─── っ!!

凍り付いた様に動かないの身体が、稲妻の光で浮かんでは消えた。
いつもはふわりと風に靡き甘く香るの髪は、色を濃くし、細く、それでいて重く圧し掛かるように。
力無く下げられた腕の先には、手の平で握る小さなビニール袋の輪。
薄手のブラウスは水を含んでの肌に纏わりつく。

同様にカカシの身体も雨風に晒され、幾つもの雫を垂らしていた。
濡れた銀糸から零れる雨水が顔を伝い、顎から滴り落ちるけれど、そんな事は気にも留めない。

動く足は守りたい者の元へ。
広げた両手は抱きしめる為に使う事が出来る。
愛する人を全身で守ってあげられるのだから。

!!」

カカシは彼女の名前を呼びながら、五階建てビルの上から一気に飛び下りた。









夏の雷、秋の稲妻 第七話








地面に降り立ったカカシの両足が水を弾き飛ばす。
呼び掛けても答えないの目は虚ろ。
彼女は少し上を見上げて、視線の先は路地の壁にあるような。
でも、壁と自分の空間を見ていた。
それはカカシが割り入っても変わらない。

……」

カカシは小さく呼び、自分の腕で作った円の中でを囲う。
大きかった隙間を徐々に狭めて、を驚かさないようにそっと髪に触れて。

「……家に帰ろう」

そう囁いた。

かさりと音を立てるビニール袋。
焦点の合っていなかったの瞳がピントを合わせていき、カカシの隙間から壁の黒を捕らえる。
積み重ねられたレンガの縁がより濃く黒く浮かぶ中、走り降りた稲妻の光はフラッシュの光の様に辺りを青白く光らせた。
そして壁面に浮かぶ、ある筈の無い赤。

「イ……イヤァッッ!!」

下を向き、咄嗟に抑えた両耳。
握っていた袋が腕を滑り落ち肘で止まると、その反動で揺れた中身がの身体を叩く。

っっ!!」

両肩に感じる手の温もり。
頭の後から降りてくる大好きな人の悲しそうな声と、持っている何か。
それで漸く、は此処に戻って来る。

「……カカシ…さん?」

顔を上げると同時に耳から手を離し、はカカシに飛び込むように首へ手を回した。

「カカシさん!!」

自分の名を呼び身体を重ねて来たに、カカシは安堵の息を小さく落とす。
だけれど我に返った途端、大きく震え出すの身体は、見ていて痛々しい程に。
カカシは雨に濡れ冷たくなったの身体を、力強く抱きしめた。

「遅くなっちゃってごめんね。さ、帰ろう」

震えながら頷くの小さな身体をカカシは少し持ち上げて、自分の首筋に顔を埋めさせる。
ぴたりと合わさる二人の身体はそのままに、宙を浮くの足。
カカシはの太腿に回した左腕だけで彼女を支え、瞬身の印を結ぶと、二人の姿は水溜りに波紋を残して消えていった。









屋外の音が遮断されたカカシの部屋に着いても、の震えは止まらない。
幾ら風呂の準備をする僅かな時間とは云え、一人には出来ないと、カカシはそのまま暗い寝室へ入った。

枕元のカーテンを閉めて、を床へ降ろす。
座らせたのではなく抱き合ったままで、の足が地に着いたというだけだ。

するりとカカシの首から抜けたの腕は、持っていた物を床に落として、自分の顔を覆う為に使われている。
小さな身体がより小さくなって震えて。
カカシの片手はを包む為に使い、もう片方で額宛てと手甲を外し、ベストを脱ぐと床に投げ捨てた。

を包み込んだまま結んだ影分身の印。
本体と通じるそれは無言のまま風呂を沸かし、二枚のバスタオルをカカシに手渡した後、姿を消した。

「ここに居ればもう安心だよ」

ふわりとの頭と肩に被せられたバスタオル。
それでカカシは雫を拭う。

「カカシさんまで……ごめんなさい……」

自分の所為でカカシまでが雨に濡れている。
その事を謝って、は自分の肩に掛けられたバスタオルを震えながらカカシの首に掛けた。

「ん?オレは平気だよ。職業柄、雨に濡れるなんてしょっちゅうだし。それよりも傘持ってなくてごめんね」

カカシは明るくそう言って。
でも落ちる水滴がを濡らすのはイヤだから、そのバスタオルで自分の頭を拭いた。

どうしてあんな所にいたのか。
どうしてしまったのか。
そう問いただす事はせず、拭き終わったカカシはの顔に張り付く髪を掻き分ける。

状況は聞かなくても分かるから。
きっと忘れた物を買いに、は外に出たのだろう。
彼女の帰宅を待たずに降りだした雨は、を濡らし、閃光と轟音は恐怖を与えた。
そこに起きた追体験、フラッシュバック。
言語化出来ない恐怖が彼女を襲ったのだ。
それは無意識に思い出す、消えた筈の記憶。
心の痛みだけが蘇り、更に彼女を苦しめるもの。

精神と肉体を一般のそれより鍛え上げた忍ですら、時折陥る闇。
それが消えた記憶であっても、対峙する記憶であっても、その闇に飲み込まれ苦しんだ者達は少なからず居るし、その悲しい末路も見て来た。

