夏の燃え盛るような暑さの中、『人生色々』から10軒程離れたカフェから出て来た彼女は、足早に街を歩く。
何時の間にか空はどんより薄暗く、さっきまであんなに晴れていたのが嘘の様。
ピッチャーに入れた冷たい珈琲に、氷の入ったグラス。
ストローにコースター。
人数分のガムシロとミルクを見ながら、「ここのお得意さん達は、あんまり使わないんだけど」と心の中で笑って。
デリバリーは慣れているけれど、重たい物は重たい。
里を守護する忍達が待つ扉の前で気合を入れて。
片手持ちに変えようとしていたら、後ろから声を掛けられた。
「ちゃん、おつかれさま」
伸びてくる柔らかな影と、優しい空気。
気配とか忍のようには分からないけれど、ここまで近づけば彼の持つ温かな空気は感じる。
目の傍を通り抜けて行った彼の腕が扉を開いて。
「どうぞ」
「ありがとう、カカシさん」
はカカシに守られるように、待機所の中へ入った。
夏の雷、秋の稲妻 第一話
「こんにちは」
中には紅とアスマ、そして何人かの忍が待機していた。
「ごくろうさま」
「悪いな」
「いつもありがとうございます」
部屋の中心にあった空きテーブルの上で、は珈琲を注ぎ始める。
この待機所の中にも、それなりのセットはあるけれど、やはり専門店の味に叶うわけがなく。
10軒先にあるの働くカフェは、すっかり上忍達の御用達。
の後ろを通り過ぎたカカシは、奥に居るアスマと紅の元へ向かった。
「あらカカシお帰り。いつの間に出かけてたの?」
「ん〜さっき」
珈琲のオーダーを後輩が取った時には居た筈なのに、いつの間にか出かけていたらしいカカシ。
そしてすぐに戻って来たのだ。
「分り易いっつうか・・・・・・」
アスマの言葉にカカシは抑止の視線を送りながら向いのソファーに座るが、効力を示さないようだった。
「お前でも回りくどい事すんだな」
ふっと笑う、彼の伸びた視線。
カカシを冷やかす風でもなく笑った彼の目は、を捕らえた後、再び銀髪へと戻された。
それを見ていた紅が、全てを悟ったのは言うまでもなく。
「なるほどね。でも分かる気がするわ」
これまた素直に言葉を発した紅も、からカカシへと視線を移した。
舞うように動き回る彼女。
忍の軽やかさとは違う、一般人のそれであるけれど。
この仕事が好きなのだと、控えめに笑う彼女の働きは見ていて心地が良い。
此処に居る者皆、自らの仕事に誇りを持ってはいる。
けれど、影になる部分もあるのが事実。
初夏の生い茂る青葉。
その下にごろりと寝転び、そよぐ風を肌に感じながら、樹木の枝葉から差し込む陽の光を浴びる。
の持つ空気を例えるならば、そんな感じ。
癒される、という言葉がとてもよく似合う。
そんな彼女に、今まで口と手足が同時に出ていた様な男が、二の足を踏んでいるのだ。
「あのーーお二人さん?反応しづらいんですケド」
「あら、なんで?」
カカシの言葉に、今度は若干含みのある笑顔で、紅は答えた。
疑問符は付いているが、解答は出ているといった風。
冷やかしや説教、皮肉めいた言葉なら、いつものように切り返えせばいい。
殊更女性関係に関して、紅は手厳しい。
同性であるから当たり前とも言えるが。
けれど、こうも物柔らかに言われると、素直に胸の内をさらけ出さなければならない様な感覚に陥るのは、何故だろう。
これも彼らの妙技か。
真夏に雪でも降るんじゃなかろうかと思った自分は失礼だろうか。
「そういう事なら応援するからね。カカシ」
「それはどうも」
カカシの瞳は慣れない扱いに困惑の色を見せながら細められた。
「だって、ここまでウブなカカシが見れるなんて思わなかったもの」
「だな」
「ね、そうでしょう」
やはりこう付け加えるのは彼等らしい。
「あのねぇ」
「それに、こんなに慎重なカカシは見た事ないわよ。」
「まーね・・・・・・。」
慎重、軽々しく行動しないという意味で使うのだが、当たってる。
