「何があった?」

が飛びだしてすぐ後を追ったパックンに、テンゾウは屋根から飛び降りながら聞いた。

「よくは解らん。いきなり子供に戻って、うちに帰ると言い出した」
「……子供に戻った?」
「ああ」
「幼児後退か」

辛い記憶を封じ込め、無くしたはずの記憶、遠い幸せな記憶だけを蘇らせたというのか。

雨は止んだものの、未だ雷の轟音が鳴り響く中、
は建物の屋根を渡っていた。
まるでくノ一のように。

「それにしても……」
「そうじゃな」

テンゾウと同じ事をパックンも思ったのだろう。
言葉の途中でテンゾウを見たパックンは相槌を打った。

今まで訓練も修行もしてこなかったが、大人の記憶を断ち切り子供に戻った途端、自然とチャクラを練り、屋根の上を飛び回っている。
これが、記憶を失くしたあの頃のだとしたら。
彼女がそのまま くノ一としての道を歩んでいたのなら、きっと心強い仲間になっただろうに。

彼女もそう有る事を願っていただろう。

あの時までは──────。







夏の雷、秋の稲妻 第十七話






さん!!」

テンゾウはと並んで屋根の上を飛び、声を掛けるものの、彼女はチラリと目線を動かしただけだった。

「何処へ行くんです?」
「……おうちに帰るの。みんなが待ってるから」
さん………」

言葉を繋ぐ事がテンゾウには出来なかった。

なんと言えばいい。
君の帰る場所は、君の今帰ろうとしている場所は、もう無いのなどと言えるか。
まして、今君の逢いたい人達は、もう居ないなどと。

「…………あれ?……ねぇ、お兄ちゃん、ここどこ?稲の国じゃない……」

辺りでは一番高い建物の頂点に立って、は辺りを見回した。

「此処は木の葉隠れの里。今のさんの家は此処ですよ。この里です」
「木の葉?…………どうして、私……みんなは?お父さんは?お母さんはどこ?」

低く厚い雲は里全体を覆い、あちこちで紫色の閃光を走らせる。
飛び出してすぐは、それに気を留めなかっただが、給水塔の上でまた何かを思い出したように、震え出した。
自分の両手を見つめて。

「あっ……やだ……イヤ……なんで…?」
さん!!」
「ごめんなさい……ごめんなさい……私………」
「違う、君が殺したんじゃない!!」
「…………許して……」

天に許しを請うように、は空を見上げて涙を流した。
でもその答えは、雷鳴による咎と、稲妻による罰。
轟きは声なき者の代りにを責め、稲妻はに神罰を下す為、駆け降る。

!!」

恋人の名を呼ぶ声と、千の鳥の鳴き声は、雷鳴によって掻き消されてしまったけれど、へと降りる紫の稲妻を打ち破った雷が、青白く目も眩む程の眩い光を放った。
白い世界に覆われ、優しく力強い腕に包まれる。
カメラのフラッシュは一瞬の出来事で、その光の中に自分を感じる事は出来ないけれど、は今そんな眩い光の中に居た。

………」

雷を己の忍術で叩き切ったカカシが、もう一度、恋人の名前を呼ぶと。


「………カカ…シさん………?」

今の自分を取り戻したが顔を上げて。

その白く清らかな世界が、元の世界に戻る時、は最愛の人に抱かれ意識を手放した。

……」

糸の切れた彼女の身体をぎゅっと抱きしめた後、カカシはを抱えて、後輩達の立つ屋上へ静かに降り立つ。

「先輩……」
「色々ありがとね。は連れて帰るよ」

礼を言われる事など、してはいないのだが。
触れぬと約束したから、見守っていただけ。
ただあの時、カカシの気配を感じていなかったら、忠実な後輩には成れなかったかもしれないけれど。

「カカシが来た事で、元に戻ったか」

先の状況を忍犬は主に伝えて、まだ精神と記憶が安定していなから気をつけろと警告を残し、帰って行った。





後輩と忍犬と別れたカカシが来たのはの部屋。
開けっ放しのベランダの窓からは、風が入り込み、カーテンの布地を揺らしている。

彼女に振動が伝わらないように。
身体のバネを利かせて着地したカカシは、なんとかサンダルを脱いで部屋の中に入り、をベットの上に下ろした。
意志を持たないはずのの身体は、カカシが離れる事を拒んでる。
忍服の胸元をきつく握り締めているの手を見て、カカシは切な気に微笑みながら、その傍らに寝そべった。


─────ごめんね……


真実を探る術を持たないがどれだけ苦しんだのか位、
想像が付く。
いくら相手を信じていても、悲しみと不安の渦は容赦なく襲ってくる。
それに対し、自分なら、真実を探ろうとする事で、飲み込まれず、なんとかもがいている事は出来るけれど。


────傍に居るから……


少し痩せた彼女の頬に謝りながら口付けて、カカシはを胸に抱き、忍服を掴むその手を握った。


────またの笑顔、見せてよ……


張り詰めた糸は切れる事無く、そのままだけれど、作戦開始から休みなく動いていた身体が、意に反して夢を見させる。
それは、幼いあの頃の夢だった。







「本当にありがとうございました」

娘の窮地を救ってくれたカカシに、母親であるサトミが礼を言って頭を下げたのはもう何度目か。
でもこれは別れの挨拶でもある。
事件の翌朝、護送の準備が整い稲の国を出るカカシ達を見送る為に出向いて来たのだ。

「春にはそっちに行くから、待っててね。カカシお兄ちゃん!」
「ああ」

は満面の笑みを湛えてカカシを見上げていた。

「早く一緒の任務に行けるようになりたいな」

先急ぐ娘に母親が苦笑いをしながら一言。

「その前にアカデミーに入らなくちゃね。それから卒業試験に受からないと」
「わかってるー。もう!」

当人達を差し置いて、回りの大人達がそのやり取りに笑い声を上げて。
それに釣られ、この母子も声を上げて笑い、カカシは はにかむ。

の実力なら、アカデミーのカリキュラムを相当スキップして、すぐさま下忍となるだろう。
自分と同じように。
時代は戦乱の最中、実力のある者はどんどん上に上がって来る。

「じゃあ」
「うん」

子供達の別れと同時に、他の仲間たちも各々最後の挨拶をして、カカシ達は飛び上がった。

「木の葉でまた会おうねーーー!!バイバーイ!!」

明るいの声が、緑の風に乗る。
振り向きはしなかったけれど、カカシの腕は空に向かって伸びて、バイバイと揺れた。

同僚達が跳びながらチラリと。
そんな二人を垣間見た大人達は、友との別れの風景と同時に、小さな恋の始まりも見た気がした。





夢から覚めてすぐ、カカシは異変に気付き、勢いよく目を開けた。
眠るつもりはなかったのに、相当深い所まで落ちていたのだろう。
自分が忍者失格か、はたまたの覚醒の所為か、腕に抱いていたはずの彼女が、其処には居なかった。
でも、こんな香りに包まれて目覚めた朝は、何時以来だろうか。
ゆっくりと体を起こせば、台所で忙しなく動くが居た。





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2009/03/13 かえで




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