長いような、短いような。



怯える彼女を見るのは忍びないけれど。


この恐怖から解放してあげたい。
『雷雲よ、早く立ち去れ』と思う気持ちが感じる時間の長さ。

好きな人と触れ合う喜びが感じる時間の短さ。

二つの尺度で、流れゆく時をカカシは感じていた。







夏の雷、秋の稲妻 第二話









遠ざかって行く雷鳴に、の緊張が解れてくる。
同時に、滝壷にでも居るようだった激しい雨も霧雨に変わり、待機所の外の空気は、雲の隙間から差し込む陽の光を反射してキラリと、そして白く浮かび上がる。


「……あの……ええと。……すいません」

自分の視界を覆っていたカカシの手を顔から離して、上目使いのが照れくさそうに言った。

「大丈夫?」
「はい。もう平気です」

床に膝を付いて座りこむは、カカシの膝のすぐ近く。
ソファーの上にはの手。
その上にはカカシの手。
いつまでも繋いでいた手に漸く気づいたが、握っていたカカシの手を慌てて離した。

「ご、ごめんなさい」
「全く問題ないんだけどね。寧ろ嬉しかったり」

目を細めたカカシが優しく笑い掛ける。

「手甲が。珈琲零して、その上……」

次の言葉は濁しながら、は紙ナフキンを再び取り出し、手甲に付く金属板を磨きだした。

冷汗に、滲んだ涙に、ファンデーション。
幾ら薄化粧とはいえ、きつく抑えつければ残る痕跡。

「それより、ちゃんは平気?」
「私はもう……」
「雷じゃなくてね、こっち」

カカシはふわりと降りるの前髪を、指先で少し掻き分け、額にそっと触れた。

「……?」
「アト付いてる。木の葉マークがくっきり」
「えっ!ウソ!」
「うそ」
「もう、カカシさん!」
「いや、本当」
「え?どっち?」

はカカシの手を離して、自分の額を指先でなぞった。

「木の葉マークは嘘だけど、アトは付いてるよ。赤くなってるし。痛くない?」
「ダイジョウブ……デス。あ、ホントだ」

指先が感じ取った自分の額に付いた跡は、手甲の金属板の縁。
真っ直ぐ横に一本。

ねっとカカシが微笑めば、も釣られて。
控えめな二人の笑い声が、待機所の中に流れた。


そして不意にカカシが手に取ったグラス。
中身は溶けて小さくなった氷に、分離した透明と焦げ茶色の液体。

「カカシさん、それ……」

が何か言い掛ければ。

「雨、止んだみたいだね」

カカシは窓に視線を送って、の視線を促した。

窓ガラスに残った水滴。
澄んできた窓の外。
建物の隙間から見える空には、足早に雨雲が通り過ぎて、時折青を覗かせる。
何気なく、一つの途切れた雲が駆け抜けるまで、空を見ていたが、カランと小さな氷の音に気が付き、視線を戻せば。

テーブルの上には、小さな氷だけの入ったグラスが置かれていた。

「あッ!」
「ん?」

カカシはどうかした?とでも言いたげに、目を細めて。

きっとが気を使うから。
言われる前に飲み干しただけの事。
別に素顔を見られたくないわけではなかった。

「薄まっちゃってたでしょう?」
「んー……ま、少〜し?」
「すいません……」
「さっきから謝ってばかりだね」
「だって……申し訳なくて」
「気にしないの」
「でも……」

会話毎にトーンダウンしていくの声と表情。
その原因の何割を、客としての自分が占めるのか。
そろそろ客と店員という枠から卒業したいと、カカシの中で弱みに付け入る算段が整った。

「新しいの淹れて……」

の言葉を全て聞く前に、カカシは静かに首を振って。

「そうですよね。お腹いっぱいになっちゃいますよね」
「だったらさ、珈琲の代わりにデート一回は?今夜空いてたら、飯付き合ってくれない?」
「わ、私でいいんですか?」

途端に明るくなった声と表情に、少しは自惚れていいのかと。

「オレは、ちゃんがいいんだけどね」
「ありがとうございます!」

思わず出た本音には片手を開いて口を隠すが、音に乗せた言葉はもうカカシの耳に届いていて。
カカシにしては大きく開いた右目が、次には孤を描く。

「あっ……つい」
「じゃ、OKって事ね」
「はい」
「仕事何時まで?」
「今日は6時までです」
「その頃此処の前に居るから」

コクリとは頷いて。
次には思い出したかの様に、大慌て。

「私、仕事中!!」

跳び上がる様に立ち上がったの身体が次には固まって、身動きをしない。
不思議に思ったカカシが、どうしたのかと尋ねれば、か細い声が聞こえて来た。

「……足が。……足が痺れました」

これにはカカシも笑うしかなくて。

「笑わないでくださいよ〜……」
「笑ってないよ?」
「笑ってます!」

交差するカカシの笑い顔との笑い顔を、西から差し込む陽の光が、ふんわり包み込むように優しく照らした。











街が紅く染まるまでもう少し。
クリーム色の空気に包まれた里内は相変わらず賑やかで。

通りの角、人生色々という看板を掲げた上忍待機所の入口から、若干離れた壁際に立って、カカシはが来るのを待った。
真っ直ぐに伸びる通り。
10軒先にはの働くカフェ、アン・フィーユがある。

数分後、行き交う人々の間から、店から出て来たの姿をカカシの目が捉える。
次にはの視線も真っ直ぐ待機所に伸びて、カカシを見つけると走り出した。

「お待たせしました」

思わず緩みそうになる顔を、カカシは少し気取った笑顔で誤魔化して。
好きな相手が、自分目がけて飛んで来たように見えるのだから無理もない。

「遅れちゃってごめんなさい」
「平〜気」

鐘を鳴らしたように、きっぱりとは上がれなく。
丁度その時間に混み合った店が一段落するまで、は仕事をしていたのだ。
それからロッカーに駆け込んで、メイクを直して、現在に至る。

カカシにしてみても、勤務は六時までだと聞いていたのだから、ジャストに来れるなどと思っていない。

「行こうか」

カカシが一歩歩きだして。

「はい」

薄っすらと色づき始めた里内を二人は並んで歩く。
でもまだある二人の隙間、僅かな距離。
この隙間がなくなるのは、多分もうすぐ。





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2008/01/05 かえで