「ナニやってんの?お前」

喉を絞りつつも、腹の底から湧き上がるような低い声に、ゆっくりと体を起こせば、
喉元を追うクナイが鋭い光を放つ。

「そこからはオレの役目でしょーよ」

怒りを露わにしたよく知る男の声が、部屋の中を冷たく流れた。








夏の雷、秋の稲妻 第十六話








低く、肩の位置で両手を上げ、クナイを突き付けられた男は、相手の名前をたどたどしく呼ぶ。

「カカシ先輩……」

後ろを取られた事など、全く気付かなく。
やはり流石と謂うべきかと、手の平を上げた男は苦く笑って、目線を足元に落としながら嘘を吐いた。

「冗談ですよ、冗談」
「オレ、そういう冗談嫌いなんだけど」
「でしょうね」

本物のカカシは、偽物である男を後ろから睨み付けながら話すが、
偽物の気配に然程の乱れも感じられない。

「それに。冗談には見えなかったけどね」

カカシもこの男の嘘を見抜いていた。
取り繕い、茶化したこの言い訳は、事の始終を見ているカカシに対して使う言葉。
背後を取られ、クナイを突き付けられるまで、カカシの存在を感じられなかったのだから、冗談もない。
カカシが居なければ成立しない話なのだから、この言葉は嘘だと見抜ける。

「出来れば……。
 この姿で抱きしめたかったって言ったら、先輩、僕をどうします?」

クナイを突き付けられた男は白煙を上げ、にはヤマトと、
そしてカカシにはテンゾウと呼ばれる、元の姿に返った。

「それが本心ってわけ?」
「ええ、まぁ」

二人の視線はベットに横たわるに向けられ、カカシがホルスターにクナイを仕舞えば、
テンゾウは静かに両手を下す。



「この数週間、ずっと彼女を見て来ました」



テンゾウは感慨深めに、ゆっくりと述べた。

カカシが出立してからの数日は任務の合間に。
草の情報が入ってからは、正式任務となり、一日中彼女の影を追った。

職場での働きぶりや、友達と交わす明るい笑顔に元気を貰って。
店の客に向ける穏やかな笑顔には、つい己の顔まで微笑んでいた。
裏の世界からカカシ同様、表へと飛び出て、
命を与え育てるような術を使うこの男にも、乾いた部分がある。
それを今までは自覚していなかったのだ。

植物を育てるには、太陽と、空気と、水。
の明かりに活力を貰い、
の取り巻く空気に心地良さを感じ、
彼女が注ぐ水に潤される。
そんな毎日。
癒しという言葉を、人は良く考え付いた物だと思うほど、その意味合いがしっくりくる。


カカシはテンゾウの言葉を黙って聞いていた。
ずっと見て来たと、そう言ったテンゾウの口調とへの眼差しで、心の中が伺える。
を見て、何を貰い、そして何に魅かれたかなどは、それこそ手に取るように。
己がそうなのだから。

「彼女、カカシ先輩が任務に出ている間もずっと……前を通る度に、待機所を見上げるんですよ」
「……」
「すると唇が少し動くんです。なんて言ってると思います?」
「さぁ」
「先輩の名前を呼んでるんです」

テンゾウは小さく溜息を付いて、肩を揺らした。

「付け入る隙がない事も分かってます。彼女の中には先輩以外住めない」
「お前でも、感情が先走る事があるんだ」
「…ええ、驚きました」

ごく僅かな微笑みを浮かべ、テンゾウの優しい瞳がを映す。

「先輩が割り行ってくれたお陰で助かりましたよ。でないと僕は…彼女に酷い事をする所でした」
「……」
「カカシ先輩に殴られるくらいは、どおって事ないんですがね。彼女には申し訳ない。姿は先輩でも僕ですから」
「……お前」

