(………いた)
流川が図書室のドアを開けると、昨日と同じように人気のない室内に一人の少年の姿を見つけた。今日は昨日とは違い、キチンと席に座って熱心に本を眺めている。
流川が正面の席に着くと、それに気付いたが顔を上げた。
「!!」
椅子の脚がガタッと音を立てて下がるが、流川に一睨みされ(無意識)なんとかその場に踏みとどまった。
「〜〜〜っ」
言うべき言葉を探しているのか、とるべき行動を迷っているのか、真っ赤な顔でうろたえるを見ていると、流川の中になんとも形容し難い感覚が湧き上がった。充足感のような、征服感のような…。なんだかよくわからないが、とにかく満足だ。
(………俺、…サドか…?)
などと考えているうちに、は流川を気にしない事に決めたらしく、椅子の位置を直すと、また本に視線を戻し始めた。
の読む本を見ると、飾り気のないケーキの写真と、多分そのケーキを作るための分量と思われる文字が見えた。どうやら昨日必死に本棚に戻そうとしていた物と同様に、お菓子作りの本のようだ。
「その本…、おもしれーのか?」
「え…」
一瞬、馬鹿にされたのかと思い、の顔が曇った。にも男子高校生がお菓子作りの本を読むという事が、周りから馬鹿にされる理由になり得るという自覚はあった。だからこそわざわざ友人も連れず、一人でこの利用者が異様に少ない図書室に来ていたのだ。
しかし流川の顔を見ると、彼は黙っての答えを待っており、その顔に相手を侮辱するような要素は見られなかった。
「え…と、僕、パティシエになるのが夢で…。今、ケーキ屋さんでバイトしてるんだけど、同じ種類のケーキでもお店によってレシピが違うように、同じお菓子でも本によって分量や作り方が違うんだ。だから色んな本を買ったりしてるんだけど、ここにはもう絶版になった古い本もあって勉強になるから…」
話を聞きながら流川は、がエプロン姿でクリームを泡立てている姿を思い浮かべていた。妄想の中のが、程よく泡立った白い生クリームをそっと人差し指ですくい、小さな口に指ごと含む…。
(………)
なんだかこれ以上は想像しない方が良いような気がする。理由はよくわからないがそんな気がする。
しかし、視線はの唇を捉えたまま離れない。
柔らかく、温かかった彼の唇…。
「るか………」
流川は、右手を伸ばしの後頭部を捉えると、椅子から腰を浮かせて自分の顔を近付けた。
唇が触れ合う。
柔らかい。そして妙に…。
(気持ち良い…)
「っ………」
唇を離す瞬間、二人の唇が僅かに擦れ、がビクッと肩を揺らした。
「流川君…」
の瞳が、物言いたげに流川を見つめる。
(また、「どうして」…か?)
「………お前の唇が気持ち良いのがワリー」
そう捨て台詞を吐くと、流川はそのまま図書室を出て行った。
(な、な、な、何それー!)
は顔を真っ赤にして流川の出て行ったドアを見つめたまま固まっていた。
(ぼ、僕が悪いの!?し、しかも…、気持ち良い…って………)
…確かに、自分も気持ち…良かったと思う。唇が擦れた瞬間など、思わず声が漏れそうになった程だ。しかし、だからと言って…。
(恋人でもない人にキスするなんて駄目だよー!!)
だって年頃の男の子である。いつかは出来るであろう未来の恋人とのファーストキスを想像した事もあった。
それが、恋人でもない人間に、ファーストキスのみならずセカンドキスまで奪われてしまうなんて…。しかも同性に。
(しかも気持ち良かった………)
は、まだ見ぬ未来の恋人に心の中で土下座した。
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