台風一過の青い空。
閉じた瞼でそれは見る事が出来ないけれど、差し込んで来る朝の煌きが少しづつ意識を持ち上げる。

目を開ければ、自分を包むような朝の清々しい空気に混じって、温かい匂いがした。







夏の雷、秋の稲妻 第八話







その匂いはのつま先の方からやってくる。
空気達の出入り口は寝室の開けられたドア。
閉め切られていた部屋の空気は暖かく、通り道を得て流れ込んで来た風は、少しの冷たさと懐かしい匂いを運んで来たのだった。

すぐに目に入ったつま先は見慣れた人のもの。
いつもそこは隠さないから。
つま先に目を留めて、視線を少しつづ持ち上げれば、窓辺に立つカカシが「おはよう」と目を細めて笑った。

「おはよう……ございます………」

昨夜の事が思い出されて、申し訳なく、そして照れくさく。
寝てしまった自分をベットに運んでくれたのは、此処にいるカカシしか居ないわけで。
は自分の身体を起こしながら、途切れ途切れに挨拶を返した。

「今、七時過ぎだけど、仕事は何時から?」

忍服の紺色だけを身に付けたカカシはの居るベットに近づき、その縁に腰を掛けながら言った。

「今日は十時半に行けば大丈夫……」
「じゃ、一緒に朝食食べれるね。お腹空いたでしょ?」
「なんだか…とっても空いてマス」

はお腹に手をやって照れくさそうに笑う。
目覚めてすぐなのに、この空腹感。
懐かしい匂いは味噌汁の香りで。
まるでこの匂いに誘われて起きたように、お腹の空いている自分が居た。

「元気な証拠だ〜ね」

カカシは嬉しそうに微笑んで、の頬にキスを一つ。

「昨夜は醜態晒してないですよね?」と、カカシのキスを嬉しそうに受けたは小首を傾げて言う。

「醜態ってな〜に?」

体勢を整えたカカシはと同じく首を傾げて笑った。

「あの〜迫ったりとか、色々と……」
「めーいっぱい、迫られたねぇ。嬉しい位に」
「本当?」
「昨日の事、覚えてない?オレん家に来たのは覚えてる?」
「そこまで酒乱じゃないですよー。ちゃんと覚えてます」
「そ〜お?じゃあ言ってみてよ」

カカシがからかい半分に言うと、は昨夜の記憶を手繰り寄せた。

「昨日は仕事が終わってから、買い物をしてカカシさんの家に来て。そうしたらすぐにカカシさんが帰ってて」
「うん、うん。」
「今夜は台風が来るから飲もうって事になって……」
「そうそう」
「カカシさんの作るおつまみが美味しくて、飲み過ぎて……それで………」
「それで?」
「えっと、あの……キスを…しました」
「正解〜〜」
「……………やっぱり……」

力の抜けたは項垂れるけれど、カカシの言葉で勢い良く顔を上げた。

「嬉しかったよ〜。濃厚なキスのプレゼント。毎日してくれてもいいのに」
「カカシさん!!」
「冗談じゃなく、本気で言ってるんだけどねぇ。なんなら今すぐにでも」

カラリと笑うカカシの腕をが叩けば、大袈裟に痛がって。
それに心配したに、再び見せたカカシの笑顔は悪戯な。
治療だとの唇をまた奪って、カカシは音も無く立ち上がった。

「朝ごはん、もうすぐ出来るよ。顔洗っておいで」

そう言い残しカカシは寝室から出て行く。
閉められたドアは空気を遮って、流れを止めた。

「ごめんなさーい!すぐに手伝います!!」

そう叫ぶの耳に「今日はいいよ。今度は作ってね」と明るい返事が返って来た。

少し腫れぼったい感じの瞼と、ほんの少しだけ痛い頭は、きっと二日酔いの所為。
昨夜はあんなに飲んで食べた筈なのに、鼻をくすぐる朝食の香りが空っぽな胃を刺激する。
まさか、キス以上の醜態は晒していないよね?と自分の記憶に問いかけてみても、覚えはなくて。
カカシもそんな素振りは見せなかったし。
いや目の当たりにしたとしてもカカシの事だ、何食わぬ顔で介抱して、何もなかった様に振る舞うだろう。
考えても思い出せないから仕方がない。
きっと朝食の香りで目覚めたなんて久しく無い事だから、嗅覚も体も喜んでいるのだと、納得した。

はベットから抜け出して、窓枠に手を付き空を眺める。
真っ青な空と、元気な太陽は眩しくて。
水を貰ったのだろう、目の前にある植物は土の色を変えて、葉に零れた水滴がキラキラと反射していた。

「いいお天気」

一呼吸しては踵を返す。
自分の衣服を下から見回して。
着のみ着のまま寝てしまった所為で、所々皺になっている。
ブラウスとスカートの裾を引っ張り、は寝室から飛び出した。


キッチンの横を通り、廊下を玄関方向に進めば、バスルームと洗面所。
カカシには“すぐ戻って手伝うから”と声を掛けるだけ掛けて、は廊下を隔てるドアを閉めた。

洗面所で顔を洗おうとすれば気づく、しっぱなしのメイク。
殆ど取れてしまっているけれど、水だけで洗うのは如何かと。
洗わないのは何だし。
ここにはメイク落としなんて品物はない訳で。
でも運良く、都合良く、商店街で配っていた試供品を貰った事を思い出し、はまたカカシの所へ戻って行った。

