歩き始めてすぐ、自分の知っている店でいいかとカカシが尋ね、は笑顔で返事を返した。
道中は他愛もない話。
あそこのお店は美味しいんだとか、安いんだとか。
通り過がりの店舗の話をしながら、二人は里内の流れに沿うように歩く。
話の糸口はからが多いけれど、カカシもそれに優しく答えて、ではここはどうかと聞いてみたり勧めてみたり。
兎に角何か話さなきゃ、とまで、焦りはしないけれど。
周りに人は居る。
けれど二人きりという状況に、何故か上がってしまうテンション。
にはまだちょっとだけ、沈黙がくすぐったかった。
そしてカカシは、そんなが微笑ましく、可愛く。
上忍待機所から、並んで歩いて、五分程度。
里のどの辺に位置する、どういう店かは、歩きながら少し聞いていて。
角を曲がり、がそろそろかと思えば、カカシは「もうすぐ着くよ」と話しかけて。
「此〜処」
そう言うカカシの足が止まり、を促す先は、木製の格子扉に、格子窓。
木の温もりを感じさせるそこは、忍達が時折訪れる、大人の隠れ家風な店。
全室個室タイプの和風居酒屋だ。
落ち着いた店構えの引き戸を開け、二人は中に入った。
夏の雷、秋の稲妻 第三話
時間も少し早い所為か待つ事も無く、案内係りの店員の後ろをカカシとは縦並んで歩く。
中央に真っ直ぐ伸びる敷石は、黒の御影石。
その壁際には小石が敷き詰められていて、その隙間から照らす光と、天井から降りる光が、控えめな橙色の空間を作っていた。
壁はくすんだ薄い草の色。
植物の繊維を混ぜ合わせて塗られた土の壁。
時折置かれている緑と、上質な木造建築は訪れる者の心を和ませる。
案内されたのは、二名から四名用の個室だろうか。
中央には長方形のテーブルがあり、調味料を入れた小瓶などがトレーの上で綺麗に整列して。
掘り炬燵の様な作りの周囲には、四枚の座布団が置かれている。
四人で入るなら、少し手狭のような。
二人で入るなら、少し広いような、そんな空間。
頼んだ飲物が来るまで、この店の話をして。
カカシにしてみれば、初めてのデートで個室の空間は良かったのかと、珍しく思ってみたり。
にしてみれば、沢山の人の目に触れる場所よりも、こういった場所の方が逆に落ち着ける。
「飲める方?」
「そんなに強くないですけど、好きです」
店員がすぐに運んできた生ビールで、二人は乾杯をした。
くいっと下げられた口布。
カカシの喉に消えて行くビール。
はジョッキに唇を付け、中身を口に含みながら、その様子に見惚れていた。
「ん?」
「……あっ……その……いつも口布してるから」
「あぁ、そうか。オレってこんな顔。改めまして、よろしく」
カカシはジョッキを置き、額宛てを上にずらすと、にっこり微笑んだ。
完全に、やられたちゃったなぁと。
カカシを見つめる自分の瞳は、きっと真ん丸。
その時、よく素顔を知らない人に惹かれていたんだと、は気が付いた。
待機所でも、街で出会っても、カカシの顔は僅かしか見えなくて。
カカシの他にも、素顔を隠している忍は居るし、里内に居る一般人全てが忍の知識を持っているとは限らないけれど、上忍待機所の近くに勤めるにはそれなりの知識も、理解もある。
だからカカシが素顔を見せなくても、不信感などには捉われる事はなく。
ただ純粋に口布の下の表情はもっと優しいのだろうかと、思い描く事はあった。
人は見かけじゃないけれど。
初めて会った時に感じたのは、自分と重なる波長。
一目惚れとはいかなくても、同性に対してだって、勿論異性に対してだって、この人好きだなぁと僅かなやり取りで思う事がある。
そして優しい物腰と、低い声。
素顔が分らなくても、惹かれて、否、好きになっていたのに、口布を下ろしたカカシは、それはそれは端整な顔立ちで。
は心臓をぎゅっと掴まれたような感じがした。
「……キレイ。あ、男の人は綺麗って言われてもあれですよね」
照れくさそうに、カカシの喉元へと降りたの視線。