そこまで好きなのかと、問い掛ける言葉をカカシは呑み込んだ。

「愛されてますね、先輩」
「……まぁね。オレも負けないけど」
「知ってますよ」

どちらも愛の分量は同じ。
カカシもも、ギリギリいっぱいまで、お互いの事を愛しているのだと。
そんな事は分かりたくなくても、分かる事。
悔しいけれど───。
 
「宣戦布告はしませんから安心して下さい。奪えたとしたって、身体くらい。それじゃあ意味がありません」

欲しいのは、愛し愛される関係。
心が通い合わなければ意味が無い。
カカシがを裏切る事はなさそうだし、彼女も他の男には靡かないだろう。

「あれだけ泣かされたって、先輩を想ってるんですから。羨ましいですよ」

真っ直ぐにを見つめて、テンゾウは背後のカカシに語った。

彼女自身に魅かれて、カカシを想う彼女の姿に惚れた。
その対象に自分が取って代わりたいという気持ちは大いにあるけれど、それは自分に向けられている愛ではない。
もし仮に今回の様な事が現実に起きたとして、彼女の隙間に入り込めたとしても、
彼女は同じ愛し方を、もうしないだろうから。


「ふう〜」


カカシは大きく溜息を付いて、テンゾウの横を通り過ぎ、の眠るベット脇の床に腰を降ろした。
胡坐を掻いてベットの淵に片腕を這わせる。

「お前さ、ナニ一人でカッコつけてんの? オレにはつけさせてくれない訳?」
「は…ぁ……」
「はぁ、じゃないよ。こういう場合、はお前に渡さないとかって、言うでしょ、ふ・つ・う!
 言いたいでしょーよ。……分かってないねぇ」
「あー、まぁ、そういうもんですかね?」
「そういうもんなの」
「別に、先輩から奪う気はありませんし。
先輩の事を好きで待ってる彼女が綺麗だったっていうか、そんな部分も好きだったり……」
「お前にも見つかるよ。そんな相手が」
「だといいですが…ね」
を見てて、血が通ったんでしょーが。だったら、大丈夫でしょ。オレが保障してアゲル」
「……。先輩の保障期間って、短そうですね」

テンゾウがそう言って薄ら笑いを浮かべれば、カカシの足は後輩の脛を蹴る。

「痛いですよっ」
「これ以上の事するつもりだったのに、許してあげてるんだけど?」
「………すいません…でした」

唇を重ねようとした事を詫び、テンゾウは軽く頭を下げた。



「僕が帰る前に、ちょっといいですか?彼女の事で」

少しの間を置き、仕切り直した顔のテンゾウがカカシに聞いたのは、
自分達の事を何時から見ていたかという事だった。

「遠くから、の部屋の周りに居る、テンゾウ君の姿が見えました」
「はい……」
「テンゾウ君がオレに変化すると、が部屋から出て来ました」
「あぁ、そうですね」
「…………。全部言えっての?」
「あ、いえ。それでですね。彼女……」

別れ際の様子が気に掛かり、を見ていたのだと、テンゾウは言った。
記憶の一部を取り戻したのではないかという事と、カカシの居ない現実に追い詰められていた事。
それが雷の相乗効果により、精神の崩壊寸前だった事をテンゾウはカカシに伝えた。

「どう思い出したかは分からないんですが、「私が」という言葉が気に掛かります。
 その後に両手を凝視して、手の平を拭っていた所を見ると……」
「……………私が殺した?……か」
「恐らくは」

カカシの深い溜息が、床に落ちた。

「インパクトの強いものから思い出しちゃった?」

に問い掛けたカカシは身体を捻って、の腕に軽く触れた。

ぼやけた何気ない、日常風景の断片から思い出す場合もあれば、
衝撃的な映像から思い出す場合も有り、
大抵思い詰めた時に思い出すのは良くない事の方が多く、繋がらない記憶は本人を苦しめる。

「中途半端に思い出したんなら、全部思い出そうか……
「退行催眠……ですか?」
「ああ。いずれはと思っていたんだけどね」

忘れたままでも、精神のバランスが保たれるのならば、無理強いする必要はない。
が失ったのは、その殆どが大人になると霞み消えてゆく、子供時代の記憶だからだ。
しかし、ここまで闇に飲み込まれてしまうと、そうも言ってられなく、
出来るだけ早く過去の呪縛から解き放してやりたいと、カカシは綱手の手に委ねる事を決めた。

