「丁度いい。頼みたい事がある」
ゲンマは咥えていた千本を口から離すと、それを指先で器用に回転させた。
────!
その刹那、
八つの目がゲンマを見据える。
これは合図だ。
ゲンマの口唇術が始まる合図。
結界忍術、封印術、場を隠す忍術は数あれど、その場所を覆うように感知忍術を発動されていた場合は、何かあったとすぐに察知される。
何故ならその場所だけが感知出来なくなるからだ。
そんな危険のある場合に用いられるこの会話。
曲がりなりにもここは執務室。
極秘資料を取り扱う場合など結界を発動する事は多々あるが、今は使えない。そういう事なのだろう。
という事は、もしやと。
万が一の為、微かなアイコンタクトだけを交え、熱の冷えたアンコはそのまま偽りの怒りを継続し、他の三人はそれを宥めるようにゲンマの姿を取り囲んだ。
声と同時に唇の動きを読む彼ら。
これからは鼓膜に伝わる音とは違う語彙が含まれる。
「帰還までいましばらくかかるだろう。それまでに慰霊祭の準備をしておいてもらいたい」
「慰霊祭……?」
「ああ、そうだ。正確には“合同慰霊祭(草を刈る薬)”だがな。」
ゲンマは淡々と語った。
「……分かった。慰霊祭の“準備”をしておけばいいのね」
アンコも解った上でそう言う。
草とは密偵の事。
草を焙り出す為に、準備だけをすればいい。
これで全ての合点が云ったと、全員は思った。
任務は守秘性を重んじるもの。
何も、暗殺を依頼して来た人物や事柄だけを隠せば良いというものではない。
今回の様に各国から指名手配を受けている人物の確保に置いても、遂行中の守秘性は重要だ。
情報の漏洩は任務の失敗に繋がる。
仮に任務に失敗したとしても、今回の様に部隊の帰還を待たず公にするのは珍しい。
秘密裏に次手を用意するのが定石。
でなければ任務自体の延期、断念を意味する。
慰霊祭の準備を行うというのは。
この事で一時里は、任務から撤退すると見せかけるつもりなのだろう。
きっと噂の出所も目の前の男だと確信した。
そして亡骸はあると言ったさっきの話も、偽りだと読んで良いだろう。
報を受けたのだとゲンマは言ったが、誤報という場合もある。
里切ってのエリート達の死亡を、巻物一つで確定するだろうか、この男がと。
これがアンコに、ゲンマの所へ足を運ばせた矛盾点であり、怒りの切欠だ。
特別上忍の面子が揃い、仕事の手を休めていたあの時間、あのタイミング。
仕組まれていたようだ、この男に。
「修復は木の葉病院?」
「ああ、依頼しておいて欲しい」
「二名以外全員なの?ねぇ、ゲンマ!」
「全員”分(無事)”だ」
「なんなのよ、それ……」
「相手の方が上だったんだろう(俺は仲間のだとは言ってないだろう)」
良かったと胸を撫で下ろすその姿は、態と見せる落胆の色。
遺体の修復も、その旨だけを伝えればいい。
実際に爆発はあったとしても、現在の彼らは任務遂行中の身なのだから。
「応援がいるんじゃないか?決まってるのか?」
ライドウは態と顔の傷を指で触りながら、ゲンマに問いかけた。
ゲンマにも、仲間にも、その意味合いが分からない筈がない。
ライドウの言う応援は、自分達の仕事を手伝って貰う者の事ではなく、草の仲間、密偵の状況確認だ。
そしてゲンマは千本を外したまま。
「“上忍(一般)”と“俺達(伝令)”だ」
一般人と伝令係に紛れた草が居ると、ゲンマの唇が語り、ハヤテがゲンマに問う。
「上忍ですか?」
「ああ、そっちの方が数が多いな」
「打ち合わせがありますので、どなたが代表か教えて下さると助かるんですが」
そしてまたゲンマの千本が、その時特有の回転を見せた。
夏の雷、秋の稲妻 第十三話
夜が深くなり、執務室に一人となったゲンマは、白い箱を携え部屋を出る。
簡単な忍術でゲンマが鮮度を保った其れは、昼間アンフィーユに注文した品、が作ったベーグルサンド。
この時間、未だ煌々と明かりの灯る火影室の中へゲンマは入って行った。
「悪いな、遅くに呼び付けて」
「いえ、俺も報告に上がろうと思っていた所です」
「首尾は?」
「上々ですよ。結果、アオバがスケープゴートになっちまいましたが」
「良く言うよ。そうさせたんだろう?」
全て知っていて見通している癖に、この女帝は笑いながら知らない振りをする。
「人聞きの悪い事言わないで下さい。ただ俺は受付に頼んだだけですよ。里の現状を詳細に伝えてくれと」
そう謂うゲンマも意地が悪いが。
アオバの帰還予定時刻までゲンマの所に届いていた。
報告を済ませても、アオバは一旦顔を見せに来る事が多い。
その時に自ら伝えれば済む事を、態々受付に言わせたのは、彼の言動を読んでの事。
受付の中忍も多くは語らず、しかしゲンマの思惑に気づいた。