しないという表現より、“出来ない” “したくない”の方が合っているが。
の淹れた珈琲の香りが、部屋の中をふんわりと漂う。
カランと氷がグラスをたたく音。
ストローが攪拌する連続音。
その涼しげな音に混じって聞こえ始めた雨の音は、すぐに大きくなり、屋根や地面を打ち付ける音が耳に入って来た。
残るはカカシ達三人の分。
トレーにその三つを乗せたは、彼らへと近づいた。
あと一歩の所で、ピクリと震えた彼女の足が止まる。
でも振り払う様にすぐ歩き出して。
膝を折り、ローテーブルにトレーを置いたは、アスマと紅にアイスコーヒーを差し出した。
「どうぞ」
「ありがとう」と微笑む紅に、は笑顔で返して。
最後はカカシの分。
柔らかな笑顔と共に、「はい、カカシさん」と彼女が付け加える様になったのは、最近の事。
の中でカカシは“お得意さん”という枠から外れてきていた。
最後のグラスを持ち、コースターの上に置こうとした瞬間、轟音が鳴り響き、の手元が狂った。
傾くグラス。
氷の音。
の手の平が感じ取るのは冷たさで、手の甲には包み込まれる感触。
揺れた液体は縁から少し逃げ出し、カカシの手甲に滲み込んだ。
「大丈夫?」
二人で持ったグラスが、コースターの上に置かれると同時に、カカシの声が降りてくる。
「すいません」と見上げたの瞳は、怯えていて。
好きなヒトがそんな目をするのだから、当然男は守りたいと思う。
「あ……シミになっちゃう」
はエプロンのポケットから、紙ナフキンを数枚取り出し、紺色の手甲に滲み込んだ珈琲を拭い取る。
「平気、シミになんてならないから」
「でも・・・・・・」
握られた手を見つめてカカシはそう言うのだけれど、成すがままで。
理由は単純。
自分の手首を下から掴み、重ねられた手の平。
指先に感じる彼女のやわらかな肌とぬくもり。
それから離れたくないだけ。
だけど、口から出るのは、を気遣う言葉で。
「それに今日一日、この香りを楽しめるでしょ」
「・・・・・・ごめんなさい」
「謝らないでいいから、ね」
カカシの目が弧を描いた時、待機所の外では空と地の間に閃光が走り、轟音が響き渡る。
「やだ!」
は短く叫び、カカシの手を強く握りしめたかと思うと、その手を目頭に当てて自分の視界を遮った。
もう片方の右手は、茶色に染まった薄い紙を握り潰し、耳を覆う。
もしかして。
否、もしかしなくても。
「ちゃん?雷苦手なの?」
カカシは繋がった手の平を握り返して、言葉をかける。
苦手というレベルではなさそうだ。
完全に怯えてる。
また一際大きな雷鳴が聞こえると、室内がビリリと振動した。
「キャァ!!」
の身体が一段と小さく縮こまる。
男の気を引こうとか、可愛く見せようとか、そういう類のモノでないのは、他者の目にも明らか。
観察力の優れた上忍達だ。
それ位すぐに見抜ける。
そして、そうさせる何かが彼女の中にある事も。
「近くに落ちたな」
そう言いながら立ち上がるアスマに続き、紅は二つのグラスを手に持つ。
「被害が無いといいけど」
紅の声はの後ろを通り過ぎた。
カタンと椅子を引く音が聞こえ、カカシが目をやると、二つ並んだ背中。
背中に口があるなら、見てないわよと語るのだろうか。
そんな失礼な事を脳裏に浮かべつつ、自分が思うよりも早く行動を起こした彼等がとても有難かった。
「ちゃん、ここは安全だからね。大丈夫」
「・・・・・・・・・はい」
か細い声が聞こえるけれど、雷鳴が轟けば彼女の身体は強張る。
カカシは繋いだ手をしっかりと握り、空いた左手は彼女の肩へ。
一定のリズムを送り、の強張った身体を解す。
ここが待機所でなければ、誰もいなければ、とっくに抱きしめてる。
包み込んで、全身で守ってあげられるのに。
もどかしい思いをカカシは二つの掌に込めた。
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2007/11/10