停電───
「うそ………」
電力の供給を断ち切られた一帯は、一斉に暗闇と化した。
空から走り降りてくる光。
それが辺りを一瞬蒼白くさせ、また闇へと戻る。
「すぐに復旧するから大丈夫だよ。部屋の中に入った方がいい」
「……カカシさん……一緒に……一緒にいてもらえますか?」
「ちゃんが構わないなら……オレは傍に居たい」
別にこの場に付け込んでとか、疾しい気持ちはないけれど。
雷に愛された男が誓ったのは、雷から女を守る事。
「お願いします……」
若干震えた声のはドアを開け中に入って行く。
その後ろを守りながら、カカシも部屋の中に消えた。
夏の雷、秋の稲妻 第四話
供給を失っても動き続けるのは、時計の針。
暗闇に響く筈の時を刻む音は、雨粒が弾かれる音と、雷神の叫び声によって掻き消された。
開け放たれていたカーテンの裏にはベランダへと続く大きな窓があり、叩きつけられる雨粒が水の膜を作っては流れ落ちて行く。
「カカシさん……」
弱々しく声を発するはベット脇の床に座り込み、窓に背を向けた。
「大丈夫」
問い掛けでは無いカカシの声は、優しく、そして頼もしく。
玄関から入って一直線。
キッチンとダイニングを抜けた奥の、もうひと部屋。
小さなテーブルに、ベットとテレビ。
そして飾棚と腰丈程度の観葉植物。
部屋の中央に置かれたラグが、フローリングの茶色を半分消している。
カカシが床に座り込むの横を通り過ぎ、部屋の最奥に位置する窓へと近づけば、カーテンレールの上を勢い良く走る玉の音がした。
降ろした口布と、上げた額宛て。
それを鏡の様に写す筈の窓ガラスは、質の良いグリーンの布地によって今は遮られている。
己の身を守るよう作られた木の葉の標準ベストは、硬く体温の伝わりを妨げる物。
今の自分には不要な物とばかりに、カカシは深緑のベストを脱ぎ捨て、室内を快適な温度に保つ印を結んだ。
床の硬さを感じていた足を一歩、また一歩と進めると、ラグマットの柔らかさを足先が脳に伝えてくる。
カカシはベットに背中を預け、静かにの右隣へ腰を降ろした。
ベットに顔を突っ伏したが僅かに動いて、両目を覆い視界を遮る腕はそのままに、だけれど硬く握られていた手の平はカカシの左腕を掴む。
それを切欠とするように、カカシの右手はの手をポンポンと二回叩いて、それからそっと剥がした。
その腕がを包むように、くるりと回されるまでは一瞬の出来事。
僅かに出来ていた隙間を詰めたのは、ほぼ二人同時。
カカシのを包み守る左腕の先は、肩に置かれた僅かな後、甘い香りのする髪に回され、自分の胸に押し付けるかの如く抱きしめていた。
の右手は今も尚、自らの瞳を隠す事に使われてはいるけれど、伸ばされた左手はカカシの胸板に置かれ、忍服は掴まれた際に描くドレープを刻んでいる。
カカシはその手を包み込み、温かく握りしめた。
「まだ怖い? 忍術使おうか。そしたら雷なんて追い出せる」
カカシの問い掛けには黙ったまま首を振り、次に言葉を紡いだ。
「カカシさんが……カカシさんが居てくれるから、平気です」
「そう」
カカシの声は嬉しさを含んだ了承の色。
結界、幻術、催眠術。
逃避させる手段は多々あるけれど、しなくて良いなら無理にはしない。
今なら、幾らでも傍に居てやれるから。
カカシはそんな想いを込めて、再びの手の甲に置かれた自分の手に力を込める。
すると紺色を掴んでいたの手は次第に緩んでいき、カカシの手の中で向きを変えた。
指先が絡み合い、手の平が合わさる。
「でも、怖いんです……」
「大丈夫。オレなら止むまで傍に居るから」
「…………はい」
