に知られたくないのですよ。それにもしかしたら、あなたは警察の関係者かもしれませんし……」
 張り付いたような笑みのまま、男は言う。




「申し訳ありませんが、報酬は"あの世までの片道切符代"と言うことで一つ……」




 後は頼みましたよ、卍さん。
 男達に声をかけると、笑顔のまま、依頼人はきびすを返した。
 薄暗い地下の天井に去ってゆく依頼人の靴音が響き、消えてゆく。


 靴音が完全に消えてから、男達は微動だにしないを取り囲み獲物を構えた。
 口々に、聞くに堪えない邪揄猥語をにぶつけてくる。
 しかし、はどれほどひどい言葉を投げつけられようとも、泣き言も懇願も怒りも口にしなかった。
 男達の言葉は、風のようにの耳から耳へと通り過ぎまったく残らない。
 ただ一つ。残るものがあるとするならば、それは視線の先。
 先ほどからずっとが見つめているもの。それは灰色の冷たいコンクリートにうち捨てられた、哀れな……。








 やがてをからかうにも飽きたか。
 男達は武器を手に包囲を縮めてゆく。
 徐々に狭まってゆく殺意の輪にも、は動かない。
 ただ一点を見つめたまま動かない。


 コンクリートの上を見つめたまま。


 背を切り開かれ、うち捨てられた人形を見つめたまま。


 愛らしい。かわいそうな。綺麗な。哀れな。人形を、見つめたまま。


 じっと、

 人形を、

 見つめた、

 まま――――。








「――――アアアアァァァァァッ!!」








 男達が飛びかかるのと同時に、の咆吼と≪風≫が男達に襲いかかった――――。

あとがき

まさかの卍一族登場。
どうせならあの特徴的な笑い声も書きたかった。
そして、主人公ブチ切れる。

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