「兎に角、家に帰りましょう・・・。」
「・・・。」
足早に駆け出すの背中を見つめ、紅は素早く印を組み、小さく唱えた。
涙の数だけ ACT 5
「適当に座って。」
「・・・うん。」
キッチンに立つ紅にチラリと視線を送って、はソファーに寄り掛かると床に腰を降ろした。
「・・・あてられちゃったね、紅。」
の言葉には答えず、自分の育てたハーブで作ったお茶を差し出す。
「落ち着くわよ。」
「ありがとう・・・。」
紅は自分のマグカップを持って、の隣に静かに座った。
少し離れたダイニングの椅子に腰掛ければ、心の叫びを聞き逃してしまうかもしれない。
正面に座れば、は無理矢理に笑顔を作る。
ソファーに座って上から見つめれば、きっと全てを隠す。
覗き込まなければ相手の顔は見れないけれど、の気持ちを肌で感じられる距離。
「。」
「ん?」
「カカシの事が好きなんでしょう?」
「うん。好きだよ。」
さらりと答え、「温かい〜」とカップを握るの顔は、悲しげに微笑んで。
「だったらなんで・・・。」
「付き合わないか?」
「ええ・・・。」
「ねぇ・・・紅・・・。普通抱かれるのっていいものでしょ?私はね・・・あんまり。そんな事で愛想つかされたくないし。」
は言い終わると、少しづつお茶を飲み込んだ。
温かい塊が、乾いた喉と心を潤す。
「・・・少し立ち入った事、聞いて良い?」
「うん。」
「何人位とお付き合いしたの?」
「・・・二人。ほら、思いっきり振られた相手と、その次は上忍になる前に付き合った人かな。なんとなくカカシに似ててね・・・。すぐ別れちゃったから、言いそびれちゃったけど。」
「そう・・・。初めての方は兎も角、次の相手の時はカカシを好きだったって事?」
「・・・そう・・・だね。」
冷えた指先を温めながら、丸めた膝にカップを乗せてはゆっくりと答えた。
「あなたね・・・。気持ちが其処にないんだもの、当たり前じゃない。」
「やっぱり、そういうもの?」
「切り離す事も出来るわよ。それには時間も経験もあなたには足りないし、第一はそういう事が出来ないタイプでしょ。」
「・・・だけど、相手も楽しそうじゃなかったよ。」
「の事が好きだったのよ。案外男もデリケートだから。」
「そっか・・・不感症になったかと思った・・・。」
味気なく笑うを視界の端に捕らえて、質問を投げかける。
「カカシには?抱きしめてもらいたいとか思わないの?」
「・・・いつも思うかな・・・。カカシの手が触れると、身体が熱くなって・・・何だか、おかしくなりそうになる。」
「だから逃げてたの?」
「・・・うん。」
紅は大きく溜息を付いて、持っていたカップを床に置いた。
静かな部屋に床の鳴る音が二回響くと、空気の流れが僅かに変わる。
「カカシの話はいいじゃん。彼女が出来そう出し。どんな子なんだろうね。」
「悲しい時は強がらないでいいのよ。そうやってすぐ誤魔化すんだから。カカシがいないと泣けない?」
「・・・え?」
「私が気づいてないとでも思う?大抵カカシがいる時よ。が涙を見せるのは。」
「・・・。」
紅の言う通りだった。
前の彼は自分から別れを切り出した。
友達の前で泣く様な悲しい事件も起こっていない。
人前で本を読んで泣くなんて事、今までなかったのに、カカシといると心が和らいだから。
自分の脆さも、弱さも、受け止めてくれたから。
自然と涙が零れてた。
でもそれを自分から手放した。
―― もう、カカシの胸で泣けないんだ・・・。
「でも・・・もう泣けないね・・・。他の女が自分の彼氏の前で泣いてたら気分悪いもん・・・。今更遅いよね・・・そんな事に気づくなんて・・・。」
はカップを床に置いて、丸めた膝に顔を埋めた。
「それで、カカシと付き合わない本当の理由は何?」
「え?」
思わず顔を上げて横に座る紅を見つめて。
合わさる視線に戸惑い、それを宙に泳がせた。
「そんな理由じゃないでしょう。ここまで話たんだから全部吐き出しちゃいなさい。」
は目線を前に戻して、膝をぎゅっと抱きしめると語り始める。
「・・・始まらなければ、終わらないと思ったから・・・。」
「付き合う前から別れる事を考えてたの?」
「・・・うん。だって人の気持ちは止められないでしょ。」
「もう少しカカシを信じてあげたら?」
紅は隣に座ってから初めての顔を覗き込んだ。
「カカシの事は信じてるよ。でも・・・。」
カカシならきっと裏切らない。
自分の領域に入った者ならば、命すら省みない人だから。
だけど、万が一なんて場合が起きたら、どうすればいい?