見上げたに、カカシの顔がゆっくりと降りてくる。
近くなるにつれ、閉じて行くの瞼。
二人の唇が重なり合ったその時に、指示を待つ電力のホタルが部屋に浮かび上がった。
軽く触れ、離れていくカカシの唇は、温かさを残して。
微笑み合った後、はまたカカシの胸に顔を埋めた。
安心と不安と。
余程の事がない限り、屋内に居れば安全という事は分かっている。
それに自分を守ってくれる人が傍に居る。
なのに、この迫りくるような恐怖感は何故だろう。
昨日よりも、きっと今の方が恐れを感じている。
内から湧き上がってくる、言い知れぬ恐怖と不安を、は聞こえてくるカカシの鼓動で打ち消していた。
「復旧したみたいだよ」
待機状態を示す部屋の電化製品に目を留めたカカシは、の髪に言葉を落とすが、二人の身体が動く事は無かった。
今もまだ、遠くから雷鳴が聞こえる。
静けさの間隔は長くなり、時折聞こえるのは、井戸に付いた滑車を回す程度の小さな音だけれど、雷には変わりない。
カカシはその音が完全に消えるまで、を包んでいた。
雨音も消え、空の怒りも治まった頃。
は顔を上げ、体勢を整えると、カカシの隣で正座をした。
「今日は二回も……」
すいません、そう言おうとした途中でカカシからストップを掛けられた。
「謝るのはナシにして頂戴よ。ちゃんを守ってあげるって約束したでしょ?それに……」
スッと伸びたカカシの手がの頬を撫で、唇にそっと触れながら、「順番狂っちゃったけどね」と笑い。
「オレがちゃんの事好きなの位、分ってるよね?」
意地悪くそう言った。
「だから全く迷惑なんて思ってないよ。嬉しいんだから。で……ちゃんはオレの事どう思ってるのかな〜? 嫌いじゃないよね」
「ちが…うっ」
「違うの?」
「いえ、あの、そうじゃなくて……嫌いじゃないっていうのが……寧ろ逆……?」
「じゃあ、好きじゃないって事?」
「えッ、あれ?あの、えっと、それも違います!!」
女の部屋で、男女二人。
しかもカーテンは閉められ、明かりも点いていなく、部屋の中は真っ暗。
そこに正座する女と、右手で腹を押さえつつ、湧き上がる笑いを堪えようと必死の男の姿はなんとも珍しい。
「これからも守らせてくれる?」
カカシの問いかけには頷いて。
「好きだよ」
「私も……です」
そしてまた二人の唇は重なる。
軽く、甘く、触れ合うだけの口付けを。
籠ったカカシの熱は、唇に載せるのではなく、離した直後の、を抱きしめる腕に込めた。
雲は急速に流れて行き、その隙間から爪跡のような細い月が顔を出す。
その月を視界の端に捉えながら、カカシは自宅へと向かっていた。
ポケットに手を入れ、のんびりと歩くその様は、いつもの風体。
幾つもの水溜りを無意識に感知し、避けて歩くのは、職業故か。
でもその中の一つ、大きな水溜り。
チャクラを込めて水面を歩く事は無く、カカシの足はパシャンと水溜りを踏み付けた。
飛び散った水滴が、己のつま先に降って来る。
動き易さと引き換えに、剥き出しになったつま先。
濡れた不快感など物ともせず、カカシの足取りは軽い。
「じゃ、今夜はこれで帰るね」
立ち上がって明かりを点けたカカシがそう言うと、も釣られたように立ち上がり、名残惜しそうな声で「はい」と頷いた。
そして彼女の頬に薄っすらと赤みが差し、照れくさそうに、不思議そうに笑う。
それは明かりを付けた途端に気恥かしくなったからともう一つ。
自分の部屋に、カカシが居る。
その事に。
1DKの部屋は一人暮らしの女性にとって、十分な広さではあるが、ただっ広い空間という訳では無く。
暗闇は部屋の輪郭を暈して、の空間認識を誤魔化していた。
