ようやく落ち着いた僕は、シュウさんに肩を抱かれながら宿に戻った。
僕が離れの部屋に連れていってもらう間、
シュウさんも僕も一言も口をきかなかった。
シュウさんは何か考え事をしているようだったし、僕は逆に言いたい事
聴きたい事が沢山ありすぎて言葉にならないという感じ。

離れの入り口まで来た時、ちらっと腕時計を見ると12時少し前。
明日の今頃には、僕はもうここにいないんだ……

またしても零れそうになる涙を必死に抑え、そういえばせっかく作って
もらったお弁当食べてないや、と思い出した。
僕は努めて明るくシュウさんに笑いかけ、

「僕、お腹すいちゃいました。お弁当食べませんか?」

と言う。
シュウさんは一瞬戸惑ったような表情を見せた後、はい、と頷いた。


筑前煮や胡麻豆腐などの入った、相変わらずおいしいお弁当を二人で
黙々と食べ終わると、シュウさんはお弁当箱をテーブルの端に寄せ、
温かいお茶を入れてくれた。

薄曇の今日は涼やかな風が部屋の中に入ってきて、とても
過ごしやすい。
その風を頬に微かに感じながら、僕は良く手入れされた
前庭を見ていた。
シュウさんは、既に仕上げて壁に立てかけてあった数枚の絵を
眺めた後、静かに話し始めた。


「ここにいる約1週間、色々な絵を見せていただきました。
 絵画の世界の詳しい事はわかりませんが、
 これでも仕事上様々な人達や物と付き合ってきていますので、
 そうそう見る目がない方ではないと自分で思っています。」

そう前置きした後

「個人的な贔屓目を抜きにしても、
 ユヅキさんの絵は自然の躍動感も繊細さも両方伝わってくる、
 素晴らしい作品達だと思います。
 きっとこれからどんどんユヅキさん独自の世界を
 切り開いていけるのではないでしょうか。
 ですが、偉そうに言わせていただくと、若さが溢れていて良い反面、
 まだまだ荒削りな部分も見受けられる気がします。
 技術的な物に磨きをかけると同時に、
 色々な場所を訪ねたり色々な人達と接したりして、
 自分を広げていく事が必要でしょう。」


僕はシュウさんの話をうんうんと頷きながら、身体に染み込ませる
ように聞いた。
人に言われる様にではなく、自分の思うままに絵を描く事。
それはすごく自由な分、自分の到らなさを痛感させられる事だった。
表現したい事はまだまだ沢山あるのに技術がそれに伴って
いなかったり、自分の気持ちが揺れる度に、作品までも
変わってしまうという心の未熟さ。
ここにいる1週間で、シュウさんに言われるように、
すごく自分の勉強不足さを感じさせられた。

もっともっと勉強したい。
もっともっと沢山の事に触れて、感じて、表現したい。
これが今の僕の正直な気持ちだった。


シュウさんはそんな僕をしばらく黙って見詰め、静かに言った。

「……やはり今、私達は別れるべきでしょう。
 これからユヅキさんが色んな経験をしていく為には、
 私の存在は足手纏いにしかなりません。」


……一瞬何を言われたのかわからなかった。

別れるって、言ったの?足手纏いなんて、なんでそんな事を言うの?

恐れていた言葉がシュウさんの口から発せられて、
心がガラガラと音を立てて崩れていく気がした。

「……何で?何でそんな事言うの?
 シュウさんが足手纏いになる訳ないじゃない!
 それともやっぱり僕の事嫌いになったの?
 ……それならそうと言ってくれればいいのに!
 僕がこの宿にいる間だけの関係だったって、
 そう言ってくれればいいのに!」

僕は堰を切ったように溢れてくる涙を拭う事もせず、
テーブルの上に置いていた震える両手を握り締め、
まっすぐにシュウさんを見て叫んだ。