「どうかした?」
「顔洗うやつ」

は言葉を残してカカシの横を通り過ぎ、リビングのテーブルに置かれた自分のバックを弄った。

「あった」

足音は無く、でも軽やかにカカシへとは近づいて、大きな広告と共に透明なビニール袋に入った試供品を見せた。

「これを取りに。昨日商店街で貰ったんです」

テレビの宣伝で見た事のあるその化粧品はアルファベット三文字。
カカシでもそのブランド名は知っていた。
流石に何をどう使うかは、読んでみないと解らないけれど。

「あ、オレの家には無いもんね、そういうの」

有ったら有ったで問題のある物だと思うが。
色々と。

「そろそろの物を揃えて置こう。何時でも泊まれるようにね」

カカシの言葉に目を丸くするは、次には真っ赤に耳を染めた。
の心拍数と体温の上昇をカカシの肌が感知する。
最近火の点きが早い。
そういう意味を意識している証拠だと、カカシの心は嬉しく騒ぐ。

この火を消さない夜も近いはず。

「オレじゃ何を買っていいか分らないから、今度来る時持っておいで」
「…いいの?」

きっとの事だから、自分の物を置いて邪魔じゃないのかとか、不釣り合いな物を置いていいのかとか、変に気を回しているのだろう。
それが分かるから。
カカシは微笑んで、言葉を一つ。

「恋人の物が家にあるのって、嬉しいでしょ」
「あ……」
は、オレの物が自分の家にあったら邪魔?」

ふるふるとは首を横に振って。

最初は来客用のセットで出していた珈琲も、いつしかお揃いのマグカップ。
デートの時に見つけて買った物がの家にある。
カカシの部屋には自分専用のお茶碗とお箸が置いてあって。
これはカカシが買っておいてくれた物。

「見る度に感じられて嬉しい」
「ね、そう思うでしょ。増えて行くのもまたいい」

カカシはそう言いながら、コンロの中で油を落としながら音をたてる秋刀魚をひっくり返した。
は笑顔で頷いて、カカシから視線を移す。

「すごい豪華な朝ごはん」

ダイニングテーブルの上には既に数種類のおかずが並んでいた。
これに焼いている秋刀魚が付くのだから高級旅館並み、もしくはそれ以上である。

と食べれるなんて贅沢だよね〜」

カカシの答えはの言った意味と少々ずれてはいるが。

「カカシさんってホント料理が上手」
「一人暮らしが長いからね。その内の事も料理して、オレ食べちゃうよ」

またの体に火が走った。
ボンッと発火音が聞こえそうな程、勢い良く染まるの頬。

「か、顔洗ってきます!!」

カカシの言葉を流して、は洗面所に駆け込んだ。
返事はしなかっただけで、耳に心臓に響いてる。
いやじゃない。
そういう事を意識し出して、心構えは出来てきた。
ただは、こういう言葉遊びに慣れていなく、返事が返せなかっただけ。

熱を持った頬に水道水の冷たさが気持良かった。






自分の言葉にすぐ赤くなるを見て、カカシの心が言った一言は。


─── 瞬間湯沸かし器


頭にやかんを乗せたらスグにでも沸騰しそうな、そんな姿が可愛くてたまらない。
着火剤は自分。
それがこれほどに嬉しいとは。

昨夜の事は後悔していない。
記憶をすり替え、催眠をかけていなければ、こんなは見れなかったと思うから。
ただ雨に濡れた衣服を乾かし、寝ているに着せた時には、色々と複雑だったけれど。


秋刀魚が焼き上がる頃にはも戻って来て、二人は声を揃えて「いただきます」と言った後、微笑んだ。





「すいません。何もかも任せっきりで」

玄関先で振り返ったが軽くお辞儀をした。
一旦自宅に戻ってシャワーを浴び、着替える為に、出勤時刻よりもかなり早くカカシの家を出る事にした。
カカシの手料理は美味しくて、食べ終わった後も話に花が咲いて、後片付けもそこそこにカカシの家を出る時刻になってしまったのだ。

「い〜のよ。オレ今日は自宅待機だしね。いつお呼びが掛かるか分からないから送って行けないけど」
「それは全然。昼間ですから、大丈夫です」
「ねェ、
「はい?」
「今度デートしようか。景色の綺麗な所にでも」
「はい!私お弁当作ります」
「じゃ、決定ね」

カカシは軽くの額に口付けて。
も背伸びをしてカカシの頬に口付けた。

「気をつけて」
「はい。行ってきます」

開いたドアの向こう。
青い空に吸い込まれるように、はカカシの部屋を出て行った。


景色の綺麗な場所。
今の時期、頭を垂れ黄金色に揺れる姿を見たら、はなんて言うのだろうかと。
脳の中の、無数にある引出しの中に仕舞ってあった大切な記憶は、懸命に探さないと解らないような、そんな場所には仕舞っていなかったけれど、次々と蓄積されていく記憶に埋もれていたのも事実。
昔はあんなによく思い出していたのに。
それが昨夜僅かに感じたのチャクラで、彼女と繋がり始めた。
懐かしさと愛おしさは、初めて会った時から感じていたけれど。

裏付けは窓の外にいる男が持っている筈。
カカシは鍵を閉めると寝室の窓に近づいた。


2008/04/14 かえで


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