そんなやり取りの最中。
ベランダの小さな影に気づき、二人がそちらに目を向ければ、
片足を上げた犬、カカシの忍犬パックンがちょこんと座っていた。
音を極力立てず、テンゾウが窓を開ければ、忍犬はゆったりと歩を進め、部屋の中へと入ってきた。

「一報は届けたぞ」
「ありがと、パックン」
「じゃが、そろそろ行かないとな」
「あぁ、分かってる」

里に到着し、帰還の一報をパックンに持たせ、部隊は一旦近しい者の元へ飛んだ。
無事な姿を見せた後、綱手の眼前に集結し、これまでの経緯を報告する段取りだ。

は……流石に弱っとるの……。
 お主が戻るまで此処に居るから、行って来い。そう時間も掛からんじゃろ」
「多分ね」

豪快豪傑な女帝は、労を労い、簡潔な報告だけを求め、詳細は後日報告書を提出という形を取るだろう。
そして部下の姿が見えなくなると、彼等の無事に安堵した表情を浮かべる。
高ランク任務へ出た部下を出迎える綱手のスタイルだ。
それに、拘束した草の尋問にも立ち会うだろう。

「僕は………」

草は捕えられ、カカシは帰還した。
自分の役目は終わったのだから、此処に居る必要も名分も無いのだけれど、
さっきまでのを思い出すと、忍犬だけでは心許なさを感じる。
だから、テンゾウは「外で待機していましょうか?」と付け加えた。
カカシが戻ってくるまで。

「今度は指一本触れませんから」
「悪いね、テンゾウ。続行しててくれる?」

想いをぶつけられたばかりだけれど、後輩の言葉は信じられる。
テンゾウの事以外で、カカシの中の警報が音を鳴らしているのだ。
から感じる僅かなチャクラ。
その乱れ。
何も無ければ、それで良いのだが。

「了解しました」
「じゃ、行ってくる」

退行催眠の事もあるしと、カカシは忍犬と後輩にを託し、部屋の窓から出て行った。

「僕は上に居ます」

天井を指し、屋根に居ると告げたテンゾウも、部屋から姿を消した。




「気が乱れとるのぅ……」

一見静かに寝ているように見えるのだけれど、その内側は黒く渦を巻いているようだ。

「…………カカ…シ……さん……」

今までピクリとも動かなかったが、探すように手を動かす。

「ん………」

感覚で感じ取っていたカカシの気配が無くなった事に、気づきでもしたのだろうか。
寝苦しそうに、シーツを掴んだは、もう一度カカシの名前を呼んだ後、また静かに眠った。




様に見えたのは、僅かな時。

朧げに開かれたの目は、焦点が定まっていない。

!お主気が付いたか?」

パックンの呼びかけにゆっくりと首を動かし、は「ワンちゃん……」とだけ答えた。

「おい、しっかりしろ。カカシなら戻っておる。今報告に行っただけじゃ!!」
「カ…カシ……?」
「どうした……忘れた…か……?」
「あ!!」

カカシの事を忘れる訳なかろうと思いつつも、口に出した言葉ではあったが、
の思い出したような叫び声に、びっくりさせるなと忍犬は一瞬胸を撫で下ろすけれど。

飛び起きたの口が語ったのは、カカシの事では無かった。

「ただいまって……言いに行かなくちゃ」

の異変を犬は感じ取る。

「……誰に言う?」
「お父さんと、お母さん。あと、みんな。おかえりって言ってもらうの」
…お主……」

両親が死んだ事をきっと理解していない。
記憶を失う前の強い想いがを幼くさせ、こんな言動を取らせているのだ。

「お父さんとお母さんの所に帰らなくちゃ!!」
「帰るって、何処に!」

パックンがそう叫んだ時、は窓を開き、ベランダへ出る。

「おうち!!」
「待てッ!!」

は忍犬の制止に聞く耳を持たず、三階のベランダから飛び降りた。




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2008/08/28 かえで


BGM 拭えない憂鬱