「でも、なに?」
「振られた人の事は好きだったんだ・・・。だけどね、そんな事もすぐに忘れてカカシを好きになったの。そんな自分が複雑で・・・。振られた理由も他に好きな子が出来ただったし。だから、人を好きになる気持ちって、押さえられないなって分かって・・・。」
「それでいいの?」
「だって、付き合わなければ友達でいられるから。」
「それで楽しい?」
「カカシを失うのが怖かったの。それ位好きなの。もう・・・訳わかんないよ・・・紅・・・。」
涙が一筋流れて落ちれば、後から後から溢れて来て。
紅は優しく微笑むと、の肩をそっと抱いた。
「その気持ち、カカシにぶつけたら?喜ぶわよ。」
「もう・・・遅いじゃん・・・。何やってるんだろ・・・私。」
「そんな事ないわよね、アスマ。」
「ああ。」
玄関に続く廊下の扉を見上げればカチャリと開き、入って来たアスマは近くの壁に背中を預けた。
「だって・・・さっき・・・。」
「カカシとは今日一日、一緒に居たぞ。」
「え?どういう・・・。」
こみ上げてくる涙と息を必死で押し留めて、は言葉を搾り出した。
「さっきのは私の幻術よ。ったら全然気が付かないんだもの。今度みっちり仕込んであげる。」
「うそ・・・。」
「本当よ。」
そういえばカカシを見る前に、生暖かい風に纏わり付かれた気がしたと思い返して。
「もう・・・紅の意地悪・・・。」
「だって、全然素直にならないんだもの。痛々しくって見てられないわよ。それに相手の子は昔のだったはずだけど、気が付かなかった?」
は驚いた顔をして、首を振った。
「それだけ、頭に血が昇ったって事だろ。ちなみにカカシも聞いてたからな、さっきの話。」
「なっ・・・ちょっと・・・どこから・・・。」
紅に送っていた視線を再びアスマに戻して。
「『カカシの話はいいじゃん』 から、 『人を好きになる気持ちは押さえられない』 辺りまでだな。後はお前の口から直接聞くって出て行った。部屋の外に居るぞ。」
アスマは親指を後ろに向けて、玄関を指した。
「カカシの処に行く?」
「・・・うん。」
「やっと吹っ切ったか・・・。」
は立ち上がると、扉の方へ歩いて行った。
それを紅が後ろから見守って。
「アイツに可愛がってもらえ。」
涙の残るの顔を見たアスマは、くしゃっとの頭を撫でて意味ありげに笑う。
「もう!!・・・・・・二人共ありがとう・・・。」
「は〜い、早く行った、行った!!」
紅に背中を押されると、玄関でもう一度お礼を言って、は部屋の外に飛び出した。
「ふ〜・・・これで一件落着ね。」
「そうだな・・・。」
「アスマ、何か飲む?」
「やっぱ酒だろ?」
「そうね。祝杯でもあげましょう。」
床に腰掛けたアスマは、煙草に火を点けると、美味しそうに煙を吐き出した。
「ったく・・・カカシに、一日付き合わされたこっちも大変だったんだぞ。」
「はい、はい。でもよく分かったわね、来て欲しいタイミング。」
「まあな。」
紅がにこやかに缶ビールを差し出すと、それを受け取ったアスマはコツンと二回床を鳴らした。
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