「ちゃんはカワイイ」
「……………そんな……事…は………あの………アリガトゴザイマス」
カカシの放った言葉に、の首がゆっくりと折れてくる。
喉元から忍服へと降りた視線は、自身のジョッキへと移っていて、ハラリと下がる髪を掛けた耳は真っ赤に染まっていた。
そんな空気を仕切り直すかの様に、店員が注文した料理を運んで来る。
一度来ると、後から、後からやって来て、全ての料理がテーブルの上に並んだ。
空腹も満たされ、緊張や恥ずかしさで赤くなっていたの頬に、別の赤みが差し始めた頃。
「さっきはお恥ずかしい所をお見せしました」と、は座ったまま軽く一礼をしながら言った。
日中の全面的謝罪という風ではなくて、照れくさそうな笑いを浮かべながら。
「いや、役得?嬉しかったって言ったでしょ。これからは、オレが雷から守ってあげる」
まぁ、任務で里を離れちゃう事もあるんだけどね、と付け足すけれど冗談ではなさそうだ。
「さっき、紅さんとアスマさんが言ってました」
「ナニを?」
先程の雰囲気からすれば、自分を蹴落とす様な事は言わないだろうけれど、やはり気に掛るカカシは間髪入れず聞いたのだった。
「カカシさんの傍に居れば安心だって」
そう、と胸を撫で下ろすけれど、きっと他にも言っていた筈。
カカシのそんな雰囲気を感じ取ったは、言葉を繋げた。
「すごい忍者だから大丈夫……って」
そしてにこやかに笑う。
掻い摘んで話しているが、実際の彼等の話はこうだ。
雷が鳴り止んだ後、後片付けを始めたは、紅とアスマに今の事を謝った。
「すいません、お見苦しくて……」
「そんな事ないわよ。可愛い。ちゃんって雷苦手なのね」
「そうなんです。何でだか異常な程に」
「まぁ人間、苦手なもんの一つや二つあるだろうよ」
アスマがポツリと言って、紅も頷いて見せるが。
なんらかの心的外傷、所謂トラウマと呼ばれるものが彼女の中にあるだろうと想像出来る。
それがの知るところであるか、知らぬところであるかは分からないが、今の話振りからすると自覚はなさそうだ。
それならば、それでいい。
彼女の全ては知らないけれど、雷発生時以外は精神的に落ち着いているように見える。
態々掘り起こす事もないだろう。
の持つ穏やかな雰囲気に癒されている者達は少なからず居る。
自分達の後ろに座る、銀髪覆面忍者のように。
「あのね、ちゃん」
紅が手招きをして、の耳を誘う。
「カカシを傍に置いておくといいわよ。頼りなさそうにみるけど、案外、役に立つから」
カカシの耳には届かない話声。
でも隣に座るアスマの耳には容易に入り込んで、彼は付け足した。
「だな。避雷針替わりにはなる。万が一でもアイツなら大丈夫だ」
「ああ見えてすごい忍者なのよ」
紅はアスマの言葉にもう一つ、そう付け足した。
何か話してるのは知っていたけれど、そうだったのかと。
だけれど。
守る。
傍に居る。
この裏にある意味をは分かっているのか。
今の話振りからすると、ちゃんと結びついていない。
カカシはそんな感じがした。
「昔から、ホント雷はダメで。自分でも不思議なんです。だけどすごく小さい頃、雷を眺めて綺麗だなって思った記憶もあって」
「そうなの?」
「いつの間にか怖くなっちゃったみたいです。子供の頃雷のよく鳴る国に住んでたから、その所為でしょうかね」
「へぇ、どこの国?」
「名前は忘れちゃいました。小さかったから記憶も曖昧で。というよりも、ぽっかり抜けてる感じで。木の葉の同盟国みたいですよ。でも私は木の葉生まれです」
は軽く言って笑う。
その辺りに何かありそうだけれど、問題が無ければそれでいいと。
ただ思うのは、普段どうしているのかという事。
「ちゃんって一人暮らしだっけ?」
「はい」
「今まで雷が鳴ったらどうしてたの?」
「カーテン閉めて、ヘッドホンで音楽聴いて誤魔化してます。仕事中は裏方に回ったりで。厨房にいるとあんまり聞こえないんですよ」