アカデミーの花壇を見つめ自分の話を聞くイルカに、
「綺麗に咲いていますね。余計な物が生えると厄介ですよ」と、ゲンマは付け加えただけなのだが。
彼の事だから、さぞ上手い演技を見せたのだろう。
「仲間を思う気持ちはいいが、あいつは熱くなりやすい」
「これで懲りたでしょう、アオバも。三度目は無いですよ」
「三度目の正直か。二度有る事は三度有るとも言うがな」
「それを言わんで下さいよ……五代目」
「アハハハ、悪い、悪い」
綱手は悪びれる事も無く、カラリと笑った。
「綱手様、夕飯は食べられました?」
「なんだかんだと忙しくてな。まだなんだよ。なんだいゲンマ、御馳走でもしてくれるのかい?」
ゲンマが持つ箱にチラリと目をやった綱手は、笑いながら言う。
面に印刷されたアンフィーユの文字を見せながら、ゲンマはそれを机の上に置いた。
「(アイツ)が作ったもんですよ。良かったら食べて下さい」
へぇと歓心した面持ちで綱手は箱を開ける。
中身は蒸し鶏を甘辛い赤味噌で和えたベーグルサンド。
鳥のササミと酒は綱手の好物である。
「美味そうじゃないか。後でゆっくり頂くよ」
綱手の顔が懐かしさと嬉しさを含んだように見えるのは、自分がとの経緯を聞いたからだろうか。
ゲンマはそう思いながら、綱手の言葉に頷いた。
「様子はどうなんだ?」
らしくない溜息を吐いてゲンマは言う。
「生殺してる気分ですよ……」
「だろうな」
を苦しめている嘘。
事実を語れないその訳を、綱手とゲンマは脳裏に浮かべた。
数日前。
今日よりも随分と遅い時刻にゲンマが訪れた火影邸には、任務に出た筈のカカシの姿があった。
ベストと同色の幕が幾重にも渡り、赤い絨毯の敷かれた部屋の一段高い場所に、火影の座る椅子と机がある。
「綱手様から聞いたよ。紛れ込んでるヤツが居るって?」
「ああ」
ゲンマが来た事で少し斜めに立ち位置を変えたカカシは、綱手とゲンマの中間、三角形の頂点に位置し、二人の方へ体を向けている。
「カカシに思い当たる節があるらしい。ゲンマ、これまでの状況を含めて現状を報告しておくれ」
綱手はそう言うと、胸の前で腕を組んだ。
「分かりました。カカシさんが任務に出てすぐですよ。気づいたのは」
咥えた千本を揺らしながらゲンマは語り始めた。
召集や、里との伝達に使われる忍鳥。
それを取り仕切るのが伝令班だ。
その班の一人、新人チガヤの言動に不信感を抱いたゲンマ。
産休に入るくの一の替わりに配置されたこの男は、マニュアル通りの仕事は、そつなくこなしていると報告は受けた。
しかし会ってみると、打っても響かないというのであろうか。
機転が利かない。
この仕事に措いては新人でも、会話の中で全て語らずとも察する所があるだろう。
同じ時間の流れを、この里で共に過ごしていた仲間ならば。
木の葉の諜報を担う男、不知火ゲンマは、仕掛ける側の人間。
小細工やまやかしは効かない。
侮るのも大概にしろと。
「目的はまだ解らない?」
よね、と繋げる言葉をカカシは呑み込み、ゲンマは首を縦に振りながらも、何かを探っているようだと話す。
数日の内に全て暴くのは難しい。
捕えるのは何時でも出来るのだから、今は泳がせているのだと見て良いだろう。
「そいつかねぇ、リークしてるのは。流石に他には居ないでしょ?」
草の潜入をそう容易く許す事は無いだろうと思いながら、カカシは聞くが、二人の顔に渋さを増す。
「もしかして他にも居るの?」
「チガヤとの接触を確認しましたから、仲間でしょう。別件では無さそうです」
「アララ、里も通り抜け易くなったもんだねぇ」
「そう云うなよ、カカシ」
今まで黙って話を聞いていた綱手が、ばつ悪そうに口を開いた。
「チガヤの移動は正式なものだ。就任直前もしくは直後に入れ替わったんだろう。早々に気づいたのはゲンマのお陰だよ。それに他の草に至っては、紹介状その他完璧なまでに偽装されている」
「という事は一般人に紛れ込み、それなりの組織に属した人間が里に潜伏して居ると」
「そういう事だ」
綱手は唇の前で掌を組んで、言葉を纏めた。
「しかし奴等は詰が甘い。泳がせておけばその内しっぽを掴めると踏んだんですが。カカシさん、そろそろ話して貰えませんか。五代目から任務内容に付いては聞き及んでいます」
「大角はオレ達が着く前に根城を他へ移した」
「まさか、見失ってはいないだろうね」
「その点はご心配無く。待機していた数名が同行しています」
「タイミングが良すぎると云う事ですか」
「そういう事、ゲンマ君」
カカシはやや顔を緩めて言った。
「偶然なら身代わりを仕立てたり、起爆札なんて大量に仕掛けないでしょ」
「大角を死んだと見せかけるって事か。お前達にも死んでもらって」
「ええ」