雷に驚き、震える位ならばまだいい。
記憶が無いのなら無理に探るような事も、思い出させる必要もないとそう思った。
でもこうなってしまったからには、その原因を見極める必要があると、カカシは分身をある男の元に走らせている。
それはきっと、彼女の過去に何かがあるから。

分身の見た物、聞いたものがカカシに伝わってくる。
己の駒は役目を終えて姿を煙に巻いたのだ。

『 お任せ下さい 』 と───

暗闇の中を共に走り抜けた男が、柔らかく放った一言を最後にして。




「お風呂入る?」

カカシの問い掛けに、は首を横に振った。
入りたくても入れない、まだそんな状態ではあったけれど敢えて聞いてみた。
幾らなんでも、このままでは不味い。
濡れた衣服は予想以上に体温を奪うから。

「風邪、引いちゃうよ?」

その言葉にも、は唇を噛みしめたままだった。

カカシの言いたい事は分かる。
この部屋に居るのだから、カカシが守ってくれているから、心配無い事も。

雷の音は聞こえてこない。
だけれど、心に植えつけられた恐怖が消えてくれなかった。

「じゃ、落ち着くまでこうしていようか。でも、身体が冷えちゃから……ね」

カカシは自分のアンダーを脱いで、バスタオルと共に床に落とすと、ベットの上にあった綿毛布を掴んだ。
それでの身体を包み、ゆっくりと濡れた衣服を剥ぎながら、自分にも残った忍服を取り去る。
お互いの小さな布はそのままで、素肌を合わし、毛布ごとを抱きしめて。

の冷えた身体にカカシの温かさが伝わってくる。
温かく、そして力強く。
全身に感じる心地良い温もりと、押し付けた耳が拾うカカシの鼓動は、の肩に入った力を緩めさせた。

下着姿だけれど、恥ずかしさはあまり感じていなかった。
カカシが素肌を晒さないようにしてくれた事と、もう一つは、まだの中の恐怖の方が勝っていたから。

「カカシ…さん……」

自分の名を呼び、縋りつくをカカシは抱き上げて、ベットに寄りかかり床に座る。
胡坐を掻き、その上にを横向きに乗せて。
毛布は二人を隔てる事無く、とカカシを包んでいた。




「なんで……」
「ん?」
「なんでこんなに怖いんだろう……」

何故雷にこんなにも怯えるのか。
この言い知れぬ恐怖は何か。
その両方を自分に問うの言葉。

前にカカシが聞いたのは、記憶に抜けた部分がある事。
でも大人になって幼かった日々を全て覚えている者などいない。
記憶力の良さには自信のあるカカシも、子供の頃の記憶は薄れ、消えた部分も沢山あるのだから。
それに忘れられるから前に進める場合もある。

「異常ですよね、私。………ヤダ」

そしてまた涙を流すの語尾は、流れる涙へではなく、己への嫌悪。
「そんな事はないよ」と、優しく語りかけるカカシの唇を、は自分の唇で塞いだ。

震えながら

泣きながら

は唇を合わせて。

いつもはカカシのキスに応えるばかりだったが、舌先を伸ばしてくる。
カカシの舌に自分の其れを激しく絡ませて。
銀の髪に指を沈めながら、何度も角度を変えて貪る。
カカシはそれに優しく応えた。

唇を離して、顔をカカシの肩に預けたが溢した言葉───。

泣きながら落したその言葉は。

「私を抱いて下さい」

悲しく響く声だった。

悲しみから恐怖から逃れる為、抱いて欲しいとは言う。
それに応えるのは至極簡単。
頭の中で描いていた事を実行に移せばいい。
そう願っていたのだから。

でも。
こんな風に抱く為に大事にしてきた訳じゃない。
経験の無い事は今までの過程で分かってた。
だから大切にと言ったら語弊があるが、ゆっくり距離を詰めて、の心も身体も温まるその時までと、待っていたのだ。
二人にとって初めての、そして彼女にとっては別の意味合いでも初めての夜は、記念日になる。
大切なのは男も女も同じ。
後に語られるであろう思い出に、悲しい色を残したくはない。

それに「私を抱いて下さい」と言ったの言葉は、
「私を壊して下さい」と言っている様に聞こえる。
甘く壊れるのなら、幾らでも壊してやる。
何も考えられなくなる程に。

だけれど、痛さで心の痛みを流すような事はしたくない。
繋がりを持って、安心感を得られる事も分かってる。
そうだと分かっていても、こんなにも悲しむを、今は抱けない。


───不器用なオレを許してよね


は身体を捻って、カカシの肩に顔と手を預けている。
そんな彼女を抱きしめる腕を緩め、カカシはの頬と、耳と、首筋に口付けた。
カカシの押さえていた毛布はのウエストまで滑り落ち、カカシの手がの背中へ直に回される。

……」

呼び掛けにの指先が力を籠める。

「顔を見せて」

カカシがそう耳元で言い、の肩に置いた手が身体を離す。
と同時にも自分の身体を少し後ろに引いた。

唇を軽く重ねて。

「愛してる、
「……私も愛してます」
「ずっと傍に居るから」

言葉と同時に発動する瞳術、写輪眼。

「お願い……。一人に……しないで……」

崩れ落ちるの身体をしっかり受け止めて。

「一人になんて、させやしないよ」

毛布に包んだ彼女の身体を、自分の胸に押し当てきつく抱きしめる。
カカシのその姿は、しばらくの間動く事がなかった。




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2008/03/29 かえで


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