ソウが保護されたのはその日の昼過ぎ、ソウが通う大学の
教授宅でだった。
霧島浩介(キリシマコウスケ)という真面目なその教授が、連絡も
無しに講義を休んだ事を心配した大学側は、何度自宅に電話を
しても通じなかったので、直接家まで行ってみる事にした。
そして何度も呼び鈴を押したのだが、誰も出てくる気配がない。
そこで庭に回り、鍵の閉まった窓から細く開いているカーテンの
奥を覗く。
中は薄暗く、その時見えたのは床に誰かが倒れているらしい
姿だった。驚いた大学側はそのまま警察に電話をし、駆けつけた
警察官が中に入ってみると……
居間の床でうつ伏せのまま手を上に伸ばし、血塗れの姿で
絶命している教授。
その教授の背中に折り重なるように倒れている、自分の胸に
包丁を突き立てて自殺したのだろうと思われる教授の妻。
そして教授が手を伸ばした先には、座った状態で居間の柱に
ビニール紐で縛り付けられ、全身から血を流し、意識不明に
なっているソウの姿があった。
教授も教授の妻も既に亡くなっている為、事情がわかるのは
ソウしかいない。
なのでソウの意識が戻り次第事情聴取をしたいという話だった。
俺もシュウも息を呑んだまま、しばらく何も喋る事が出来なかった。
だが事情聴取もなにも、ソウの状態を見ない事には何も言えない。
すぐにハッと我を取り戻したシュウが
『弟の意識が戻り次第話をさせますから』
と約束し、そのままソウのいる病院に案内してもらう事にした。
いまだ意識不明のソウはICUにいた。
だが中に入れるのは家族だけで、当然俺は入れてもらえず
大きなガラス窓越しに中を覗く。
中には6床のベッドが置かれている。
殺菌消毒した上着、マスク、帽子を着け、手を洗って入室した
シュウが手前から2番目のベッドに近付いていく。
そしてそこに、体中様々な機械やら管やらを繋がれたソウがいた。
シュウはソウに顔を近付け、優しく頭を撫でながら何事か
話しかけている。
ソウは全く反応を見せないが、近くに置かれていた心電計に
うつる心電図が定期的な波を刻んでおり、ソウがまだ生きて
いる事を証明していた。
面会可能な10分間を過ぎると同時にシュウが出てくる。
そしてそのまま医者の説明を聞きに行った。
俺は待合室のソファに場所を移し、ジッと下を向いてシュウが
出てくるのを待った。
やっと出てきたシュウの説明によると、全身の傷は現場の
状況からいっても多分包丁で切られたものだと推測出来るが、
どれもそれ程深い傷ではないらしい。
ただ数が多いので出血が多量に至った事と、精神的な
ショック状態が重なった為に意識が無くなったそうだ。
だが取りあえずの山は越したので、後は回復力に期待し、
このまま意識が戻るのを待ちましょうという話だった。
つめていた息を思いっきり吐き出した。
……大丈夫そうだ……良かった……
一気に力が抜けて俺達は立ち上がる事が出来ず、そのまま
待合室の硬いソファにしばらくの間座っていた。
その後シュウが入院手続きをしに行ったので、俺はまたICUの
前に戻り、ガラス窓越しにソウの姿を見ていた。
助かってくれて本当に良かった。
何があったのかはまだわからないが、こんな大変な状況に
追い込まれるまで、何も気付いてやれなくてごめんな……
心の中でソウに語りかけながら、冷たいガラス窓に額を付く。
出来る事ならソウの傍に行きたかった。
その手を握りながら、大丈夫だと何度でも言い聞かせて
やりたかった。
……だがいくら望んでも、俺はソウの傍に行く事が出来ない。
兄貴の親友という立場でしかない俺は、ソウの枕元に走り寄って
早く戻って来いと訴える事が出来ない。
改めて俺とソウの距離を見せ付けられているようで、
ガラス越しの自分がたまらなく悲しかった。
こんな事は百も承知の筈だったのに……
どんなに本当の弟のように可愛がっていたとしても、
やはり俺とソウは血の繋がらない他人でしかない。
どんなに俺がソウを愛していると思っても、
たかがこのガラス窓1枚さえ越す事が出来ない……
強く握り締めたこぶしをガラス窓に押し付け、きつく噛み締めた
下唇から血が滲んでいる事にも気付かないまま、管や機械に
繋がれたソウを、ただ見詰め続けていた。