14. 逃げられる
「ダメッ!」
振り上げた山崎の刀の前にいきなり人が飛び出してきた。
「…っ、えっ!?」
痛みを感じるくらい筋肉に急ブレーキをかけて目の前のその人を見ると、命の危機に曝されたにもかかわらず気丈にもこちらを睨みつけたまま、立ちはだかる小柄な女性。
突然の事で、何が起きたのか把握できぬまま美しい黒髪がさらりと肩を伝うのを唖然と目で追う。
「なんで、こんな酷い事を…」
「…え?」
今日の捕り物はここ最近でもないくらいの大掛かりなもので、そいつが江戸に入ったという情報をつかんでから最短の半日でここまで追い込んだのも、奇跡としか言いようがなかった。
副長と沖田隊長が左右両方から攻めて、袋小路に逃げ込んだ獲物を一般人に成り済ました自分が足止めする。もちろん事前に前者の二人が何処まで獲物にヒットを与えられるかにかかっていたし、山崎一人ではどう頑張ってもこの狂った獣に勝てるなんて思えない。いくら弱っていても、簡単に首を取る事は出来ないだろう。
殺せないまでも、局長の本隊が追いつくまで持ちこたえれば良かったはずだったのに。
「怪我人になんて事するんですかっ!!」
その、悲痛な声と細い身体で必死にそいつをかばう姿を見て、やっと勘違いされている事に気づいた。
つまりは、怪我を負ったその男にとどめを刺そうとしている…俺ってば悪人役にされてるッ!?
「ちちちち違うんですぅッ!!!」
ずさささささささあっと後ずさるオレ退。
上手く説明できずぱくぱくと口を開閉する山崎を不思議に思ったのか女性が警戒をほんの少し解いた。
とにかく信じてもらえないまでも、其処から離れてもらうのが最優先だった。
しかし。
「ったく。よけいなことを…」
ぞくりと背筋を這うように流れる嫌な気配。
冷たく、感情すら持ち合わせていないような、その獣には考えられない優しい声だった。
だが、その音色すら山崎にとっては恐怖を煽るものでしかない。
「きゃあッ」
はっと気づいたときには遅く男の腕が女性に絡み付いた。
柄の無い刀を持った右手は細い腰に回り、怪我をしている左手は驚きで固まっているであろうその人の頬を撫でる。
獲物を捕らえた獣の唇が笑みの形につり上がる。
ぞくりと背筋を走るのは絶望。殺気すら出さず、この男は人を殺すのだろうか?そして、目の前でそれを見る事になるかもしれないという事実が更に恐怖を増す。
彼女が危ない。と、一歩下がった時だった。
けたたましい音を立てて複数の足音がこちらに近づいて来る。
考えるまでもなく味方の援軍だ。
しかし、今あの…言うなればアレも一種の獣だ。
あの人たちに踏み込まれたら、それこそ女性が危ない。
「ッだ、ダメですっ!!来ないでくださいっ!!!」
山崎の視線が二人から逸れたその一瞬。
ボフン。
突如二人と一人の間にあがる煙にあたりが包まれた。
「ゲホッ」
「ケホッ」
後に残されたのは訳が分からない男と辺りをしきりに見回す女の二人きり。
「え…?」
「…」
「ええ?」
「あ、あの?」
「えええええっ!?」
「…まったく。いつもながら、手のかかる父娘でござるな」
それを、建物の上から見つめる男が一人いたのにも気づかずに。
2006.10.10 ECLIPSE