大きな闇の中に居るように。
自分の部屋であって、自分の部屋ではないような。
でも実際は6畳の自室。
痩せ型ではあるけれど、長身の男性が居る事に慣れていない。
というよりも、男性が居る光景を目にした事が初めてなのだ。
今まで有り得ない位置に人の顔がある。
友人たちではこうはいかないから。
「どうかした?」
幸せ半分、恥ずかしさ半分の笑みを浮かべるに、カカシは問い掛けて。
「だって、カカシさんがうちに居るんだもん」
「さっきからずっと一緒にいるよ?」
の言葉をちゃんと理解した上で、カカシは悪戯に笑う。
「そうなんですけど……ね」
部屋を見回しながら笑ってが答えれば、カカシも視線を室内に飛ばす。
「わーーあんまり見ないで下さい〜〜」
決して散らかっている訳ではないが、人を招き入れる準備はしていない素のままの状態。
今日は洗濯をしないで良かったと、さぼった自分を嬉しく思って。
「さっきは暗くて、よく見えなかったらね」
カカシの目がニコっと孤を描いた。
夜目は利く。
でなければ忍、まして暗部などやっては行けない。
でも黒に染まった色の鮮やかさは、本来の其れよりも劣る。
無機質にも見えた部屋は、明かりに照らされる事により温かさを取り戻し、本来の色をカカシに伝えて来た。
所々に見えるピンクに赤、黄緑に水色。
男の部屋ではあまり見かけない雑貨類達。
丸いガラス瓶に入った白い砂と貝殻が、飾棚の上に置かれていた。
「また来てもいい?」
「こんな部屋で良かったら、何時でも来て下さい」
「何時でもいいの?」
改めて聞かれ返答に困るの耳元で、カカシは囁く。
──今度はオレの部屋にも来てね、と。
別れを惜しみつつ、玄関先で抱き合って、もう一度口付けを交わした。
離れたくないのなら、一緒に居ればいい。
そう結論付ける事は容易いけれど、今の二人にはまだ踏み込めない領域。
相手を想う気持ちと、嫌われたくないという願い。
男の欲という帯電したエネルギーを、カカシはに放出してしまいそうになるだろう。
に至っては、男と女の色事まで考えが及んでいない。
しかし、一緒に居たいと願ってはいる。
でもそれを強請る事も、仮に彼がそうしたいと言ってくれたとしても、それを素直に受け入れた自分をカカシはどう思うだろうかと。
まだ二人の間には、幾ばくかの遠慮というものが、存在していた。
そしてカカシは今に至り、夜道を歩いている。
これが二人の始まりの日。
それからの二人は少しづつ距離を縮めて行った。
デートを重ねて、互いの部屋でお茶を飲んで、交わすキスは色を濃くしてゆく。
季節は秋へと移り、香り始めた金木犀。
夏の夕立ちと共に鳴り響いていた雷が稲妻、雷光を稲光と呼ぶ季節。
稲が実る頃は雷が多く、稲妻という言葉の由来とも言われる。
秋の稲妻は轟く雷鳴よりも、美しい閃光を見せるのが特徴。
今日は早番の日。
いつもの早出よりも遅く目覚めたは、職場となるアン・フィーユへ向かうべく支度を整えている。
遅く起きたといっても、準備を整えるには十分な時間。
けれど、いつもゆったりと眺めている朝のニュースは、見ている余裕がなく。
テレビ画面は黒いまま。
此処よりも遥かに離れた場所で発生していた台風は、大きく進路を変え、勢力を保ったまま木の葉の里へ接近していた。
『 夕方から雷を伴った大雨となり、夜半過ぎには上陸の見込み───── 』
電源を切ったテレビの中では、いつものお天気お姉さんが、そうアナウンスしていた。
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2008/03/17 かえで