「そっか、ならいいケド。待機所は外の音をよく拾うからね。びっくりしたでしょ」
は返答に困ったように笑いながら、ビールの後に頼んだ何杯目かのサワーを一口飲んだ。
「雷は怖かったんですけど、待機所だったから……逆に安心かなって」
「あそこはある意味安全かもね。危険もあるけど」
アカデミーと、待機所と、火影邸。
この三つの建物の中に居れば、殆どの災害からは逃れられるだろう。
忍相手の奇襲ならば、間違い無く標的にされそうだが。
「……あとは、カカシさんが居たから……」
小さな声で、一人言のようには呟いて。
「ん、な〜に?聞こえなかったからもう一回」
「もう言えませんっ」
「なんで?誰が居たからだけでも教えてよ」
「……聞こえてたんじゃないですかー」
照れながら怒るを可愛いと眺めつつ、笑って恍けるカカシは冷酒をクイっと飲み干した。
ほろ酔い加減で、来た道を二人は戻って行く。
同じく上忍達がよく訪れる酒々屋を通り過ぎ、左手には火影家にアカデミー、そして上忍待機所。
勿論の勤めるカフェも通り過ぎた。
月の綺麗な夏の夜空と言いたいところだけれど、空は厚い雲に覆われ、月の持つ神秘的な光を遮る。
頬を掠めるのは湿り気を帯びた生暖かい風。
昼間は人の往来も多かった道だが、今は時々すれ違うくらい。
商店街の店舗もシャッターを降ろして、ひっそりと静まり返っている。
里の西側、山中家の経営する花屋からほど近い所に、自分の住むマンションがあるのだと、は話して。
まだある二人の隙間、僅かな距離。
でも来た道よりは縮まった。
掌をポケットに突っ込んだカカシの腕との腕が、時々軽く触れ合うから。
花屋を通り過ぎて、そろそろの住むマンションが近づいた辺り。
ゴロゴロと夜空が太鼓を打ち鳴らす。
「ッ!」
息を飲んだがカカシの腕にしがみついて顔を隠した。
「す、すいません」
次には雷鳴も止んで、はカカシの腕を離そうと顔を上げるけれど、また聞こえてくる太鼓の音。
「あ、また……」
「離さないでいいから、このままで」
はコクリと頷きながら、カカシの腕をしっかりと抱きしめた。
「この近くだったよね」
「この先の角を右に曲って、少し歩くと白い三階建てのマンションがあります。そこです」
「わかった」
暗部の刺青が感じ取る温かさ。
ぴったりとくっついたに視線を送り、「大丈夫だよ」と優しく話しかけて、カカシは二回ポンポンと軽くの頭に手を置いた。
前方に注意を気配りながら、雲の動きを伺う。
流れは早く、こちらに向って来ているようだ。
─── マズイねぇ……
そうカカシが心の中で呟いてから、僅か十歩進んだ辺りで、空が泣き始めた。
今はまだパラパラと小さな涙だけれど、すぐ大粒の涙に変わりそうな気配。
「もうすぐ着くからね」
角を曲がって見えたマンション。
本当にもうすぐ。
「何階?」
「三階の……305です」
「りょーかい」
のマンションに着いて階段を昇る頃には、地面を叩きつける激しい雨に変わっていた。
「着いたよ。間一髪、あんまり濡れないで良かった」
ドアの前に立ち、カカシはの身体に付いた雨粒を払い除けながら優しく話しかけるけれど、その後をすぐに雷鳴が追いかけた。
一段と激しさを増す閃光と雷鳴。
間隔が短く、それは雷雲が近い事を知らせている。
「ヤ……」
「ちゃん、もう着いたから大丈夫」
「……はい」
雷の隙間を縫って、はバックに付いている内側のポケットから自室の鍵を取り出した。
差し込もうとする手が震えて、上手く刺さらない。
カカシはそんなの手に自分の手を添えて鍵穴に差し込んだ。
カチャリと開く鍵の音と、雷の轟音が重なる。
ジジッと短い音を立てた外廊下の明かりは、次の瞬間光を放つ事を止めた。
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2008/01/12