身代わりはカカシ達をおびき寄せる生餌。
「だからそれに乗っかろうと思います」
「逆にお前達が死んだと見せかけるって事かい」
「はい。奴等、数は多いですが、連携もさほど密では無さそうですし、底が浅い。こちらの手が読まれているなら、後方に居る数名の事も分かっている筈です。上手く嵌められるでしょう。次の作戦に移るには少々時間が掛かりますので」
相手は生き残った医療忍が訃報を飛ばし、里へ帰還すると見込んでいる筈。
「で、新しい大角の塒ですが」
カカシは綱手の机上にある地図を指差した。
「現在は此処にいます。そして我々は此処を拠点に。何しろ奴等、数だけは多いです。突入後逃走されない為に一気に潰したい」
「分かった。手を回しておく」
「お願いします。…ところで、他に潜伏してる草というのは?」
綱手の眼前に立つカカシとゲンマ。
一瞬顔を見合わせた綱手とゲンマの間をカカシの視線が切り裂き、ゲンマは決意でもするかの様に目を伏せた後、口を開いた。
「木の葉病院の事務係として一名。酒酒屋の店員に一名。それから……」
「 ? 」
口籠ったゲンマにカカシは首を傾げて。
「アンフィーユの店員に一名です。この三人、同時期に里入りしています」
カカシの眉山が上がり、その目が若干見開いた。
「すでに各所には暗部を配置し見張らせている。木の葉病院の医院長には念の為、話を付けてあるし、酒酒屋は今の所問題は無いだろう。気掛かりはアンフィーユだな。どうする?作戦変更するかい?」
上目使いで自分を見る綱手に、カカシは一呼吸置いた後「いいえ」と静かに答えた。
「そう言うとは思ったよ。お前のよく知る暗部を警護に付かせてある。その点は安心をし」
自分のよく知る暗部、数日前の事を頼んだテンゾウを指すのだろう。
後輩の彼にだって任務はあるだろうと解って居ながら頼んだのだが、それがの警護になるとは。
「その変わり。こっちもお前の案に一枚噛ませてもらう。だから、」
「分かっています」
真実は話せない──と。
その夜カカシは遠い木の影から、の部屋の窓を見つめた。
「…」と胸の中で囁いた彼女の名前。
それに呼ばれたかの如く窓が開き、の姿が窓枠から飛び出してベランダからこちら側を眺めている。
届く視線と、届かない視線。
今は交える事が出来ないけれど。
彼女の視線はそのまま頭上の月へと移り、カカシは月を見上げるを見つめた後、里を離れた。
「此処まで来た以上、耐えて貰うしかないよ」
ベーグルの入った箱にの姿を重ね、苦慮の表情を浮かべる綱手。
「しかし奴等の目的が、監獄の見取り図と収容者名簿とはね」
「依頼されたのか、組織の人間を破獄させようとしているのかは分かりませんが。それは追々イビキにでも」
「そうだな。まずは餌に食い付いた魚を釣り上げる事だ」
「はい」
餌となる改ざんされた資料も出来上がった。
資料の窃取か諜報か、どちらの比重が重いのかは分からぬが、盗み取って何時までも里には居ないだろう。
餌を撒くのは明日以降。
特執内が偽りの慰霊祭準備で手薄になった時。
正確にはそう見せかけた時だ。
「捕獲の際、ゲンマ、お前が隊長だ。並足ライドウ、山城アオバ、みたらしアンコの三名を同行させろ。話は私から各自に通しておく。引き続き頼んだよ」
「御意」
一礼したゲンマが部屋を出てしばらくすると、綱手はカモフラージュの為に背後の窓に映した幻影を解いた。
カカシに見送られて、部屋から出て来たを視界の端に捕らえた時には、幸せそうな空気が彼女を取り囲んでいた。
しかし今は。
窶れ困憊しているのが見て取れる。
面で顔を隠し、アンフィーユから出て来たの動きに付いて行くと、一人の女が彼女の背後を追っていた。
ふらふらと足元が覚束ないを眺め、笑みさえ浮かべている様に見える。
偽の情報は正確に草の根まで届いていると見ていい。
が自室に入るのを確認し、その女は踵を返す。
その時に女の仲間であるくの一が姿を現した。
二人が近くの木々へ姿を隠すと、テンゾウは木を媒体として、彼女達の話に耳を傾けた。
「慰霊祭やるって」
「へぇ、そう」
「部隊長の女、まいってそうね」
「少し突っ突いたらあの様よ。苦労知らずのお嬢様はか弱いわね」
「何言ったんだか」
「別に。本当の事だって」
「ふ〜ん、そう。まあいいわ。じゃあね、ツクシ」
「うん。じゃ」
音を立てずに飛び上がった二つの影は、闇へと紛れ、カカシと、二人を思うテンゾウの溜息が夜空に溶け込んだ。
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2008/06/20 かえで
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